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【第百五節/騒擾】

「おいおい、ずいぶん騒がしいな。飯ぐらい静かに食わせろよ」


 両脇に数名の女を侍らせたサウルは、気だるげにナイフを揺らした。


 闇渡りの宮殿……かつては採掘場の管理練だった場所にサウルは陣取っている。訪れた当初は、事務的で面白みのない場所だったが、今は彼の好みに沿って派手に仕立て上げられている。


 王の食卓と言っても、煌都の貴人が饗するような洗練ぶりは微塵も無い。闇渡りの粗野な料理が、量だけは多く盛られている。愛妾を総動員しても余るほど作らせたのは、単に自身の権力を誇示するためだ。


 そんな料理に半分興味を失いかけていたサウルは、側近のアブネルを呼んで説明を求めた。


 ほとんど誰も信用せずに生きてきたサウルだが、このアブネルだけは別だった。特別大柄ではないが、ずんぐりしていて、重々しさの中に不気味な印象を潜ませている。


 頭皮の一部が禿げている。毛が抜けたのではなく、かつて煌都の兵士に拷問を受けた際、その一部を剥がれたからだ。それまでは「普通の」闇渡りだったそうだが、今や煌都に対する憎悪だけが生きる理由となっている。 だから、サウルとしても信頼出来るのだ。


「若造が表で暴れてやがる」


 アブネルは石像のような顔を動かさずにぼそりと呟いた。


「カチコミか?」


「違う。博打絡みのようだが、詳しくは分からねえ」


「博打、か……」


 面白ぇ、と漏らしサウルは立ち上がった。両腕に女を抱きすくめたまま、「宮殿」の正門に向かって歩いていく。


 ゆらゆらと葦のように揺れる王に従って、他の従者達もぞろぞろと後に続いた。


 門扉が開き、王が姿を見せると、大通りにたむろしていた闇渡り達が一斉に歓声を上げた。喜び半分、悲嘆半分といったところか。


「王だ!  王が出て来た!」


「『月の目』に賭けた奴は配当八倍! 負けた奴はさっさと金を出しやがれ!!」


 まさに大騒ぎといった有様だった。あちこちで銀貨や金貨が跳ね回っている。賭けに勝った闇渡りと、負けた闇渡りが場外乱闘を始め、中には伐剣まで持ち出している者もいる。


 だが、そんな切った張ったなどほとんど誰も気にしていない。


 肝心の勝負は、まだケリがついていないからだ。


 宮殿の城門は、十人の武装した闇渡りに守らせていた。各々が歴戦の強者であり、その腕を買ってサウルが門番に任じたのだ。


 そんな門番たちが、たった一人の闇渡りによって、すでに七人が打ち倒されていた。


「へえ、こいつは面白ぇ賭けだな」


 一対十の戦いで、なおかつサウルがここに出てくるかまで賭けの対象にされていたのだろう。ダシに使われた形だが、悪い気はしない。もとより彼も賭博師の面の強い男だ。


 胴元を引き受けている赤ら顔の闇渡りを見つけると、サウルは懐から金貨の詰まった袋を一つ、無造作に放り投げた。居並ぶ闇渡り達から羨望と感嘆の声が上がる。


「門番の方に賭けるぜ」


 赤ら顔の闇渡りはヘコヘコと袋を開き、これ見よがしに金貨を卓上へと落としていく。金貨の跳ねる音が伴奏となり、賭けにのめり込んでいる闇渡り達を一層熱狂させた。


かしら、悪乗りが過ぎる」


「硬いこと言うなよアブネル。王ってやつは、こういうところで器量を見せねえとな」


 用意された椅子に深々と座り込む。その瞬間を見計らったかのように、残っていた門番のうち一人が蹴り飛ばされて動かなくなった。


「おおい、しっかりしろよ。俺はお前らに賭けたんだぜ? 面子を潰さねえよう気張ってくれや」


 門番達は固唾をのんだ。負ければどんな未来が待っているか分かったものではない。


 それに、一応は腕自慢の彼らにとって、丸腰の若造にいいようにされているのが屈辱だった。こちらは皆伐剣を装備していたというのに、目の前に立つ金色の目の男は次々と敵を叩き潰していく。彼らとて場数は踏んでいるが、それ以上の度胸と戦歴を積んでいるように思えた。


「野郎……っ!」


 二人は目くばせをして散開した。相手の両側から挟み込むようにして斬りかかる。


 だが、狼藉者は読んでいたとばかりに姿勢を落とし、右側から襲い掛かった闇渡りに肘鉄を喰らわせた。相手の身体が折れるのを待たず、後ろに回り込んで腕を捻り上げる。


 味方を盾にされた闇渡りは、それでも止まろうとしなかった。相方諸共串刺しにする算段だ。盾にされた側はたまったものではない。額に冷や汗が浮かんだ次の瞬間、膝の裏に衝撃を受けていた。


 崩れるように倒れこみ、結果、突進していたもう一人の足に絡まる。二人は翻筋斗もんどり打って地面に転がった。


「ど、退きやがれ!」


「手前こそ、刺そうとしただろうが!」


 勝負そっちのけで罵り合いを始める二人を、狼藉者は揃って蹴り飛ばした。足元まで転がされた二人を、アブネルは冷やかな目で見下ろした。


「この面汚し共……」


「カッカするなよアブネル。成程、ありゃあ大したタマだ」


 賭け金丸ごと損したにも関わらず、サウルは上機嫌で手を打った。元より端金だし、面白いものを見ることが出来た。それに、思いも寄らない拾い物かもしれない。


 サウルは立ち上がると、広場の真ん中で博徒に揉みくちゃにされている男に向かって歩いていく。人混みが割れ、その渦の中心で二人は向かい合った。


「良い立ち回りが見れたぜ。大したものだ」


 男は顔を上げた。若いだろうと思ってはいたが、まだ二十歳にもなっていない。それにしては太々ふてぶてしく、一筋縄ではいかなそうな顔をしている。


「名前は何ていうんだ?」


「ギデオン」


「部族は?」


「無い。ずっと前に潰された」


「だろうな……たまにいるんだよ、お前みたいに部族を潰されて、それでも生き残る餓鬼ってのがな。大抵は野垂れ死にだが……そうか、それならこのしたたかさも合点がいく」


 サウルは打ち倒された門番を眺めてから、視線を「ギデオン」に戻した。


「ただの酔狂で、こんな真似を仕出かしたんじゃなかろう? 何が望みだ」


 ギデオンはニッと唇を釣り上げた。獰猛なその表情といい、満月を思わせる金色こんじきの瞳といい、良い面構えだとサウルは思った。


「雇ってもらいたくて来た。腕はこの通りだ。剣を持てば、この倍の数でもやれるぜ」


「言うなぁ……面白いじゃねぇか、気に入ったぜ! 後で俺の所に来い。席を空けて待っておいてやる」


 サウルは若い闇渡りの肩を強く叩いた。群衆からどよめきが起こる。王が実力を買ったということは、この月のような目をした闇渡りが、一躍実力者として取り立てられることを意味する。


 だから、決して賞賛の視線ばかりが送られたわけではない。


「頭、気まぐれもほどほどにしてくれ」


「何だよ、妬いてるのか?」


 アブネルは冗談に付き合わず、「一匹狼を取り立てるのは危険だ」と呟いた。こういう実力を持った浪人が、集団に不和をもたらすのは必然だ。そうして潰れてきた部族を、アブネルは両手足の指で数えられるくらい知っている。


 だが、一度言い出したら聞かないのがサウルという男だ。好き放題やりたいがためにのし上がってきた彼に、諫言など意味をなさない。


「手綱を握れなかったら、俺はそこまでだったってことさ。……さて、飲みなおすとするか」


「……」


 アブネルは石造のような顔をぴくりとも動かさず、ただ喉の奥をゴロゴロと鳴らしただけだった。




◇◇◇




「おおい、こっちだギデオン!」


 ギデオンことイスラの姿を見つけたザッカスが、机の上に飛び乗って彼を手招きした。もともと身長の低い彼は、こうでもしないと人込みの中に埋もれてしまう。最も、彼の陣取っている机は賭けの中心であり、今や悲喜こもごもの闇渡り達によって取り囲まれている。


 それでも、この大立ち回りを演じた張本人が姿を見せると、闇渡り達も自然と道を開けた。


「お前さんのおかげで大儲け出来たぜ、ありがとよ!」


「そいつは何よりだ。な、俺に賭けて正解だったろ?」


「ああ。まさか本当に十人ともぶっ飛ばして、王まで引っ張り出しちまうなんてな。最初に話を聴いた時はどうかしたかと思ったが、いやあ、乗ってみるもんだ」


 呑気に話し合っている場合ではなかった。支払いをじらされた闇渡りがテーブルの脚を蹴り飛ばし、よろけたザッカスは椅子の中にすとんと転がり落ちた。飛んでくる怒号や野次を捌きながら、ザッカスは片手で帳簿を付け、もう片方の手で硬貨を振り分けていく。その手並みの鮮やかさは、彼が日頃からこういう仕事を引き受けているのだと如実に示している。


 だが、密にイスラを驚かせたのは、ザッカスが片手で書き散らしている帳簿の文字だった。彼自身はほぼ文盲だが、綺麗な字と汚い字の見分けくらいはつく。ザッカスが片手間で書いているそれは、カナンの字と同等かそれ以上に綺麗だった。


 思わずザッカスの横顔を見る。赤ら顔に脂ぎった髪と、清潔そうな印象とはほど遠い男だ。それがこんな文字を書くなど、世の中分からないものだな、と思った。


「……なあザッカス」


「何だよ兄弟!?」


「いや、拾い物ってのは、案外あんたみたいな奴なのかもな」


「ああ? 何だそりゃ」


「まあ憶えておけよ」


 謎めいた言い方をされて、何が何やら分からないといったザッカスに手を振ると、イスラは宮殿に向かって歩き出した。

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