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【第百四節/混沌の洞】

 鉱山の中に踏み込んだ時、イスラはふと既視感に襲われた。


 鉱物を掘り出すための穴であるにも関わらず、内部には小規模な都市とでも言うべきものが存在していた。


 入り口付近の広場は、円柱状に広く高く造られており、まるで舞台の桟敷さじき席のように小さなバルコニーが飛び出している。様々な(恐らくは盗品の)ランプが無数に吊り下げられていて、その色とりどりの光彩の中、娼婦達が帰還した男衆に向けて手を振っている。


 上に行けば行くほど上玉が、下には髪も顔も煤けたような女たちが座らされている。あまりにあからさまな構造だが、単純な闇渡り達にとってはかえって良い刺激になっていた。


 だが、イスラは違っていた。


 今からずっと前、まだ自分の所属する部族が全滅していなかった頃の記憶。


 あの時も、無数のランプを吊るした天幕が軒を連ねていた。


 どこからか漏れ出たか細い笛の音色や、けばけばしい臭いのする香の煙が漂っていた。



(……でも、その時から俺は一人だった)



 ふと我に返った。ここは敵地だ。余計なことなど考えている場合ではない。


 イスラは人の流れに紛れ、ゆっくりと奥に向かって進んでいく。何度か娼婦に外套を引っ張られたが、無視して引き剥がした。


 さらに奥に進むと、今度は無数の横穴が掘られた大通りが現れた。かつてはトロッコでも走っていたのか、朽ちた線路の跡が道の中心に遺されている。


 闇渡りの男達は、両側の横穴の中に次々と入り込んでいく。恐らくここが兵舎なのだろう。横穴は居住施設だけでなく、飲食店や武具店も利用している。


「となると、親玉の寝床はこの奥か……」


 平の闇渡りでは、近づくことも許されないのだろう。大通りの突き当りには巨大な門扉があり、いかにも古強者といった容姿の戦士が守りを固めている。無理やり突破することも不可能ではないだろうが、それでは潜入した意味が無い。


 イスラは壁に寄りかかりながら、それとなく門の方を見ていた。あまりじろじろ見ていると訝しがられると思ったからだ。


 他の闇渡り達は門など目もくれず、酒場と酒場を行ったり来たりしている。もちろん空きっ腹を抱えたままの輩もいるため、一見ただ突っ立っているだけのイスラの姿も、そこまで奇異ではない。


 だが、そんな人混みの中から、わざわざイスラの姿を見つけ出した者がいた。


「おっ! そこの金色の目の兄さん!」


 まさか声を掛けられると思っていなかったイスラは、驚いて振り返った。闇渡りの中でも、イスラのように金色の虹彩を持った者は少ない。声の主は一直線にイスラめがけて駆け寄ってきた。


 背の低い男だった。年のころは、イスラよりもやや上……サイモンと同じ二十前半くらいだろうが。赤ら顔で、あまり清潔そうに見えない茶色い髪を持っている。姿勢も悪く、とても森の中を駆けられるような体躯には見えなかった。


 見るからに覇気の無い男だが、この状況下で誰かに話しかけられるのは危険だ。突っぱねようとしたが、男は図々しくもイスラの手を握って無理やり握手した。


「良かった良かった、ずっとあんたを探してたんだ」


「何の話だ。俺はお前なんざ知らねえよ」


「俺だってついさっきまではそうだったさ。けどな、あんたがあのいけ好かない連中をぶっ飛ばしてくれたおかげで溜飲が下がったぜ。ありがとよ!」


「礼を言われる筋合いは無ぇよ。気に入らなかったからぶっ飛ばしただけだ……話はそれだけか?」


 無論、そんなことは無かった。男は半ば強引にイスラを酒場へと引っ張りこんだ。その気になれば振り切ることも出来たが、今は一つでも多くの情報を集めることが先決だ。それに、一人でいるよりも怪しまれないで済む。


 酒場として使われている穴倉に潜り込んだ二人は、隅の方の席に陣取り、火酒で乾杯した。他の客は全く注意を払っていないようだったが、イスラは時々、ピリピリとした視線に肌を突かれているような気分がした。恐らく、自意識過剰などではなく、イスラに目を付けている者がいるのだろう。


「さっきの暴れっぷりは凄かったな。あいつら、ガタイに任せて金を強請ってた連中だが、あれじゃあ形無しってもんだ」


「成程、それなりに恨みは買ってたわけだ」


「おうさ。それに何が愉快って、あの徴税人の野郎……前の徴税人は俺だったんだが、野郎、あの木偶デク共を連れて脅しを掛けやがった。御蔭様で俺は、慣れない枝駆けをする羽目になっちまった。


 ところがお前さんがやっつけてくれて、奴の面目は丸潰れさ。今頃、賄賂を毟ってた連中から袋叩きにされてるだろうぜ!」


 キヒヒ、と男は擦れるような笑い声をあげた。それに構わらずイスラは酒をあおり、腸詰肉を噛み千切った。


「いやあ、今思い出しても愉快ってモンだ。お前さん、あれだけの腕っぷしを持ってるのに、全然噂になってなかったよな。新入りか?」


「ああ」


「名前は」


「手前は?」


「ザッカス」


「……ギデオンだ」


 我ながら、どうして咄嗟にこの名前が出てしまったのか分からなかった。ただ馬鹿正直に名前を名乗るのもどうかと思ったし、何となくゲン担ぎになるような気がした。


「ギデオンか。古風な名前だな」


「そうか? あまり考えたことがないから分からねえや。……それよりザッカス、だっけか? ちょっと教えて欲しいことがある」


「何でも言ってくれ」


 イスラは酒の肴の代わりに、ここの情報や立ち回りの仕方について質問した。もとよりイスラを新人だと思い込んでいるザッカスは、酒が入っていることも手伝って面白いように答えてくれた。


 曰く、例の扉は王や幹部達のみ入ることの出来る「宮殿」へ繋がっていること。


 門番達はいずれも王に認められた腕自慢ばかりであること。


 そして、王が気まぐれであるということ。


「それだけ聞ければ十分だ」


 イスラの呟きは、酔いつぶれたザッカスには十分に聞き取れなかった。

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