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【第百二節/イスラの独断】

 襲撃された村から南西へ向かうこと数時間。森の中を進む一行のなかで、さらに先頭に立って走っていたイスラは、前方に無数の足音を捉えていた。次いで目を凝らすと、いくつもの影がこちらに背を向けて走っているのが分かった。


「止まれ」


 無意識のうちに木の根の陰へと身をかがめ、片手で後続の人間たちに注意を促す。調査隊の面子はほとんど脱落することなく着いてきていたが、エリコの兵士達は途中で息切れを起こしたため置いてきてしまった。最初は百名ほどいた兵士のうち残ったのは二十名程度で、継火手マスィルも息を荒げている。むしろ、慣れない森の中での行動にこれだけ食らいついてきたのは上等だ。


 その相棒のヴィルニクはと言うと、足こそ遅いものの決して立ち止まらず、集団に追いついてもほとんど疲れた様子は無かった。


「ずいぶん減ってしまったな」


 オーディスは汗で額に張り付いた髪をかき上げた。ほとんど疲労の色は見えず、存外に涼しい顔をしている。


「……足手まといが減っただけだ。むしろ、ここまで見つからずに来れたのが奇跡だぜ」


「それもそうだ。しかし、敵の歩調も遅くなったな」


「目的地が近いんだろ」


「そうだな。さて、これからどうするかね?」


 オーディスは振り返り、腰を折って息を荒げている兵士長に声を掛けた。中年の彼に強行軍はこたえたらしく、責任感と意地で何とか食らいついていたが、最早限界のようだった。


「予定、通り……様子を見るってことで、いいんじゃないかな?」


 代わって、息も切れ切れにヴィルニクが答える。オーディスも内心ではその案に賛成だった。元よりこんな戦力とも言えない勢力では勝負にならない。


 敵の本拠地を見つけ出し、一つでも多くの情報を集めつつ都軍の到着を待つ……それが最も理性的な判断だ。


 だが、それが完全な案だと思うことはオーディスには出来なかった。


 都軍が到着したとして、闇渡りの軍勢と正面衝突をして勝てる保証はどこにもない。この緊急時にパルミラの商人会議が兵力の出し惜しみをするとは思えないが、常備軍に予備役、ニヌアとラヴェンナ両方面の街道警備隊、さらに最精鋭の都外巡察隊をかき集めても一万に届くかどうかといったところだ。


 敵の兵力は、判明しているだけで三千程度。戦闘すなわち略奪という闇渡りの生活様式から考えて、後詰や予備兵力といった役割分担は出来ないだろうから、これが全兵力だろう。


 だが、並みの敵ではない。森の中では勝負にならないだろうし、こちらは法術さえ迂闊に使うことが出来ない。万一戦闘に勝利してもすぐに逃げられてしまう。決定的な敗北を与えることは出来ない。


「……となると、城攻めしか無いか」


「城攻め?」


 イスラがオウム返しに聞き返すと、オーディスはそれまで考えていたことを皆に打ち明けた。


「法術が使えない以上、野戦では絶対に勝ち目が無い。何とか敵を本拠地に縛り付け、ひとまとめになった所を叩くしかないだろう」


「そりゃあ、都軍の上層部だって同じことを考えるでしょうけど……そんなにうまくいくかなあ?」


 ヴィルニクの疑問はもっともだった。オーディス自身、とんとん拍子に事態が進むとは思っていない。


 鈍足の都軍が到着するまで、どう見積もってもあと二日はかかる。その間、敵が本拠地にとどまったままだという保証はどこにも無い。むしろ、更なる略奪を求めて足早に出発する可能性さえある。


 チャンスは一度しか無い。敵が本拠地から出撃すれば、その時点でこちらの戦略的敗北は覆せなくなる。


「……何とか二日、敵を本拠地に留め置く必要がある。可能ならば、敵の首領を討つか、ウドゥグの剣の奪取ないし破壊まで達成したいが……」


「そんなに色々出来るわけないだろ。こうして敵に引っ付いているだけでも精いっぱいだってのに」


 疲労困憊といった様子の兵士達を見ながらサイモンは肩を竦めた。今の自分たちにこれ以上のことが出来るとは思えない。


「俺たちは無謀な賭けに乗る気は無い。そんなことをして、仲間を失ったんじゃ本末転倒だ」


「当然だ。私も無理な相談だと自覚している。当初の予定通り、ここは……」


「俺がやる」


 それを言ったのが誰なのか、問い直すまでも無かった。

 全員の視線が一斉に集まった。イスラは緊張など微塵も見せず、傲然と立っている。


「このまま放っとくわけにはいかないんだろ? じゃあ俺がやるよ、足止め」


「出来るか馬鹿野郎!」


 サイモンが食って掛かる。もう少し敵との距離が近ければ、彼の怒声も聞かれていたかもしれない。だが、そんなことなどサイモンの脳裏からは吹っ飛んでいた。


「あんまり己惚うぬぼれるんじゃねえぞ。……クソッ、カナンの気分が良く分かったぜ。毎度毎度、無茶ばっかりしやがって。何でわざわざ危ない橋を渡ろうとする?」


「それが一番手っ取り早いからだ。そうなんだろ?」


 イスラの問いに、オーディスは頷くしかなかった。「だが、彼の言う通り危険な綱渡りだ」


「提案した私が言うのも何だが、無理をする必要は無い。都軍の到着を待って、それから戦い始めても遅くはない」


「そして無駄な人死にが増えるわけだ」


「イスラ!」


「怒るなよサイモン、俺だって成功する見込みがあるから言ってるんだ。

 連中に紛れ込めるのは俺だけだ。ずらずらと雁首揃えていくより、一人で行った方が小回りが利く。それに連中の仲が悪いのは分かりきってるんだ。内輪揉めをさせるだけなら簡単だし、一人でも出来る。万が一足止めが出来なくても、連中の行き先や内情の偵察だって出来る。やらない理由は無いだろ?」


「だからお前が……仲間が危険な目に遭うのが嫌なんだよ!」


 仲間、という言葉を聞いた瞬間、イスラは驚いたような、あるいは不意を突かれたような表情を浮かべた。自分がそんな風に呼ばれることが、心底不思議だったからだ。


 そしてふっと微笑を浮かべると、「だったら尚更だな」と呟き、誰も引き止められないほどの軽快さで身をひるがえした。


 明星ルシフェルを鞘ごと投げ捨て、サイモン達がそれに気を取られた隙に走り出す。


「おい!」


「心配するな、上手くやるよっ」


 駆け出したイスラに追いつける者などいない。サイモンは明星を拾い上げると、茫然と彼の走り去った暗闇を見つめた。


「あいつ、何を焦ってるんだよ……」

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