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【第九十七節/余所者たち】

「あんたも余所者よそものか?」


「ああ。調べたいことがあって立ち寄ったら、とんだ災難に巻き込まれてしまってね。……私はオーディス・シャティオン。君は?」


「イスラ。闇渡りの子のイスラだ」


 そう名乗ると、オーディスはわずかに目を見開いた。


「パルミラの難民団に、闇渡りの守火手が居ると聞いていたが、君がそうか」


「一応、そういうことにはなってる……」


 イスラは言葉を濁した。今の彼には、それを積極的に肯定することは出来なかった。


 だが、顔に浮かんだ影をオーディスは見逃さなかった。「何かわだかまりがあるようだね」世間話でもするような気軽さで、オーディスは言った。


「あんたには関係ない」


「ああ。私は、君たちとは全くの他人だ。だからこそ遠慮無く話すことも出来る。違うかな?」


「……」


 咄嗟に闇渡りの格言が出そうになった。「秘密の言葉は、話すと力を失う」と伝えられている。


 だが、オーディスの言うことにも一理あると感じた。これは、難民団の仲間内では出来ない話だった。


「成程、たしかにあんたの言う通りだ。あんたを案山子かかしだと思うことにするよ」


「はは、構わないさ」


 オーディスは笑い飛ばした。イスラはしばし押し黙ってから、呟くように話し始めた。


「俺が……俺なんかが、あいつの守火手で良いのか分からなくなった」


 カナンが難民たちを率いてウルクから脱出した時から、イスラの中で少しずつ膨らんでいた恐れだった。


 彼女は多くの人間から求められ、必要とされている。そしてそれに応えるだけの能力を十分に備えている。


 だが、そんな彼女から必要とされる自分は、一体何を持っているだろう?


 この集団のなかで、一体どんな働きが出来るのだろう?


「君たちがどんな旅程を歩んできたのかは知らないが、今さら考えるようなことではないと思うな」


 オーディスの返答はもっともだったが、イスラは首を振った。


「逆だよ。今になったから、そう思うんだ。


 これまではずっと、俺とあいつの二人だけで旅をしてきた。俺はこれまで一人で生きてきたし、その生きるための技術をあいつに教えるだけで良かったんだ。


 でも今は、そんな単純な技術は誰からも必要とされちゃいない。生き延びるだけなら簡単なことなんだ、獣の生き方を人間流にやれば良い。けど人間の生き方ってのが、俺には今ひとつ分からない。


 ……それに、俺は闇渡りだ」


 目の前では、大きな火柱のなかに闇渡りの死体が無造作に放り込まれている。イスラの金色の瞳は、ゆらめく炎を無感動に映し出していた。


 もしカナンと巡り合わなければ、自分があの炎で焼かれていたかもしれない。ここでなくとも、別の場所で、あるいはこれから先にそうなる運命が待ち受けているかもしれない。己が闇渡りでいる以上、その可能性は決してゼロにはならないのだ。



 それこそ、世界の仕組みが変わり、闇渡りという人種そのものが消滅しない限りは。



「前に一度、闇渡りだからって理由で殺されそうになったことがある。あいつが割って入ってくれなかったら、俺は蛇みたいに滅多打ちにされてたはずだ。


 そういうことはこれからだって起きると思う。というか、絶対に起きる。俺を守火手として囲っている事実そのものが、あいつの弱点になるんだからな」


「……それは、そうかもしれないな。私が彼女の政敵だったなら、間違いなくその点を突くだろう」


「な? そうだろ?」


「だが、君を守火手にしているからこそ、彼女は信頼されているのかもしれない。そのことによって、信頼する者もいるかもしれない」


「……俺だから?」


 頬を叩かれたような気分だった。そんな考え方は、イスラには到底出来ないものだった。


 オーディスの視点の広さは、イスラとは比べ物にならない。イスラ自身認めている通り、彼は政治とは無縁の場所で生きてきた。だからこそ、自分が直接目にする範囲の敵意には敏感でも、周りを俯瞰して見た時の利点を想像出来なかった。



 ――あんたの言う想像力ってのは、物事を気楽に考える能力のことなんだな。



 ――いかにもその通りです。



 ――自分にとって都合の良い事実だけを選んで、勝手に理由を作ってるだけだ。



 ――そうかもしれません。でも、まず知識と想像力があって、それらが導き出す他者への信頼こそが、私にとっての杖ですよ。



(……そんなことも言ってたっけな)


 まだ旅に出たばかりのころ、そんなやり取りをしたな、と思い出した。


 もしかするとカナンは、あの時から闇渡りを守火手に選ぶ意味について、想像を巡らしていたのかもしれない。


 そして、カナンが想像力を持っているように、難民団の人々も想像力を持っている。闇渡りを受け入れたカナンならば、自分たち難民も受け入れてくれるのではないか……そんな信頼が、今のカナンの立場を作り上げているのかもしれない。


「成程……何となくわかったよ。そういう役回りだってあるんだな」


 イスラがそう言うと、オーディスは軽く笑った。


「ある場所に人間が集えば、そこには社会が生じる。その人数が多いほど、個人に割り振られる役割も多様化するものだ。君がその役割を受け容れられるなら、そこは居心地の良い場所になるだろうね」


「どうだろうな。あんたみたいに考えたことは無かったから、良く分からない」


「……もし受け容れられないと思ったら、どうする?」


「……」


 イスラは押し黙った。自分に広告としての役割があるとして、それで自分は納得出来るのだろうか?


 広告ということ自体ピンと来ないのに、そこからさらに思考を進めるのは、イスラには難しかった。


 だが、自分の力が役に立たないという事実に変わりはない。それを悔しくないと言えば嘘になる。


「すまない、揺さぶりをかけてしまったようだね」


「考えるのが苦手なだけだ。あんたのせいじゃないよ」


「そうか。……ああは言ったが、君の言う彼女は、役割云々など考えていないかもしれない。あれは私の、勝手な想像だよ。


 もしかすると、その人の個人的な感情が理由なのかも……」


「それはもっと考え辛いな」


 自分のことも良く分からないのに、他人のことなどとても推し量れない。


 してみると、大坑窟でカナンがベイベルの本性を看破したのはとんでもないことだったのだな、と思った。あんな攻略法を思い付き、成功させられるのはカナンしかいないだろう。


 結局、話せば話すほど、自分の頭の弱さが露呈されるようだった。イスラは小さく溜息をついた。


 それが合図だったかのように、着込んだ鎧をガシャガシャと響かせながら、ヴィルニクが街の中から駆け出してきた。


「ああ、いたいた! やぁ、ほんとに街の外まで行っちゃうなんて思わなかったよ!」


「あのちっさくてうるさいのに、散々罵倒されたからな。そりゃ出てくっての」


「マスィルのことかい……あー……いや、本当に申し訳ない」


 言うやいなや、ヴィルニクは深く頭を下げた。あまりにあっさりと謝罪されたイスラはもとより、様子を見ていたエリコの兵士たちも驚いていた。また、中には「あの人らしい」と頷いている者もいる。


「色々あった後で、気が立ってたんだ。まあ癖の強い子に違いは無いんだけどさ、ここは一つ、僕の顔を立てると思って、赦してやってくれないかな?」


「顔を立ててって……あんた、あのうるさいやつの守火手なのか?」


「ああ。パルミラの軍人の息子、ヴィルニクってんだ。よろしく」


「そりゃ、別に恨んじゃいないけどさ。お前は良いのかよ、闇渡りなんかに、簡単に頭を下げてさ」


 ヴィルニクはきょとんとした表情を作った。イスラよりふた回りは大きな体格だが、軍人とは思えないほど覇気が無い。


 だが、闇渡りである自分に頭を下げるなど、度量どころか胆力も備わってなければ出来ないことだ。不思議な奴だな、と思った。


「悪いのはどう考えてもマスィルなんだから。でも、素直に頭を下げたり出来ないからね。いつかはやらせるつもりだけど、とりあえず、ね」


「……真面目なのかいい加減なのか、よく分からねぇ」


「あっはは、ごめんよ。……まあそれはそうとして、会議で話がまとまったんだ。


 僕らはこれから、街を襲った闇渡りを追撃して目的を見定める。同時にパルミラに増援や調査を依頼する予定だよ。


 君には、もちろん一緒に来てもらうことになるけど、良いかな?」


「一人で何しろってんだ。行くに決まってるだろ」


「そりゃあ有難い。それからシャティオン卿、貴方も……」


「私も興味がある。お荷物にはならないようにするよ」


 二人がそう答えた時の、ヴィルニクの会心の笑みを見て、イスラは「油断ならない奴だな」と思った。


 そして、意気揚々と戻っていくヴィルニクと、外套を翻し颯爽と歩き出すオーディスの背中を見ながら、ぽつりと呟いた。


「案外、世の中変わった奴が多いんだな……」

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