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【第九十六節/軋轢と妥協 上】

 イスラやサイモンをはじめとした調査隊がたどり着いた時、すでにエリコの戦闘は終わっており、憂鬱な空気のなか遺体の回収が行われていた。


 遠方から火の手が上がっているのが見えたため、大急ぎで向かってきた一行だが、彼らを歓迎しようとする者は誰もいなかった。胡乱気な顔を見せてくるならまだ良い方で、先走った兵士に突っかかられたことなど一度や二度ではない。


 だが、街の荒れようを見ると、そんな彼らの心境も理解出来なくはなかった。


 家々の軒先では遺体に縋り付いてすすり泣く人々が散見され、略奪を受けた店先では店主が途方にくれていた。市街地に入り込んだ闇渡りは欲望の赴くままに略奪や暴行を行ったらしく、戦闘中にエリコで無事な場所はほとんど無かったのだ。


 それでも、森側の門の近くに住んでいた人々に比べれば、砂漠側の住人は幸運だった。何しろ、家に火をつけられて財産をすべて失った者が大勢いたからだ。やはり被害もそちらの方が大きく、恐怖と絶望感とで悄然とした人々が、のろのろと瓦礫を片づけていた。


 無論、侵入した挙句逃げそびれた闇渡り達には、悲惨な最後が待っていた。


 強姦に夢中になっていたとある闇渡りは、下半身が裸のまま広場へと引きずり出され、市民の手によって袋叩きにされた。


 金品で満杯になった袋を抱えていた男は、それと同量の石を詰めた袋を足に括り付けられ、下水の中へ叩き込まれた。


 他にも狩り出された闇渡りは、いずれも憎しみの限りを込めた手段で抹殺されている。


「……酷い有様だな」


 馬車の幌の中から様子を窺っていたサイモンは、目の前で繰り広げられている惨状に思わずそうこぼしていた。どのような経緯であれ、人が人に対して剥き出しの憎悪を叩き付けている光景を見るのは、決して気分の良くなるものではない。彼と同じ感想を持ったのか、他の調査隊の面子も同様に押し黙っていた。


 そんななか、虐殺される闇渡りを眺めるイスラの目だけは、どこか冷淡さを帯びていた。それに気づいた仲間の一人が「大丈夫か?」と尋ねるが、イスラは素っ気なく平気だと答えた。


「憐れんでやる必要なんて無いさ。あいつらは好き勝手やって、その報いを受けてるだけだ。大酔漢のダン曰く、酔いの後には吐き気と頭痛、ってな」


 イスラは皮肉っぽく肩を竦めた。そんな様子を見たサイモンはますます首をひねる。取っ付きにくく不愛想なイスラだが、第三者に対してここまで刺々しい言葉を吐くのは「らしく」ない。


 何かあったのか、と尋ねようとしたが、その時には馬車は神殿の前へとたどり着いていた。


 施療院では追いつかなくなったため、避難者や負傷者の一部は燈台内の神殿へと集められている。聖堂には大勢の人が詰め込まれ、ぐったりとしたままうずくまったり、痛みのあまりうめき声を漏らしていた。血や汗の臭いが充満し、立っているだけで胸がむかむかしてくる。


 だが、半壊した詰所に代わって、今は神殿の一室が守備隊の本陣となっている。エリコの町長をはじめ、要人は全てそこに集められていた。


 事前に報告は伝わっていたため、町長はおざなりな挨拶ながら彼らを受け入れてくれた。だが、居合わせた幾人かからは「何故もっと早く来なかったのか」という無言の非難が感じられる。


 そして、闇渡りであるイスラの姿を見ると、いよいよ守備隊の面々の表情も険しくなった。イスラは何も言わずにサイモンらの後ろに下がった。


 叩き出されなかっただけマシだな、とイスラは思った。サイモンは町長と互いに情報を提供しあっているが、イスラは半ば上の空で、エリコの破壊された市街のことを思い出していた。


 彼らの行った蛮行を思えば、闇渡りが恨まれるのも無理からぬことだと思う。忌避される理由も、嫌悪される理由も、改めて問い直すまでもない。


「……継火手の方々も、四名も亡くなりました。エリコを守り切ることは出来ましたが、あまりに多くの犠牲を払いました」


「心中お察しします。だからこそ、これ以上被害を出すわけにはいかない。そう思いませんか?」


「それはもちろん……」


 サイモンの叱咤に一応はそう答えたものの、町長の不安げな様子は少しも変わらなかった。無理からぬことと思う反面、調査隊の面々にとっては歯痒い態度だった。


「逃げていった闇渡りの追撃は俺たちがやります。一戦交える、ってわけにはいきませんが、連中の行き先や目的が分かれば、対策だって立てられる」


「……面目無い、我々にはそれをするだけの余力もありません」


 現在のエリコの状況を考えれば、守備隊の人数をこれ以上割くことなど不可能だ。負傷者の搬送や瓦礫の撤去、周辺の警戒に市民の警備等、一兵も欠かすことが出来ない。だからこそ、自由に動くことの出来る調査隊の存在は有難いものだった。多少胡散臭い連中とはいえ、パルミラのお墨付きもある。贅沢は言っていられなかった。


 だが、話がまとまりかけたところに、怪我人の手当をしてきたマスィルが戻ってきた。


 そして、壁際に佇むイスラを見るなり、怒りも露わに彼に詰め寄った。



「おい、何で闇渡りなんかがここにいる?」

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