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【第九十三節/火花の継火手】

 パルミラより馬で三日ほどの距離に、エリコという街がある。


 豊かな湧き水によって人々を集めたこの街は、同時に森と砂漠の間に造られた関所としての側面を持つ。主な産業は林業や狩猟、採取であり、人々は必然的に天火アトルの影響下を出なければならない。従って、パルミラの神殿より五名もの継火手が派遣されており、いずれも夜の世界に踏み出すことを恐れない勇敢な乙女たちだった。無論、彼女たちを守護する守火手も、相応の実力を持った武者揃いである。


 そんな中にあって、継火手マスィルと守火手ヴィルニクの間柄は、他とは少し変わっていた。


 互いに幼馴染として育った二人だが、マスィルはその荒々しい法術や勝気な性格も相まって『火花のマスィル』と呼ばれている。一方のヴィルニクはというと、カバという妙な名前が示す通りに、大柄な体格に大らかな性格を備えたおっとりとした少年だった。


 二人の性格を入れ替えた方がしっくりくる、とは誰もが思うことだ。


 そんな性格上の不調和は、当の二人が誰よりも良く実感していた。特にマスィルからすれば、幼馴染の守火手が低く見られていることに歯痒さを覚えることもあった。それで、もっと堂々とするようにといくら注意しても、ヴィルニクはのほほんとした表情で「いやあ、面目ない」と言うばかりだった。


 決して武術の腕が悪いわけでもなければ、勇気が無いわけでもない。ただ、戦士には向かないほど性根の穏やかな男だった。


 だからこそ、突出しがちなマスィルを庇うことが出来たし、尖りがちな考え方を諫めることも出来ていたのだ。


 そして、彼にとって目下最大の悩みは、マスィルの慕っていたベルニケが闇渡りたちによって無残に殺害されてしまったことだった。


 数日前にパルミラから報告が来た時、日に焼けたマスィルの顔が、さっと白くなったように見えた。「一人にしてほしい」と言って神殿の祈祷室に籠り、少量の水と食事を摂る以外はずっと経典と睨み合っている。


 短気な祭司として知られているマスィルが、そういう風に敬虔な態度をとっていることに人々は驚き、なおかつ成長したと褒めそやした。


 だが、付き合いの長いヴィルニクは、彼女が必死に怒りを押し殺している時ほど、爆発した際の威力が大きいことを良く知っていた。


 願わくば、彼女の心の整理がつくまで闇渡りたちに現れないでいて欲しい。そう思っていた。



 だが、パルミラからの報告が届いてから四日後、すなわち継火手ベルニケが殺されてから一週間目に当たるその日、エリコの街は闇渡りの大軍によって包囲された。




◇◇◇




「ついに来たかッ!!」


 ヴィルニクが大慌てで祈祷室に向かった時、マスィルはすでに武装を整えていつでも戦いに出られるように支度したくを終わらせていた。


「ま、まっておくれよマスィル。まさか最前線に出るって言うんじゃ……」


 おろおろと引き留めようとする彼に向かって、マスィルは大声で「たわけッ!」と怒鳴った。ヴィルニクは両手で耳を押さえる。


「お前こそ何を言っているんだ! すでに連中は森側の城壁を囲んでいる。この街のどこもかしこも、すでに最前線さ!」


 数日間の悄然とした様子が嘘のように、マスィルは緑色の瞳をギラギラと輝かせていた。波打つ赤い髪を青いリボンで固く縛り、白い祭司服の帯には短刀を差している。継火手はふつう杖を持つものだが、彼女の場合杖というよりも長柄の斧のような形をしていた。刃の部分には聖銀が用いられている。


「そりゃあそうかもしれないけどさあ。わざわざ城壁まで行く必要は無いよ。流れ矢だってビュンビュン飛んでるんだから……」


「だからこそ、我々が行って敵の気勢を削ぐべきだろう!」


「どうせ彼らに城壁は破れないんだし、それは最後のひと押しにやれば良いんだよ。君はもっと継火手らしく振る舞わないと」


「またそれか! いい加減に聞き飽きたぞ!」


「僕だって言い飽きたよ。マスィルにもっと落ち着きがあったら、友達だって増えるのにねえ」


「ええぃ、小姑のようにグチグチと! こんな時にまでお前の説教を聞きたくない! おらっ、とっとと行くぞ、ついてこいッ!」


「えぇ……」


 そういうなり、マスィルはヴィルニクの籠手を引っ掴んでぐいぐいと引きずっていく。こうなるともう何を言っても無駄だ。覚悟を決めるしかないな、とヴィルニクは観念した。


 エリコの城壁は街全体を取り囲む形で造られているが、森側にある裏門は他の箇所よりも高く設計されている。


 特に裏門の大扉を支える二つの塔は、随所に弓兵を配置するための台が設けられている。他にも城壁をよじ登ってくる敵に煮立った油を降らせるための大釜や壺、山積みになった岩や瓦礫、梃子の原理を応用して造られた巨大な投石機等、これでもかというほどの防御の手数を有していた。


 これらは全て、森側から攻めてくる闇渡りを迎撃するための設備であり、これまでに何度かあった大規模な襲撃をことごとく粉砕している。



 だが、どんな防衛拠点にも増して、継火手の存在は兵士たちの士気を高めていた。



 マスィルが城壁に姿を見せた時、それまで硬い面持ちだった兵士たちに生気が宿った。敵の矢面に立つことを恐れないマスィルは、エリコの兵士たちから厚い信頼を寄せられていた。彼女もそれに応えようと必死に鍛錬を積んでいることを、ヴィルニクは良く知っている。


 そんな彼女でも、眼下に広がる光景にはさすがに緊張を隠せないようだった。


 事前に大軍とは聞かされていたが、いざ実際に目にすると、襲撃してきた闇渡りの数は想像以上に多く見えた。


 エリコの裏門の前には、伐り出してきた木材を加工するための大きな加工場があるが、そこも見渡す限り闇渡りによって埋め尽くされていた。城壁からの攻撃によってほとんど一方的に薙ぎ倒されていくが、次から次へと森から湧いて出てくる。獣のような雄たけびを上げ、死に物狂いで矢を放ってくるため、気迫ではかえって押されているくらいだ。


 城壁の裏側に張り付いて矢をやり過ごしながら、マスィルは斧の柄を手の平で叩いた。脚が少し震えている。


「いやあ、すごい数だね」


「ああ」


「下手したら都軍並みの戦力だ。パルミラへの応援は、もう頼んだの?」


 ヴィルニクは現場を受け持っている隊長に尋ねるが、彼とてそれを確認するどころではなく、雨のように降ってくる矢を凌ぐので精一杯といった様子だった。


「マスィル様、敵の数が多すぎてまともに撃ち返せません!」


 半泣きの隊長が怒鳴るが、そんなことはマスィルとて百も承知だ。そのために自分がここに居るのだから。


「だってさ、マスィル。やれる?」


「当然だ! 私は継火手なんだぞ!」


「ああ、そうだね。援護するよ」


 ヴィルニクは背負っていた盾を左腕に装着し、もう片方の手で子供の背丈ほどもある弩を構えた。ザンバーハという名前の武器で、本来なら操作桿を回して弦を巻き上げるのだが、ヴィルニクの膂力なら強靭な弦を引っ張り上げることが出来た。そのため構造は普通のザンバーハよりはるかに簡単になっている。


「マスィル」


「……油注がれし者に祝福を与えん、秘蹟サクラメント!」


 マスィルの手が右肩に置かれると、ザンバーハを構えた腕が炎に包まれた。ヴィルニクは鉄の鏃のついた矢を装填し、武器を左腕の盾の上に乗せる。


「風は追い風、機構にも問題無し……あいつ、かなぁ」


 ぼそりと呟いた時には、ヴィルニクは狙いを定めて引き金を引いていた。バチン! と鋼線の跳ねる音が響く。強大な張力から解き放たれた矢は風を貫いて進み、鬨の声をあげていた闇渡りの頭を吹き飛ばした。


 闇渡りたちは依然として獰猛な攻めを続けているが、ヴィルニクによって射倒された男の居た辺りは、明らかに浮足立った。指揮官なのか族長なのか、詳しいことは分からないが、何となく「偉い奴」なんだろうなとヴィルニクは直感していた。それが見事に当たった形だ。


「当たりだ。マスィル、あの辺りなら崩せるよ」


「……いつも思うけど、お前のその勘の良さは何なんだ」


 相棒の抜け目無さというか、奇妙なほど本質を見抜く能力を目にするたびに、マスィルは守火手に対して軽い嫉妬を覚えるのだった。


 だが、さすがに今はそんなことも言っていられない。二発目を装填しながら、ヴィルニクが「早く早く」と急かしてくる。


「言われなくても分かっている! 我が彩炎よ、雷光の如くあだを散らせ、雷天使の火花バルビエルズ・ブライト!」


 マスィルはさっきヴィルニクの撃ち込んだ場所を思い描くと、目を閉じて斧の石突を城壁の上に打ち付けた。すると、彼女の思考した地点を中心に魔法陣が展開し、直後にその真上で無数の火花が巻き起こった。


 光の連鎖爆発に巻き込まれた者たちは、例外なく吹き飛ばされ、中には爆発の衝撃で肉体ごと千切り飛ばされる者まで出る始末だ。それほどまでに、マスィルの法術は強力なのだ。


「どうだ見たか、闇渡りめッ!」


「マスィル、身を乗り出したら危ないよ。良いから、僕の撃った場所を狙っておくれよ」


 ヴィルニクは片足を城壁に載せていたマスィルを背後に引っ張り込み、彼女の反論の声を受け流しながら淡々と二発目を装填する。そんな風にのんびり出来ているのは、二人の攻撃で確かに闇渡りたちの気勢が削がれたからだった。


 さらに、他の配置場所に立った継火手たちも、各々が思い思いの法術を展開して浴びせかけている。最初はなし崩し的に攻められていた防衛隊も、次第に反撃へと転じ始めていた。


 ヴィルニクは頭上に翻る旗を見上げた。射手として風向きは気になるところだ。


 だから、先ほどまで追い風だったのが、向かい風に変わっているのを見た時、言いようのない不安を覚えた。

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