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【第九十一節/「世界で一番美味しいもの」 上】

 継火手殺しの真相調査は、難民団代表の半数以上の賛成によって可決された。カナンは反対票を投じていたのだが、指導者とは言え一票は一票。そもそもそういう風に定めたのもカナン自身だ。


 まだもやもやとした感情は残っているが、代表たちが危険な仕事に賛成した理由も理解できる。


 大坑窟の住人には、元闇渡りも数多く含まれていた。長らくベイベルの黒炎に照らされていたおかげで肌は焼けているものの、もし露見すれば追放されるかもしれない。そんな恐怖感が染みついているのだ。


 それに最も熱心に調査を願い出たのは、その矢面に立つサイモンたちだった。元々血気盛んな連中だが、難民団の危機に居ても立ってもいられず、何かあれば率先して戦うと宣言した。そんな風に言うのは、やはり難民団の守り手としての自覚が共有されつつあるからだろう。今の状況は、政治的観点から見れば確かに致命的だ。


 そうしなければならないことくらいカナンにも分かっている。それでも彼女は、こみ上げてくるため息を押しとどめることが出来なかった。


 会議室のなかでペトラと二人きりになるなり、カナンは大きなため息をついた。


「憂鬱そうだね、カナン?」


「……当然です」


 また、血を流すことになる。流血沙汰は大坑窟で散々味わったし、死んでいった者も大勢いる。闇渡りの集団がどれほどのものかは分からないが、一つの村を根こそぎ略奪するような連中だ。相当の規模があるに違いない。


 何より、今回は迂闊に天火アトルに頼ることが出来ない。闇渡りたちの使った力がどのようなものであれ、下手に力を振るって返された場合、被害を広げることになりかねない。それなら最初から使わない方がましだ。


「あいつらだって、自棄になったり、己惚れてるわけじゃないんだ。そこんところは信用してやってほしいな」


「それは……分かっているつもりです。でも、今度は法術だって使えない。遭遇戦になれば、どうしても死傷者が出てしまう……」


「戦いである以上、ある程度は仕方のないことさ。第一、まだそうなるって決まったわけじゃないんだよ。首尾よくことが進んで、連中の手の内を知ることが出来たら、そこでお役目御免になるさ」


「…………」


 カナンは何も言わずに片手で頭を押さえた。


 整った美しい顔にも疲労の色が濃く浮かんでいる。いくら継火手が肉体的に頑強とは言っても、カナンほどの重責や職務を抱え込めば疲れずにはいられない。難民団が存続していられるのは、彼女の超人的な働きに依るところが大きいのだ。


 カナンの精神が摩耗しつつあることには、ペトラも他の代表たちも気付いていた。それでも、無力な彼らでは結局カナンの能力に頼るしかない。


 ペトラも歯痒かった。だから、ずっと思っていたことを口に出した。


「カナン。あんた、ちょっと休みな」


「はい……ちょっと仮眠を……」


「違う違う。三日くらい、かな……それくらいなら、何とかあたしらだけで場を持たせられるからさ。現場のことはサイモンが上手くやるだろうしね。だから、あんたは三日間お休みだよ」


 カナンはきょとんとしたまま固まっていた。ペトラの提案が唐突だったこともあるが、いつの間にか休むこと自体を忘れてしまっていたのだ。しばらくその言葉の意味が理解出来ず、それを忘れてしまうほど忙しくて、必死だったのだと思い至った時、確かに休まなければならないな、と思った。


 だが、心配ではある。こんな大変な時に自分が休んでいるのでは、難民団全体の動きが止まってしまうのではないか。


(……それは、さすがに傲慢かな)


 カナンはかぶりを振った。


 難民団のために必死になっているのは、何も自分だけではない。ペトラもバルナバもサイモンも、それぞれが出来る範囲のことを頑張ってくれている。今は彼らの働きに全てをゆだねてしまっても良いのではないか。そうすることによって、難民団という組織自体がより強固になるかもしれない。


「分かりました。三日だけ休暇を取ります」


「ああ、それがいいよ。調査隊の手配とかはやっておくから、休日を満喫しておくれ」


「はい。でも、何か困ったことや緊急のことがあったら、遠慮なく言ってください」


「分かってるよ」


 カナンは立ち上がって大きく伸びをした。これから休むんだ、と思うと、自然と肩の凝りが取れていくような気がした。目も霞んでいるし、腰も痛い。書類仕事が多かったからだろうか? 気が緩んだ途端、それまで無視していた疲れがどっと押し寄せてきた。


 だが、いざ休むとなると、何をして良いのかまるで分からない。仕事中は、やるべきことが次から次へと思い浮かんでくるのだが、休みの計画となると話は別だ。これだけ疲れているのだから、無理して遊ばずにずっと寝ていても良いかもしれない。だが、それだとあまりに味気ないし、わざわざ休暇を作ってくれたペトラたちにも申し訳ない。


 結局、カナンは休みに入っても頭をひねってしまう性分だった。そんな彼女にペトラは苦笑まじりに言った。


「何なら、イスラと一緒に過ごしたらどうだい?」


「え……ええ!?」


「継火手と守火手なんだから、それくらい当たり前だろ?」


「そ、それもそうですねっ。そうです、けど……」


 いざイスラのことを意識すると、気恥ずかしくてたまらない。以前はもっと自然に接することが出来たはずなのに、今は彼のことを考えただけでもじもじしてしまう。自分はこんなに引っ込み思案で不器用だっただろうかと自問せずにはいられなかった。


「何をやったっていいじゃないか。買い物でも食事でも、そうそう、賭博なんてのもありだね」


 見かねたペトラはぼりぼりと頭を掻きながら言った。官僚として、指導者としてこれほどの才覚を示せるカナンが、たった一人の闇渡りとの関係に右往左往している。可愛げがあると思う反面、もどかしいし歯痒く感じた。


 そもそも遊び方を知らない可能性さえある。本を読んだり、知識を蓄える趣味はあれど、頭の中を空っぽにするような娯楽に触れたことはなかったのではないか。


「いっそ抱いてもらったらどうだい?」


「だ、だだ、抱いてって、その……そういう意味・・・・・・の?」


「そういう意味の」


「…………」


 カナンは真っ赤になった頬を両手で挟みこんだ。何度もユディトをからかってきたカナンだが、いざ自分がその立場に立ってみると、翻弄されるばかりだ。


「ともかく、イスラは明後日には出発するんだし、今日はゆっくり休んで、明日どうするか良く考えなよ。こっちでもいろいろ手はまわしておくし、あんただってイスラと一緒に居たいだろ?」


「それは……そうですね」


「じゃあ決まりだ。さ、あとはやっておくから、あんたは自分の部屋に戻りな」


「……はい。ありがとうございます、ペトラさん」


 頭のなかでぐるぐるとイスラのことを考えたまま、カナンは廃船の中の自室に戻った。だが、明日どうするか考えているうちに疲れが押し寄せ、着替えもしないままベッドの中に倒れ込んでしまった。

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