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【第八十三節/営業聖女とトビア君 下】

 装飾商デメテリオは、パルミラの商人会議に参加している商人のなかで最年少の男だ。彼の店は代々宝飾品を扱う小さな店であったが、彼の才気と旺盛な野心によって、代替わりとともに大躍進を遂げた。


 成功の秘訣の一つに、彼が流行を的確に見極める眼力を備えていたことが挙げられるだろう。煌都の人々が何を欲しているか、どのような物に興味を抱いているのかを読み取ることが抜群に上手だった。


 それだけなら彼はただの商人で終わっただろう。彼が非凡なのは、流行の半歩先に向かってすぐに踏み出すことが出来る点であった。


 半歩先に踏み出すのは簡単なようでいて難しい。一歩先では駄目なのだ。既存の人気作の要素を押さえつつ、やり過ぎない程度に新しさ、物珍しさを組み込まなければならないからだ。もしこの比率が崩れてしまった場合、誰からも見向きもされなくなってしまう。


 だから、デメテリオ本人は常に流行に対して敏感でいようと心がけていた。


 服は季節や行事、人によって何種類も使い分け、そのたびに中指にはめる指輪や耳飾りを交換した。富豪という人種は様々なやり方で財産を誇示するものだが、デメテリオの場合は頻度・・こそが最大の武器だった。様々な服はあくまで台座や前座であって、本命は中指にはめられた最高級の指輪なのだ。


 洒落者として振る舞うことによって、自ら商品を主張する……確かに二枚目寄りの顔立ちだが、やや自己愛的というそしりはまぬがれないだろう。そうした声は、雑音として無視することに決めていた。


 そんな彼だから、カナンの来訪に際して今最も売れ筋の服を着て待ち構えていた。


 シャルワール・カミーズは、それぞれゆったりとしたズボンとシャツのことで、二つまとめて着るのが通例だ。パルミラよりもやや南の地域で伝統的に使われているものだが、最近この街で魅力が再発見され、男性の通人はたいていこの服装をしている。丈は長いが意外と動きやすく、通気性も良いため平服としても使いやすい衣装だった。


 だがデメテリオの着ているものは、全て絹から織り上げられている。白い布地には繊細な刺繍が施されており、簡素ながら上質であることを示している。

 それに合う装飾品として、デメテリオは大粒のトパーズをはめ込んだ指輪を選んでいた。まさに準備万端だった。


 そうして気合を入れていただけに、カナンが何の変哲もない……それどころかやや貧乏臭ささえただよう服で執務室に通されてきたときは、いささか肩透かしな気分にさせられた。それでも仕事用の笑顔を作ってカナンを迎え入れる。


「ようこそおいでくださいました」


「こちらこそ、お招きいただき感謝しています」


 カナンは礼儀正しく胸に片手を当てて会釈した。服装に難こそあれ、所作の上品さは間違いなく上流階級出身者のものだ。デメテリオは、ますます惜しいな、という思いを抑えきれなくなった。


 商談は、難民団が受け持つ仕事内容の確認や工房の設備の説明、そして昨今の市場についての雑談に終始した。カナンはデメテリオの提案に的確に回答し、時々鋭い質問を突き付けてきた。そのたびに、本当に成人したばかりの女性なのかと疑いたくなった。


 話題が店で取り扱っている新作の話に移った時、デメテリオは試みに一つ切り出してみた。


「……そういえば、初めてお会いした時から思っていたのですが、エルシャの継火手ユディト様と何かご関係がおありでは?」


「ユディトは私の姉です」


 デメテリオは得心したと言いたげに頷いた。


「なるほど、道理で御顔が似ておられるわけだ。瓜二つと言っても良いですな」


「どうして姉をご存じなのですか?」


「ユディト様には常日頃からお引き立てをいただいております。いや、当店の最も大切なお客様の一人と言っても良いでしょう。数年前にパルミラに来られた際、当店の物をお買い求めになられまして、それが遠くエルシャで大流行いたしまして。お陰様で、伸び悩んでいた時期を脱することが出来たのです」


「ああ……そういえば、よくお手紙が届いていました」


「季節ごとに新作の御案内をさせていただいています。そのお知らせでしょうね」


 エルシャの実家には毎日数え切れないほどの手紙が届けられていて、一つ一つ目を通していくのも面倒になるほどだった。姉妹宛の手紙はほとんどが恋文だったため、ユディトもカナンも宛名だけ見て捨ててしまうのがほとんどだった。


 そんな中、季節の節目ごとに届く一通だけは、やけにウキウキした様子で持ち去っていたが、こんな事情があったわけだ。


「……失礼ながら、貴女とユディト様では、ずいぶん嗜好が異なっておられるようですね」


 デメテリオの言おうとしていることはカナンにも分かった。


「その……私は姉のように、衣装にはあまり興味が無くて……」


「それはいけませんな!」


 デメテリオはガタッ! と椅子を鳴らして立ち上がった。驚いた三人は肩を竦める。


「貴女が我々と商売をするだけの能力があることは分かります。資本に関しても問題は無い。



 だが!



 いざ装飾品を取り扱おうとする本人が、それに興味が無いというのは良くない。いやまったく良くない!」


 彼は机の引き出しを開けると、小さな箱を取り出してカナンの前に差し出した。中には深い青色を湛えたサファイアが鎮座している。


「ともに商売をするよしみとして、これを貴女に差し上げましょう。もちろんお代はいりませんし、借りと感じていただく必要もございません。


 ただし、一つ条件があります」


「な、なんでしょう?」


 彼の気迫に若干圧倒されつつ、恐る恐るカナンは訊ねた。


「貴女に預けた工房で、最初に作る作品に、そのサファイアを活かしていただきたいのです。指輪にするか、腕輪にするか、そうした形式は自由に考えてもらって結構。ただし、絶対に人任せにせず、貴女自身も加わって考えるのです。


 そして、完成した作品を身に着けてもらう。そうすれば下手な服など着れますまい。嫌が応でも、服装や宝石の力が分かるはずです。貴女のような方には、是非ともそれを大切にしていいただきたい」


「は、はあ……」


 ただの優男かと思いきや、意外なまでの情熱をぶつけられたカナンはたじたじとなった。ほとんど生返事になったが、それでも彼女にはサファイアを受け取る以外の選択肢は無かった。



◇◇◇



「何だか妙なことになってしまいました」


 店から出るなりカナンは嘆息した。宝石箱は懐にしまい込んだが、それが妙に重たく感じた。


「でも、あの男の言うことだって一理あるよ。あんたは化粧っ気が無さすぎるんだ」


「そんなことありませんよ」


「いいや、自覚してないだけさ。オルファなんかもっと気合を入れてるよ。好きな男の気を引こうとしたら当然……あんたもやりゃあ良いんだよ」


 ペトラはあらためてカナンの身なりを観察してみた。白いブラウスに緑色のチョッキ、脚線の出る茶色のズボン……それぞれ仕立ては良いのだが、数々の激戦を繰り広げてきたせいであちこちにほつれや修復痕が出来ている。これでは確かに、身だしなみに気を付けろと言われても仕方が無い。ましてや宝石や装飾品に興味が無いと断じられても否定は出来ないだろう。


「むぅ……」


 以前は身だしなみにも気を付けていたのだが、イスラと旅を続けてきた弊害だろうか、あるいは忙しすぎたせいか、都市の人間としての感覚が鈍っているのかもしれない。香水を買ったくらいで大きな顔は出来ないな、と思った。


「今度、服でも買いな。あいつの宿題に合うようなやつをさ。なあ、トビアもそう思うだろ?」


 急に話を振られたトビアは、慌てて大道芸人の踊りから視線を戻した。


「え、あ、はいっ。そう思いますっ」


「だってさ」


「無理やり言わせましたね……でも、そうですね。確かに服は大切ですし、今度市場が出来た時に見てみようかな」


「そうしな。あたしも付き合って……いや、イスラに付き合ってもらったらどうだい?」


「な、なんでそうなるんですかっ!」


「必然だろ? それくらい押していかなきゃ、あいつの気は引けないって」


「その話は今度しましょう! 次、次行きますよ!」


 耳たぶを真っ赤にしながらカナンは手を叩いた。ペトラとしてはもう少しからかっていたかったのだが、カナンは二人をおいてずんずんと歩き始めている。


「次ったって、今日は終わりだろ? 帰ってやることがあるんじゃないのかい?」


「一つ、行きたい場所があるんです。もしかしたら仕事が見つかるかもしれません。それに、二人ともきっとびっくりしますよ」


 そんなカナンの言葉に、ペトラとトビアは顔を見合わせた。

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