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【第八十一節/河畔の決闘】

「決闘しましょう、イスラ」


 フフン、と鼻息を吹きつつカナンは宣言した。


 何の脈絡も無く一方的な宣戦布告を突きつけられたイスラは、「はぁ?」と胡乱げな表情を作る。


「サイモンさんから聞きましたよ。廃墟探索の件、提案したのはイスラなんですよね?」


「ああ、その話か。そうだ、俺が言った」


「あなたが行くつもりなんでしょう?」


「当然。言い出しっぺが行動しないでどうするんだよ。第一、俺はここに居たって何もできやしないんだ。それなら、自分に出来ることをやるさ」


 イスラは何の澱みも無くそう答えた。だが、カナンは少しも納得した様子は見えない。これは面倒なことになったな、とイスラは思った。


「あなたを行かせたくありません」


「何で」


「イスラが私の守火手だからです。その……私の、傍に居て……守ってもらわないと困りますっ!」


「いらねえだろ。お前強いし」


「そういう問題じゃありません! ……と、言い合ってたってしょうがないですからね。だから冒頭に戻って。決闘しましょう、イスラ」


 やれやれ、とイスラは頭を掻いた。カナンの頑固さは筋金入りだ。口で言い争いをしていたら、月の巡りが一巡してしまう。それなら確かに決闘なり何なりで勝負を決めた方が手っ取り早いだろう。


「なるほど、最初から勝算ありきってわけだ」


 カナンの実力はイスラよりも上だ。それは当人同士が互いに認め合っていることである。そもそもイスラに正式な剣の型を教えたのはカナンであり、風読みの里でも遅れをとることは一度も無かった。


「さあどうします?」


「やるって言わなきゃ、梃子でも動かないつもりだろ。……それに、いい加減白黒付ける頃合いだろうな。いいぜ、やろう」


 イスラは杖と木刀を一本ずつ投げ渡した。カナンはそれを手になじませるように数度振るってから、木刀の切っ先をぴたりと相棒に向けた。


 ちょっと離れてろよ、とトビアに言いつけ、イスラも木刀を構える。右手を大きく後ろに引き、半身で刀身を隠す。いつもの闇渡りの構えだ。


 二人は対峙したまま睨み合った。そこには先ほどまでの気安い雰囲気は一片も存在しない。二人の切り替えの早さに驚きながら、トビアは二人の対決を固唾をのんで見守っていた。


 だが、当然と言うべきか、最初に動いたのはイスラの方だった。足場の不安定を微塵も感じさせない爆発的な加速で、一気にカナンとの距離を詰める。


「それならっ」


 カナンは横薙ぎに振るわれた剣を両手の得物で受け止め、動きの止まったところに蹴りを入れた。


 イスラは即座に飛び退る。カナンは間髪入れずに追撃するが、足場の問題でどうしても踏み込み切れない。仕方なく深追いを避け、一歩ずつじりじりと漸進することにした。


 剣で牽制をかけながら、虎視眈々と杖での殴打を狙う。あわよくば足を刈って勝負を決めたいが、イスラは隙を見せなかった。


 膠着した。互いに決定的な隙を見せず、積極的に攻めもしない。相手の出方を見ることのみに注視し、いつか綻びが生じるのを待つ構えだ。


 だが、その間二人の間で交わされた応酬は、決して地味なものではない。


 カナンは二本の得物を巧みに操り、一手ごとに異なる手管をぶつけてくる。イスラはほぼ一方的に守りに入っていたが、時折突撃を敢行してカナンを押し戻した。


 側から見ているトビアにとっては、意外な展開だった。もしかすると戦っている当人たちも同じ困惑を抱いていたかもしれない。二人の性格を考えれば、攻めるのはイスラ、守るのはカナンという構図になっていたはずだ。


(イスラって、こんなに粘り強く立ち回れた……?)


 先に動揺したのはカナンの方だった。


「……」


 左手の杖を回転させ、その勢いを加えて横に薙ぐ。イスラはさっと避けただけで、その大振りな攻撃に付け込もうとはしなかった。


(やっぱり……用心深くなってる)


 以前のイスラなら、まんまとこの誘いに乗ってきたことだろう。それをせず、冷静にカナンの行動を見極められるのは、彼の実力が一段上に上がったことを意味する。自然とカナンの唇はつり上がった。


 だが喜んでばかりもいられない。イスラが飛び込んでこないとなれば、彼女もやり方を変えるしかない。


 カナンは木刀を投げ捨て、杖を両手に持ち替え構えた。イスラには見せたことのない接近戦用の構えだ。


 もともと、カナンの戦闘スタイルは他に例を見ないほど特異なものだ。強力な法術を活用するためには権杖が必要だが、同時に接近戦に対応するために細剣を携えている。その二つを同時に過不足なく扱う器用さも一つの強みなのだが、それ以上にカナンには、法術が使えなくなった場合の奥の手があった。


 それが、ギデオンでさえ舌を巻くほどの棒術の腕前だ。


 イスラは攻めてこない。カナンが武器を切り替えたことを警戒している。その危惧は間違っていないが、彼女にとっては好都合だった。


「行きます!」


 両手に持ち替えた杖を構え、カナンは前進した。イスラのように爆発的な突進ではないが、繰り出された打突の鋭さは決して彼の攻撃に劣るものではない。むしろ、それまでのカナンの動きに慣れ切っていたイスラには、彼女の動作が何倍も素早くなったように思えた。


 木刀で杖を弾きやり過ごす――が、カナンは間髪入れずに杖を振るい、イスラの手の甲を狙い撃ちにした。


「っ!」


 当たる直前に手加減したのかさほど痛くはなかったが、注意を削がれたのは確かだった。その隙に付け入るように、カナンは一歩踏み込んで連続で突きを放つ。


「遅いですよ、イスラ!」


「チッ」


 カナンの打突には全くといって良いほど隙が無い。無理のない姿勢から、威力よりも精度と速さを優先して確実に攻撃を叩き込んでくる。


 だが、隙を突く以前に、カナンはイスラと十分な間合いをとって戦っている。技術の差に加えて得物の長さの差においてもカナンは優越していた。


 イスラにとって歯がゆい展開だった。無理に仕掛けようとすれば確実に逆撃を叩き込まれる。かといって守勢に回り続けるわけにもいかない。なにせ、自分の守り方が下手なことは彼自身が自覚していることなのだから。今はぎりぎりで持ちこたえているが、いずれほころびが生じるのは避けられないだろう。


(ったく、相変わらず滅茶苦茶強いなこいつ。何が守ってもらわないと困る、だ!)


 ちょっとイラついてきた。ここまではお行儀よく戦ってきたイスラにも、限界が近づきつつあった。


 だが猪突するわけにはいかない。突っ込めばそのまま川の中に吹っ飛ばされて、ずぶ濡れになったまま勝ち誇ったカナンを見上げる羽目になる。それだけは避けたい。


(……待てよ。勝ち誇る?)


 悪いことを思いついた。


 木刀を大上段に構えて斬りかかる。あっさりと受け止められるが、イスラはなおも手を緩めずに攻撃を繰り返す。単純で大ぶりな動作になったのを見計らい、カナンはイスラの忍耐が限界に達したのだと思った。そう簡単に信じ込んでしまったのは、進展の無い戦いに彼女自身うんざりしつつあったせいかもしれない。杖だけになった時点で、速攻で勝負を決めるつもりだったのだから。


 だから、カナンはまんまとイスラの木刀を弾き飛ばしてしまった。手から離れた木刀はくるくると回転し、彼の背後の砂地に突き刺さる。「私の勝」そう言い切る前に、カナンの杖は両手でがっしと捉えられていた。



「掛かりやがったな」



 イスラがニッと口を吊り上げる。


「ちょ、反則……!」


「うるせえ! 戦いに反則も糞もあるか!」


「あっ!」


 すぽん、とカナンの手から杖が抜き取られる。どうしよう、と頭の中が一瞬真っ白になって、気がつくとカナンは、砂の上に押し倒されていた。


 イスラの顔がすぐ目の前にある。彼は軽く笑みを浮かべて「俺の勝ちだな」と言った。


「……私の方が先に武器を奪っていました」


「奪わせたんだよ。第一、武器が無くなったからって戦いが終わるわけじゃない。そういう甘さが命取りだ」


「……ふんっ」


 カナンは頬を膨らませてそっぽを向いた。勝負に負けたことも悔しいが、今の構図に少なからずときめいてしまっていることも悔しかった。赤く染まった頬は、全力で戦っていたせいだと勘違いしてほしい。


 イスラはカナンの手を取って立ち上がらせた。服についた砂を払い落としながら、カナンは「いい気にならないでくださいっ」と自棄気味に怒鳴った。


「実力は、まだまだ私の方が上なんですからねっ!」


「ああ、そうだろうな。でも勝ったのは俺だぜ」


「ぐぬぬ……!」


 イスラは得意げな顔で顎に手を当てた。片手で拾い上げた木刀をくるくるとまわしながら何かを思案していたが、やがて「決めた」と呟いた。


「トビア、ちょっとこっち来い」


 イスラが手招きする。何だろうと思ってついていくと、イスラはおもむろに彼の肩をつかんで、カナンの方に向けた。


「俺が留守の間、こいつの面倒はお前が見てやってくれ」


「え!?」


「ま、待ってくださいイスラ! どうしてそういう話になるんですか!?」


「どうしてってお前、俺に負けただろうが。お前だけが条件をつけて、俺からは条件を出せないのは不公平だろ?」


 だから対抗して条件を提示しなかったのか、とカナンは先ほどの会話を思い出していた。確かに自分は勝利条件を述べたが、イスラは何も言ってはいなかった。カナンは空を仰ぎ、ぺちっと額に手を当てた。


「じゃ、そういうわけでお前も……」


「ま、待ってくださいイスラさん! 剣の練習とか、どうするつもりなんですか!? それに、もしイスラさんが探索に行くのなら、ぼくだって……!」


「駄目だ。お前はカナンにくっついて、いろいろ勉強しろ。俺とチャンバラやってるより、ずっと為になるだろうさ」


 じゃあよろしく頼むぜ、と言い残して、イスラは川辺を立ち去ってしまった。あとに残された二人は顔を見合わせたが、そんな二人の間を冷たい川の風が吹き抜けていった。

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