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【第七十一節/煉獄】

 謀られた――自分の真上から降り注ぐ天火を見上げながら、ベイベルは刹那のうちにカナンの戦略を理解した。


 カナンの目的は、最初からベイベルを自滅させることにあったのだ。ここまでに彼女が積み上げてきた言葉の数々は、全てそのためのものだ。


 ベイベルの根源にある恐怖と欲望を見抜き、絶対強者という立場を逆手に取って挑発し、果ては命を削る術をおとりにして相手の力を暴発させる……その戦略の根底にあるのは、限られた情報から他者の内面を推測する、想像力だ。


 ベイベルの勝利条件は、カナンの熾天使の羽衣ラファエルズ・ローブを耐え切り、相手を殺害することにある。それは、無限の天火を持つベイベルにとって難しいことではない。


 だが、カナンは事前にベイベルの恐怖心を指摘することで、持久戦の選択肢を奪ってしまっている。




 カナンには、ベイベルが消極的な決断は選ばないという確信があった。




 だからこそ、熾天使の羽衣ラファエルズ・ローブの威力を最大火力の一歩手前……ベイベルの出せる威力と同等に留め拮抗させることで、彼女に対し限界を超えるか否かという二択を突き付けたのだ。


 ベイベルは消極策を選ばない。何故なら、自身の恐怖心から目をそらすことが、彼女の人生であったからだ。カナンの言葉を認め、恐怖を克服しようとしなければ、今度は人生そのものを否定することになる。



 つまり、心を読み取られ、敗北前提の・・・・・力比べに持ち込まれた時点で、ベイベルに完全勝利の目は無くなっていたのだ。




「それほどまでに余を理解しながら、お前は……!」




 倒れ行くカナンに向けて、ベイベルは手を伸ばす。


 その全身を、降り注いだ黒い天火が焼き尽くした。


 大坑窟の暗闇を貫くほどの絶叫が、ベイベルの口から迸り出る。それは言語を絶した痛みだった。彼女がこれまで利用し、なおかつ恐れてきたものが、彼女の身体を余すところなく炙っていく。


 だが、いつまで経とうとベイベルが完全に燃え尽きることはない。彼女を焼くのと同じ速度で、彼女の天火はその肉体を再生させた。皮膚が焼ければ皮膚を、骨が炭になれば新しく作り直す。


 黒い天火はベイベルの内側から発していた。それを抑えてくれる門はすでに無い。行き場を失った天火は狂暴に猛り狂い、無秩序な嵐となって周囲を焼き焦がしてく。


 それはまさに、宗教が語る煉獄の光景だった。


 罪を犯した者は、尽きることのない炎の中で永遠にその身を焼かれなければならない。




 ――何故だ。




 灼熱する脳の内側で、ベイベルは問いかけた。強者たる己がこのような目に遭っていること、そも自分が強者として生まれてしまったこと、そして何より……。


「カナ、ン……なぜ、お前には……!」


 意識を失ったカナンは、イスラの腕の中で目を閉じていた。イスラは剣を握ったまま固まってしまった彼女の手を握り、降り注ぐ天火の奔流を受け止めている。


「な、ぜ……お前に、だけ……お前には……!!」


 炭になり、蘇り、また炭になりながら、ベイベルはカナンに向かって腕を伸ばす。途中で焼けて崩れ落ちようと、それは即座に回復し、燃え続ける。そこには最早敵意も害意も無かった。ただ、ベイベルはひたすらに理不尽だと思っていた。不公平だと思っていた。




 誰かから守られるカナンが、羨ましかった。




「……そんなツラしたって駄目だ」


 剣をベイベルに突き付け、イスラは言った。


 動きを止めたベイベルは、憎らしそうに彼を睨んでいる。その視線に臆する理由など何一つない。何か感情を抱くとすれば、憐憫の情だろう。


 だが、それは駄目だと、イスラは思った。


「人から情けをかけてもらうには、あんたは悪いことをし過ぎた……その報いは受けろ」


「ぬううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……!!!!」


 彼女の殺意に反応した天火が二人に襲い掛かる。だが、イスラは剣でそれを巻き取ると、カナンを抱きしめたまま地面に刀身を叩き付けた。


 限界まで溜め込まれた天火を一斉に開放し、石橋を破壊する。炎とともに粉塵が舞い上がり、怒りと苦痛の絶叫が再度沸き上がった。


 最早ベイベルには、彼らを追いかけることなど出来なかった。

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