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【第六十九節/光を運ぶ剣】

 その剣はまるで、満月の放つ金色の光を刃の形に鍛え直したかのようだった。


 形は伐剣に似ているが、刃渡りの長さは長剣とさほど変わらず、直剣と曲刀の合いの子のような意匠を採っている。だが、やはりと言うべきか刀身の広さや太さはイスラの愛する伐剣そのものだった。


 そして何よりも不可思議なのは、琥珀のような刀身の中で燃え盛る蒼い炎だ。剣の中に閉じ込められたそれは持ち主の戦意に応えるかのように激しく波打っていた。


「ほう?」


 ベイベルは微かに驚きの声を漏らしたが、さほど脅威と捉えてはいなかった。真正面から斬り掛かるイスラに対し、左腕から黒炎の塊を生み出し叩き付ける。


 それでさえ耳をつんざくような爆音と閃光を放った。普通の継火手が詠唱を通じてようやく発動出来るような攻撃も、ベイベルにとっては無詠唱で行えるのだ。もちろん直撃すれば手足くらい簡単に吹き飛ぶだろう。


「甘い!」


 だが、イスラは爆炎を突破し、そのままベイベルの左腕を斬り飛ばした。


「なんと……」


 驚いてはいるが、ベイベルは口ほど動揺してはいない。それは至近距離まで接近したイスラが一番良く分かっている。彼はいささかも油断していなかった。


 魔女の右手が天火を纏う。並みの剣よりも長く伸びたそれを振り下ろし、イスラを焼き斬ろうとする。


 彼は迷わずに振り返した。


 刃と刃が衝突したその瞬間、カナンとベイベルは共に、イスラの剣が黒炎を吸い込む・・・・のを目撃した。


 まるで引き寄せられるように天火がベイベルの手元を離れる。そうなれば、彼女の右腕を守るものは何も無い。左腕同様に断ち斬られ、肘から先が宙を舞った。


 黒い天火を取り込んだイスラは、剣を逆手に持ち替え地面に突き立てた。ホロフェルネスがギデオンとの戦いで見せたあの技――この剣ならば同じことが出来るかもしれない。


「吹っ飛べ!」


 イスラの怒声に呼応して、剣が取り込んだ天火を一挙に吐き出す。爆発は思惑通り床を砕き、石の散弾がベイベルを襲った。が、初めてのことで加減が利かなかったイスラも同様に吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がる。


 しかし、結果的にそれは吉と出た。


「我が蒼炎よ、御怒りの鏑となり悪を貫け、能天使の炎雷エクシアス・ボルト!」


 射線が空いた瞬間、カナンは用意していた術をベイベルに撃ち込んだ。高弾速の炎の矢は、魔女の顔の半分を捉え、その皮膚と骨、そして脳髄を同時に焼いた。


 この時カナンは、生まれて初めて、人間に向けて法術を放った。それも火傷程度の軽いものではなく、骨ごと溶かすような強力な術だ。相手が誰であれ、どんな状況であれ、こんなことはしたくはなかった。


 それでも今は撃つべき時だ。手加減して勝てる相手ではない。それに、いつもいつも、イスラにだけ汚れ仕事をさせるのも卑怯だ……と、カナンは思っていた。


 そんな風に考え事をしていたこと自体、カナンの慢心と言えるかもしれない。だが、両腕を失い顔の半分に大火傷を負った人間に脅威を感じるのは、難しいと言わざるを得ないだろう。審判など用意せずとも、誰がどう見ても二人の勝ちだ。



 そう、敵が普通の相手ならば。



「……大した威力だ。それに面白い剣を持っておる」


 ベイベルの傷口を黒い天火が覆った。見る間に失われていた骨が生え、筋肉が表面を覆い、肌が再生していく。まるで黒い炎の下のみ時間が逆行しているかのように。


 天火には傷を癒す力がある……それは常識だ。だがここまで極端ではない。過去の有力な継火手さえ、全力を尽くしてせいぜい指一本であったと伝えられる。


 自分のものとはいえ、頭と両腕を同時に回復させることなど、前代未聞と言うべきだろう。


 そんな常識を知っているカナンには衝撃的な光景だったが、イスラの動揺は小さかった。ホロフェルネスがやっているのを見ていたせいもあるが、この程度で驚き竦むほど、やわな神経はしていない。


 ただ、どうすればこの怪物を倒せるのか……それが見えない。ホロフェルネスは殺し続けることで追い詰められた。だが、あれに力を分け与えたのがこの女である以上、最低でもあの男より多く殺さなければならないのだ。


 ベイベルは即座にその迷いを嗅ぎつけた。


「闇渡りよ。お前は今、どうすれば余を殺せるのか思案しておるのであろう。どれ、一つ判断材料をやろうではないか」


 そう宣言するや否や、ベイベルは胸をはだけ黒い肌を剥き出しにした。そしておもむろに片手を掲げ、心臓のある位置に向けて自ら振り下ろした。


 胸骨の割れる音に、カナンは思わず目を背けた。だが、さらにおぞましいことに、ベイベルは自らの手で血の滴る心臓を摘み出し、二人の前で握り潰して見せた。


 それでもベイベルは、何事も無かったかのように立っている。胸の穴を黒い天火が塞いだ。


「……まあこういう具合で、心臓を突いても意味は無い。だが、あるいは首を刎ねたら、ひょっとしたら息の根を止めれるかもしれん。一つ試みてはどうか?」


「どうせ治せるんだろ。俺らが必死こいて首を斬ったところで、はい残念……そう言って絶望させるわけだ」


 ベイベルは楽しげに笑いながら肩を竦めた。的を射ていたのだろう。つくづく人を馬鹿にした奴だな、とイスラは思った。


「……カナン。正直、俺には勝ち筋が見えない。お前はどうだ?」


「私にも分かりません。もっと情報が無いと推論が立てられないから……」


「時間稼ぎをしろってことだな。良いだろう、やってやる」


「お願いします。……油注がれし者に祝福を授けん、秘蹟サクラメント!」


 イスラが差し出した剣に天火を流し込む。鐘の音が響き、イスラの右腕が蒼炎に包まれる。


「こそこそと相談をしても、何も変わらぬと思うがな。まあ良い、お前達は手札を見せた。次は余の手番である」


 ベイベルは両腕を高く掲げ、眼を閉じて詠唱を始めた。


「我が内に宿りし黒炎よ、言葉を鍵となし門を潜りて現出せよ」


 彼女の頭上に巨大な魔法陣が現れる。幅はおよそ五ミトラ(約五メートル)程度、その内側には濁流のように黒々とした炎が渦巻いている。


 円周に描かれた文字の一部が灼熱し、熔解していく。そのいましめが解かれた次の瞬間、魔法陣の内側に閉じ込められていた黒い天火が、さながら溶岩流のように流れ出てきた。


 黒炎は一瞬のうちに広場を覆い尽くし、津波のように二人に襲い掛かる。


「俺が抑える!」


 カナンの前に飛び出したイスラは、光剣を両手で構え、炎の波を受け止めた。止め処なく垂れ流される黒炎は彼の剣に吸収されていくが、半透明の刀身はその半ばまでもが敵の天火によって浸食されていた。


「ぐっ……!」


 衝撃に腕が揺さぶられる。油断すれば押し流されてしまいそうな力の流れに対して、イスラはあくまでも踏みとどまった。だが、限界は近い。熱が柄にまで及び始めている。


「我が蒼炎よ、御怒りの奔流となり悪を滅せよ、出でよ断罪の光! 能天使の閃光エクシアス・ブレイズ!」


 イスラの背後からカナンの法術が飛ぶ。蒼炎は黒い天火の波を幾度も突き破り、ベイベルの眼前まで肉薄するが、減退したそれはあっさりと振り払われた。


 だが、その間に射程外に逃れることは出来た。黒炎はベイベルを中心に渦巻いており、二人の立っている場所までは届かない。


「クソっ、一発凌ぐのにこの有様かよ!」


 イスラが呻く。剣による防御に加え、カナンの法術まで使ってようやく押し返せるといったところだ。


「天火の威力なら私の方が上です。勝ち目は……」


 自分の法術は確かにベイベルの天火を貫通した。最終的には減退させられたが、威力だけなら勝っている。カナンはそこに一抹の希望を見出していた。


 そんな楽観論は、すぐに嗅ぎ付けられる。


「何か勘違いしておるようだが……」


 ベイベルは、他人の絶望する顔が大好きだった。


「今のは攻撃でも何でもない、ただ門を開いただけのこと。……ハハッ、そんな驚いたような顔をするな。まだ早い。余の手札を見てからでも――遅くはあるまい」


 ベイベルの掲げた右腕に、周囲を渦巻く黒炎が引き寄せられる。それはホロフェルネスが見せた物よりはるかに強大だった。熱波が二人の髪を乱暴に搔き乱し、肌の表面が焼かれる。


「麗しき者よ、汝が力を此処に。天女の鞭イシュタルズ・ロッド


 淡白な詠唱と共に、圧倒的な暴力が解き放たれた。


 それは鞭というより、のたうつ大蛇のようだった。それも森や洞窟ではなく、伝説の中にのみ住んでいる架空の怪物のような。


 壁を抉り天井を崩し、巨大な炎の蛇が二人に迫る。


「それがどうしたッ!」


 迫る黒炎に向けてイスラは剣を振りかぶった。意識を剣と天火に集中させ、アラルト山脈の上空でティアマトの首を刎ねた時のように……。


「伸びろ!!」


 カナンの蒼炎に加え、ベイベルの天火をも取り込んだ炎剣は広場の天井にまで及んだ。それを大蛇に叩きつけ、その半ばより断ち斬る。


 だが、ベイベルの術に衰えは見えない。


「もう一丁!」


 イスラは連続して剣を振り回した。炎の大剣はベイベルの大蛇に干渉し、その太い胴体を輪切りにしていく。威力においては、確かにカナンの秘蹟はベイベルの黒炎を上回っていた。


 だが物量が違う。ベイベルの天火は、彼女の頭上で輝く門から止め処なく垂れ流され、千切れた大蛇を何度でも回復させる。


 それに対し、イスラの剣は使った分だけ消耗する。炎の大剣はその勢いを削がれつつあった。


「どうした、それで仕舞いか?」


 余裕綽々といった様子でベイベルが嘲弄する。だが、どうしようもなく押されているのは事実だ。カナンが法術を使おうとするが、イスラは「よせ!」と怒鳴り制止した。まだ彼女に消耗されるわけにはいかない。ここで法術が使えなくなれば、それこそ本当に勝ち筋を失ってしまう。


 イスラの炎の剣が消滅する。ベイベルの鞭が眼前にまで迫った。




「我、真理を探る者也。巌の壁よ、立ち現われて我らを護れ!」




 詠唱と共に鉄片が打ち込まれ、そこから岩の壁がせり上がる。黒炎の鞭は岩によって遮られた。


「ったく、先々行くからこうなるんだ!」


 魔導書を抱えて広場に駆け込んできたペトラは、肩をいからせながら怒鳴った。イスラは悪びれずに「悪い悪い」と軽く返している。


「ペトラさん、貴女まで……」


「あんたらに全部背負わせたんじゃ、岩堀族の名折れってモンさ。それに、こうなった原因はあたしにあるんだ……二十五年前にやらなかったことを、今日こそやってやるさ」


 魔導書の背表紙を手に叩きつけて、ペトラはベイベルを見やった。炎の渦の中に立ちながら、ベイベルは立ち塞がった三人を睥睨する。


「継火手に闇渡りに、次は岩堀族……選り取り見取りではないか。貴様ら揃って、余の前に立つことがいかなることか、良く分かっておらぬようだ」


「違うね。あたしらはそれぞれ、あんたと戦う確かな理由があって、ここに立ってる。自棄でも思い上がりでもない、そうしなきゃいけないからさ」


 ペトラは鉄片を投げ、三体のゴーレムを呼び出した。


「その通りです。貴女がどれほど強大な力を持っていようと、退くわけにはいきません。必ずここで止めてみせます」


 カナンは剣を抜き、杖の先端に天火を漲らせる。


「御託はいいや、さっさと続けようぜ」

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