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【第六十三節/タロスの心臓】

 制御盤から光が溢れ、ドーム全体に水のように染み渡っていく。煌都の天火を思わせる黄金の輝きが一行を包み、次の瞬間、炸裂した。


 眼窩の奥まで殴り付けるような閃光の後、視界が真っ黒に塗り潰された。カナンやトビアは比較的早くに回復したが、闇渡りのイスラにとって光の爆発は何よりも強烈な衝撃だった。


「クソ、目に堪えるな……何がどうなった?」


 目をしばたかせながらイスラが尋ねた。魔導書をパタリと閉じて、ペトラは安堵の溜め息をついた。


「動力塔の起動に成功したのさ。まったく、タロスが好き勝手暴れてくれたお陰でどうなることかと思ったけど……さすがは御先祖様の遺産だ。これで大坑窟は本来の働きを取り戻すよ」


 涙を拭いながらあたりを見渡すと、先程とは打って変わって穏やかな光がドームを満たしていた。人間の脈のように刻まれた溝が明滅を繰り返している。


「この光り方……もしかして、街道の常夜灯と同じものですか?」


「ああ、そうさ。って言っても、あたしは街道ってのを見たことはないんだけどね。多分、原理は同じさ。あれは煌都の大燈台ジグラットから直接力を供給してる。こっちのこれも似たような物だと思うよ?」


 なるほど、とカナンは呟き頷いた。まるで、頭の中の記帳に何かを書き残しているかのようだ。


 カナンが何らかの発想を得たことはペトラにも分かったが、今はそれを詮索している余裕など無い。常夜灯が復活したため、夜魔にも襲われる危険は格段に減ったが、この後避難民を守りつつ転移魔法陣まで誘導するという大仕事が残っている。


(でも、|あいつ《・・・》がそう易々と見逃してくれるわけがない)


 大神官ベイベルは嗜虐癖の塊だ。他者を傷つける機会が得られたら迷わず牙を剥く。ましてや、これほど大規模な叛逆行為など、彼女にとっては願ったり叶ったりだろう。大坑窟の人間を皆殺しにすることなど躊躇いもしないに違いない。


 そうと分かっていても、自分たちにはベイベルに対抗するだけの力が無い。全ての魔術を駆使し、ゴーレムを使役したとしても、一蹴されるのが目に見えている。


 だがカナンの蒼炎ならば、ベイベルの黒炎とも勝負になるかもしれない。タロスに対しては最後の一撃以外に有効打を与えられなかったが、そもそもあれは対魔術用の兵器だ。むしろタロスに危機感を覚えさせるだけの力を持っていると考えるべきだろう。


 そして、頼むまでもなくカナンは戦う決意を固めている。それはペトラだけでなく、抵抗組織の全ての人間が望んでいたことだ。イスラという本来の相棒を取り戻したことで、彼女も精神の均衡を回復したのかもしれない。


「……でも、それでも勝てるかどうか……」


 ベイベルの力は圧倒的だ。それはペトラが誰よりもよく知っている。たった一人分の天火で地下を照らし続けることなど、他の誰にも、それこそカナンにとっても不可能事だろう。


 そも、勝利する必要などない。始末出来ればそれに越したことはないが、脱出が終了するまでの時間稼ぎが出来ればそれで良いのだ。戦略目標はあくまで大坑窟からの脱出、それさえ達成出来れば勝ったも同然。


 それだけに注力するのならば、勝機はある。そして、それをわずかばかり拡大する方法も、ある。


「ペトラさん、早く上に戻らないと……」


 急かすカナンに対して、ペトラは「ちょっと待っとくれ」と答えた。そして、パタパタとタロスの残骸に向かって走っていく。


 魔力の逆流によって上半身を失ったタロスは、無残な姿のまま床の上に転がっていた。人造筋肉は焼け焦げ、骨格は剥きだしになっている。装甲は運べる範囲で運ぶように指示しており、まだら模様に聖銀を剥がされたタロスの姿は一層侘しさを感じさせる。


 ペトラは残った胴体部を覗き込み、おもむろに人造筋肉の中に手を突っ込んだ。しばらくもぞもぞと動かした後、両手に抱えるほどの何かを内部から取り出した。


「良かった、思った通りだ……っとと」


 ペトラは両腕で金属の塊のようなものを抱え、よろめきながら戻ってくる。「それは……?」とカナンが尋ねると、ペトラは胸を張った。


「オレイカルコス、幻の意思を持つ金属・・・・・・・さ」


 ふぅ、と息を吐きながら、ペトラはオレイカルコスの塊を床に置いた。


 まだ人造筋肉の繊維がこびりついているが、その下に見える本体は淡い金色をしていた。まるで、空中の光を捉えてそのまま固めてしまったかのようだ。表面には解読不能な細かい文字がびっしりと並び、人間の脳のシワを思わせる。魔導器については門外漢のカナンも、これが何か大きな力を持った石であることが理解出来た。


「意思を持つ、って、どういうことだ? 歌でも歌うのか?」


 胡乱気な表情でイスラが質問する。「まさか」とペトラは答えた。


「意思って言ったって、そんなに上等なものじゃないさ。歌うことは出来ないし、詩作だって出来ないよ。


 でも、こいつには確かに意思がある。オレイカルコスは、己を降すか、あるいは己を降した炎の持ち主に絶対の忠誠を誓う。自分を負かした炎以外には絶対に負けないし、自分を鍛えた槌以外には決して屈しない。剣を鍛えるのに、これ以上の素材は無いってモンさ。あたしだって見るのは初めて……色んな書物に書かれているから、実在してるとは思ってたけど、それにしたって百の鉱脈に一掴みあるかどうかってところさ」


 これならタロスだって動かせるだろうね、とペトラは感心したように頷いている。そんな彼女に対して、カナンは「良いのですか?」と尋ねた。都市の人間が大燈台ジグラットを崇拝するように、岩堀族である彼女にとっても、幻の鉱石とも称されるオレイカルコスは御神体に近いのではないか。


 だが、それはカナンの考え過ぎだった。


「良いも何も、こいつは素材なんだ。使わなきゃ、それこそ悪いってものさ。


 ただ、少しばかりあんたの守火手を借りることになる。そこまで時間はかからないと思うけど……」


「俺じゃなきゃ駄目なのか?」


「ああ、あんたに槌を振るってもらわなきゃ、意味が無いのさ。大丈夫、素人だって問題無い。伝承を信じるなら、オレイカルコスを加工する時に必要になるのは、鍛治の腕前より誰かの思念なのさ」


「……だそうだが、どうする?」


 イスラはカナンに指示を求めた。ここで武器を作ることに時間を取られれば、それだけカナンの負担が大きくなる。カナンも出来ることならすぐに上に戻り、脱出の手助けがしたいと思っている。


 だが、これは継火手の責務を果たす良い機会だとカナンは思った。これまではイスラに粗末な武器しか使わせてやれなかったが、オレイカルコスから鍛えられた剣ならば、過酷な戦いを切り抜けていくことも出来るかもしれない。


「分かりました、お願いします。イスラに最高の剣を作ってあげてください」


「良いのかい?」


「ええ。私は上に戻りますけど、心配はいりません。出来る限り食い止めて見せます。そういうわけでイスラ、あなたも焦らずにじっくりやってくださいね?」


「ああ、お前も気をつけろよ。剣が仕上がったらすぐに追いかける」


「はい」


 カナン達が立ち去った後、ペトラはイスラを連れ、動力塔内部の工房に案内した。復活した炉の中にはごうごうと燃える炎が宿り、吹き付けられる熱によって汗が浮かんでくる。


 厚手の手袋をギュッと嵌め、服の裾を捲り上げたペトラが「さあ、やるよ!」と発破をかける。上半身だけ裸になったイスラも、手渡された槌を固く握り締めた。


 タロスの心臓が炉の中に沈められる。それを見送りながらイスラは、頭の中に理想の剣の形を思い浮かべていた。

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