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【第六十一節/弾圧勅令】

「嘆かわしい、実に悲しい出来事だ」


 薄暗い謁見間にベイベルの声が響き渡る。


 ホロフェルネスからの報告を受けた時、金の玉座に座したベイベルは肩肘をついて額に手を当てていた。しかし、その口元が恐ろしいほど歪んでいるのは一目瞭然だった。


 金の玉座に真紅の絨毯、垂れ幕。彼女の傍らには美しい少年少女が傅いている。頭を蕩けさせるような妖しい香の匂いが漂い、視界を曇らせている。ベイベルの謁見間は耽美的で、かつ頽廃たいはい的であった。


「動力塔に侵入出来るのは、岩堀族でも一部の者のみ。大坑窟の動力を復活させて何事かを行うつもりでしょうが……いずれにせよ、それを猊下に告げずに行った以上、彼らの叛意は明らかです」


 傍に立ったネルグリッサルが補足する。


 謁見の間には彼をはじめとしたウルクの高官が立ち並び、血だらけのまま跪坐くホロフェルネスを見下ろしていた。


「ホロフェルネス」


「はっ」


「貴様の報告によれば、侵入者は銀色の髪の剣士に、若い闇渡りであったな?」


「左様でございます。剣客の方の腕前は、ご覧の通り。猊下から頂戴した天火アトルが切れるまで殺されました」


 そう言ってホロフェルネスは肩を竦めた。「ちなみに、斬られた腕はそ奴の仕業か?」「いえ、事故です」「左様か。まあ良い」


「銀髪の、凄腕の剣客となると、該当する人間は一人しかおらぬな?」


「はい。まず間違いなく、エルシャのギデオンでしょう。ですが、彼が独自の意志で動いたとは考えられません。現在、のウルクに逗留している継火手ユディトの差し金でしょうな」


 彼女の名前が出ると、居並ぶウルクの官僚たちが一斉にざわめいた。彼らにとって最も恐るべきことは、この大坑窟の存在を他の都市の人間に知られることだ。


 それが行商人や農民、あるいは平の兵士であれば、蒸発・・させても何の問題も無い。しかしエルシャの大祭司の娘が消えたとなれば、外交問題に発展するのは火の目を見るより明らかだ。


 もちろん、ただ放置することも出来ない。情報を持ち帰られれば結局は同じこと。彼らウルクの官僚が、数十年かけて積み上げてきたもの全てが無になってしまう。


「嗚呼、悲しい。実に悲しい!  何故こうも、余の意に沿わぬことばかり起きるのか」


 ベイベルが役者のように大仰な仕草で嘆いた。


「大切なしもべのトトゥを喪い、我が守火手たるホロフェルネスは片腕を失った。この上岩堀族に叛乱を起こされ、我が領土の秘密さえ暴かれようとしておる! ……散々であるな」


「胸中御察し致します、猊下」


「……のう、ネルグリッサル? 彼らは余に対していかなる不満があるのだろうな?


 確かに余は、彼らを労働に就かせておる。しかし労働無くして生活の糧は得られぬ。余が彼らのうち一人でも餓死させたかの?」


「いえ。記録の上では一人も」


「うん……それに、中には自ら進んで勤めに来た者もおる。まあ、多少呼び文句と異なるやもしれぬが、ともあれ余は仕事と住居と食事を与えた」


「猊下は、誠に情け深い統治者でおられます」


「はは、そうであるな。余に楯突くとはどういうことなのか、彼らの主君がどのような存在であるか、彼らは……」


「それくらいにしたらどうだ、ベイベル」


 二人の悪趣味な演劇に付き合いきれなくなった神官の一人が、彼女を諌めた。ベイベルが統治者として最悪に属する者であることは誰でも知っている。それは他ならぬベイベル自身が自負していることだ。


 彼をはじめとして、並んでいるのは全ての政治を司る大法官や大神官達で、階級においてはベイベルと対等である。


 そうした自意識が無ければ、ベイベルに対してこのような口の利き方をする者などいないだろう。


「下らん、お前の小芝居になど付き合っておれんわ! 今我々がすべきことは、今後の対策について協議することだろう!」


「その通り! 第一、何故お前が上座にふんぞり返っているのだ? 我々とお前は対等の立場ではないか!」


「傲慢が過ぎる!」


 の大神官達が口々に非難を飛ばす。


 だが、彼らは決定的に思い違いをしていた。




五月蝿うるさい」




 玉座の上から響いた凍てつくような一言に、何人たりとも逆らえなかった。それまで非難轟々であった神官たちまでそうだった。水を掛けられた蝋燭のように、彼らの威勢はたちまちのうちに消火された。


 ベイベルは眼球だけを動かして大神官達を睥睨へいげいする。彼らのために動かす労力はその程度で十分とでも言うかのように。


「どうやら貴様らも、余が何者であるか分かっておらぬようだ」


 大儀そうに長身を玉座から起こしたベイベルは、金糸入りの紫色の上衣を引き摺りながら階段を降りて行く。


「下らぬ小芝居だと? くくっ、それこそまさに貴様らの領分ではないか。俗物どもめ、厄介な手順を踏まねば、胸を張って権力を振るうことも出来ぬ輩め。


 分からぬか? 余は貴様らが大層大切にしている手続き・・・をしてやったのだ。


 彼奴きゃつらは余の温情を踏み躙り、叛逆を試みた。……そういう理由付けが無ければ、暴力を振るってはならんのだろう、貴様らは?


 ははっ、だからわざわざ三文芝居を打ってやったのだ。これで何の遠慮も要らぬ、正義は我に在り、というわけだ」


 謁見間の中心まで進んだベイベルは、その長い両腕を大きく広げて勝手極まる自説を展開した。


 最初は圧倒されていた大神官たちも、次第にその衝撃を呆れに転換させていった。


「ば、馬鹿なことを言うな、そんな理屈で弾圧の許可など出来るものか! 大坑窟の労働力の低下は、すなわちウルク全体の没落につながるのだぞ! そう、せいぜい……首謀者を捕らえてそやつらを縛り首にすれば良い。それで事足りる」


 だが、此の期に及んでなお彼女に対して「呆れる」というのは、やはりベイベルという存在を正確に認識していなかった証拠だ。


 ベイベルは肩を竦める。


「やはり……まるで分かっておらぬな」


 彼女が呟いたと思った時にはすでに、音も無く踏み込んだベイベルによって首を絞められていた。


 成人男性一人の身体を片手で持ち上げているにも関わらず、ベイベルはせいぜい空の杯を掲げる程度の労力としか感じていない。


「こうなってみれば良く分かるであろう? 余は誰からも、何からも許しを受けずに暴力を振るえる。何故ならこれは余自身の暴力であり、それは最強であるからだ。


 獅子の世界に法があるか? 鷲は許しを請わねば爪を剥けぬか? そんなことはあるまい。法など所詮、か弱い人間が自己保存のために作り出したもの。虚ろな法権力では余を縛ることなど出来ぬ」


 絞め上げられた大神官は顔を紫色に腫らし、両脚をアヒルのようにバタつかせている。彼女がもう少し力を込めれば、その首は小枝のように折れてしまうだろう。


 ベイベルの部下たちは、元より助けるつもりなど無い。他の神官や法官たちは恐れをなし竦み上がっている。「ふむ」その様子を見てとったベイベルは、大神官をポイと放り投げた。


 法衣の裾を捲り上げながら、首を絞められていた神官が後ずさる。その股間に染みが出来ていた。


「くっ、はははっ! 無様、無様! だから言ったであろう、貴様らの権威、権力などその程度だと!


 ホロフェルネス!!」


「はっ」


「余が何者であるか答えるが良い」


「はっ、猊下は神であらせられます。我が身を救い、より大きな力を与え給うた権威者にございます!」


「智慧のある答えだ、褒美をやろう」


 ベイベルの手が切断面に触れ、黒い炎で包み込む。包帯が焼け落ち、炎の中から白い骨が徐々に形を成して伸びていく。それは奇跡のような光景ではあるが、決して気分の良くなるものではない。当のホロフェルネスは地面に膝をつき、激痛のために腰を曲げた。


「だが、貴様には侵入者を取り逃がした落ち度がある。地獄の苦しみであろうが、ゆっくりと味わうが良い。ところでネルグリッサル、貴様は余を何と思う?」


 身を翻しベイベルは問うた。ネルグリッサルは死人のような無表情を崩さず、淡々と「猊下は怪物でございます」と答えた。


 ベイベルは呵々と笑った。


「愉快なことを言う! しかし困ったの、余はすでにホロフェルネスに満点を与えてしもうた。答えが二つあるのでは、ちと収まりが悪い。殺すしか無いか?」


 無邪気に物騒なことを言うベイベルに対して、ネルグリッサルは軽く肩を竦めた。


「そういう手に負えないところがいかにも怪物的であります。理不尽さで言えば、神も怪物もさして変りませぬ」


 の官僚たちはホロフェルネスの腕が生える光景に吐き気を催していたが、一方でネルグリッサルに対しては、どうしてこの女の前でそのような気安い回答を吐けるのかと寒気を覚えた。


 だが、当のベイベル本人はその答えに満足したようだった。


「顔に似ず大胆なことを言う奴。よかろう、その答えを容れよう」


 ネルグリッサルは無言のまま敬礼する。


「サラ! そこに居るのであろう? お前も余が何者であるか答えるが良い」


 謁見間の奥に聳える柱に向かってベイベルは叫んだ。


 その柱の陰から、ほっそりと儚げな印象の少女が姿を見せた。その顔はネルグリッサルと同じく無表情であるが、彼がある種の疲労や諦念を感じさせるのに対して、少女のそれは全くのであった。まるで、顔の皮の下には何も入っていないかのように。


 サラは薄紅色の唇から、囁くように答えを述べた。


「あなたはわたしと同じもの。許されざるものです。わたしとあなたは、呪われた力の故に、ここで一生を終えるべきです」


「その答えを言って良いのはお前だけだ、サラ」


 ベイベルはサラの細やかな髪を梳く。その手つきだけは、神や怪物と称されるベイベルの、唯一人間的な仕草だった。だが、そんな些細な違いに気がつく者は一人もいない。



「そう……余は人に非ず。余の名は神の門ベイベル。余を通して神の力は顕現するのだ。


 それを理解せぬ愚か者どもには鉄槌を下す。余に逆らうということがいかなる結果をもたらすか、教育してやらねばなるまい。


 ネルグリッサル! ただちに全ての不死隊アタナトイを召集し、以下の者を捕らえるよう下知せよ。


 一つ、武器を持ち叛逆する者。


 一つ、叛逆を何らかの形で支援する者。


 一つ、叛逆に加担していると思われる者。


 これらをことごとく捕らえ、余の元に連行するのだ」



「承知致しました」


「イザベル、イザベラ! 貴様らはに上がり、継火手ユディトを討て。サラ、お前は地下に降り、動力塔に到達した連中を始末せよ」


 矢継ぎ早にベイベルが命じる。その内容は、ウルクの神官たちにとって到底受け入れられるものではなかったが、最早誰もベイベルを止めることは出来なかった。

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