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【第六十節/再会と決別】

 上半身のほとんどを失ったタロスが、音を立てて崩壊する。それと同時に、閉じられていた扉が開かれ、天井にまで上昇していた制御盤が降下してきた。


 抵抗組織の兵士たちが歓声をあげる。トビアは緊張が切れたせいかペタリと地面に尻餅をついた。ペトラは「やれやれ」と呟きながら魔導書で肩を叩いている。


 そしてカナンは、杖も剣も放り投げて、ボリボリと頭を掻いているイスラに突進した。


「イスラ!」


「ん? ……うおっ」


 カナンが両腕を広げてイスラに抱きついた。その勢いに押されて、イスラはカナンをぶら下げたまま一回、二回と回転する。


 苦しいほど強く抱き締めるカナンに困ったような表情を見せながら、イスラはポンポンとその背中を叩いた。


「悪い、心配かけたな」


「当たり前ですっ。……でも良かった……本当に……」


 カナンはイスラの胸にグリグリと頭を押し付けた。


 彼が滝壺に消えていった時の不安感、絶望感が今更蘇ってきて、あの時引き止められなかった彼を捉えるように、カナンは両腕に力を込めた。時間にすればほんの数日のことだが、その間、まるで自分の影を失ってしまったかのように心細かった。


 だから、今ここにいる彼の存在を、しっかりと感じていたい。


「イスラが、死んじゃったらどうしようって……ずっと心配で……怖かった」


「俺はそんなに頼り無いか?」


「そういう問題じゃありません! あなたがいっつも無茶ばかりするから……!」


「たっはは……まあ、それはそれだ。俺はちゃんと生き延びた。今はそれで良いだろ?」


 呑気にくっちゃべってる場合でもないしな、とイスラは天井を見上げた。


 すでにホロフェルネスの姿は無い。瓦礫に巻き込まれて潰れたか、奈落の底に落ちたか。そんなことは無いだろうな、とイスラは思った。天火を抜きとしても、怪物じみた生命力を持った男だ。これしきのことで死んだとは思えない。


「まだ何も終わっちゃいない。気を抜くのは早いぞ」


「その男の言う通りです、カナン様」


 カナンが振り返ると、腕を組んだギデオンが二人を見つめていた。


「あの男……千傷のホロフェルネスはまだ死んでいない。情報を持ち帰られた可能性もあります」


「ホロフェルネス! 親衛隊の筆頭じゃないか! 奴と戦って生き残ったっていうのかい!?」


 ペトラが驚嘆する。トトゥやホロフェルネスは、大神官ベイベル自らが選抜した親衛隊の一員だ。なかでもホロフェルネスの戦闘力と凶暴性は群を抜いており、抵抗組織が何度も暗殺を試みて、その度に返り討ちにされてきた。


「……成程、あんたが噂の剣匠か」


「サイモン、知ってるのかい?」


「地上班の奴らが言ってた。エルシャの使節に、凄腕の随員がついてるって話だ……噂以上だったがな」


「ギデオン、貴方がいるということは、姉様もウルクに居るのですか?」


「左様です。今は、あまり時間をかけてはいられませんが……ともかく、手短にお話ししましょう」


 ギデオンはユディトが遣わされた理由や、ここに至るまでの経緯をかいつまんで語った。それを聞くにつれ、それまで再開やタロス撃破の喜びに沸いていた一団の顔も険しいものに変わっていく。


「……ホロフェルネスの生死に関わらず」


 ペトラが緊張した様子で呟く。


「今すぐの連中に伝えるんだ。予定は前倒し、すぐに脱出計画を実行に移す! サイモン、すぐにバルナバ爺さんの所に行って、そっちの指揮は任せるって言っとくれ。あたしはここで装置を起動させる!」


 矢継ぎ早にペトラは指示を飛ばし、それを受けた兵士たちが一斉に動き出す。


「出来れば……あんたたちにも、一緒に戦ってもらいたいんだけどね。剣匠さんの腕前は凄いし、闇渡りの彼だって、うちの若衆十人分くらいの実力がある」


 ペトラの要請に対して、イスラは首肯したが、ギデオンは断った。敵に対して身元が知れてしまった以上、すぐにでもユディトの元に戻らなければならない。最悪、敵の手が彼女に伸ばされるかもしれないのだ。


「私は任務を優先する。すぐにでもユディト様の元へ戻るつもりだが、手土産に、この地下都市の存在を証明するような書類が欲しい」


「ああ、タロスをぶっ壊すの、手伝ってもらったからね。これ以上無理強いはしないよ。街への最短経路を案内させる。ついでに、書類なり何なり持ってってくれ。あたしらにも得になる」


「すまない、感謝する」


 案内役の兵士に伴われて、ギデオンは階段に向かう。


 その途中で、一度だけ彼は振り返り、カナンに問うた。


「カナン様、我々の元へ戻るつもりはありませんか」


「え……?」


「ユディト様と共に、エルシャへ帰るのです。ここまでの旅とて、決して楽なものではなかったでしょう。貴女は十分に世間というものを見たはずだ。貴女の立場と素質を鑑みれば小生・・ は、いや、ユディト様も、貴女が煌都に貢献し得る人間だと思うのです」


「……」


 ギデオンの言葉とともに、カナンの脳裏にこれまで体験した様々なことが浮かび上がってきた。


 森の中で過ごしたこと、初めて夜魔と戦ったこと、リダの町のこと、アラルト山脈のこと、風読みの里の人々と彼らの辿った運命のこと、ウルクの大坑窟のこと……。


 箱入り娘として育ってきたカナンには、そのちっぽけな想像の枠をはみ出すようなことばかりだった。時に圧倒され、悲嘆に暮れ、不安に涙ぐむこともあった。もう少しで消えない傷を負わされるところだったし、命の危機は数え切れない。


「帰りたいか?」


 だが、最後はいつも、彼の存在が自分を奮い立たせてくれた。


「俺は止めない。あんたの人生だ、あんたが決めたら良い」


「その通り、貴女の人生だ。我々と共に光の元へ帰るか、それともその男と共に闇の中へと踏み込むか」


 ギデオンとイスラは、それぞれの世界からの使者だ。


 そのいずれの手を取るべきか。


 だがそれは、考えるだけ無駄というものだ。




「私はもう迷いません」




 カナンは、イスラの手を握った。



「辛いことは多かった。今だって追い詰められてます。でも……いつもどこかで、楽しんでいる自分がいて……生きているという実感がありました。


 きっとそれは、煌都では手に入らない。私は祭司の娘として生まれたけれど、本質は彼のような闇渡りと同じなのかもしれません。


 だから行きます。私は必ず、エデンへと辿り着いてみせます。そうでなければ、私は本当の意味では生きていられないから」



「何とも身勝手なことだ」


 そう言いながらも、ギデオンの表情は穏やかだった。



「ならば貴様・・は、もうかしずくべき人間ではない。ただ、私の弟子であった、一人の人間だ。


 どこにでも行けば良い、だが己の選んだ道には責任を持ちなさい。


 振り返ることも許されない。貴様はもう、前を見て進むしかない。


 もう二度と、我々に頼ってはならない。だが一人で生きようとするな。それを自らの手で断ち切った以上、貴様は新たに誰かとつながりを作っていかなければならない」



 そしてギデオンは踵を返した。その背中に向かってカナンは言う。


「ギデオン。貴方は、私にとって最高の師でした。感謝しています。それだけは、絶対に忘れません」


「……幸運を」


 彼の姿が見えなくなってから、カナンは振り返った。そこにはイスラやトビア、そして居並ぶ地下都市の人々がいる。


 自分は、この人たちと共に進むのだ。


「これで一区切りか?」


 イスラが言う。


「ええ。でも、まだ終わっていません。そう……強いて言うなら、始まりの終わりの始まり、と言ったところですね」




◇◇◇




 そして、カナンが決意を固めた頃、満面の笑みを浮かべた魔女が玉座より立ち上がった。

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