法術の使えない展開は、カナンにとって非常に辛いものとなった。
この場に居る者の中で、唯一状況を打破出来る可能性を持つのはカナンのみだ。だが、強硬策に出れば余計に被害を増やすかもしれない。まるで手が打てないのならともかく、中途半端に可能性が残っていることがカナンの無力感を一層刺激した。
「どうすれば……!」
ほぞを噛みながら、しかし逃げ続けることしか出来ない。ペトラやサイモンたちも同じだ。最初に入ってきた扉は閉じられている。脱出したくても出来ない状況だ。
すでに三人が息耐え、二人が重傷を負っている。ペトラのゴーレムや石壁で短時間の足止めは出来るが、それを破壊されれば今度は残骸を投げつけてくる。例の光線は魔力の充填がなされていないため撃ってこないが、それもいつまでのことかは分からない。
そもそも、逃げ場さえ無い状況で延々と回避し続けることなど出来ない。こちらには物資にも体力にも限界があるが、タロスは少なくとも疲労することは無いのだ。
「そもそも、あれって何で動いてるんです!?」
「さあね! 解体なんてしたことないし、残存してるとも思われてなかったんだ! 資料なんて……うわっ」
ペトラは飛んできた岩を紙一重で回避した。手元から本が離れる。慌ててそれを取りに行こうとするが、立ち上がったところに再び岩が投げつけられた。
投石機の攻撃のように地面が砕ける。ペトラは跳んで避けるが、カナンとはぐれてしまった。
「ペトラさん!」
「こいつ!」
オルファが注意を逸らそうと矢を放つが、タロスは一瞥もくれない。地響きを立てながら倒れたペトラに向かう。
このままではペトラは踏み潰される。最早迷っている余裕など無かった。
「我が蒼炎よ、愚者を引き裂く爪となれ、馳せよ神獣!
カナンが呼び出した五体の豹天使たちは、行けという命令も受けずに一直線にタロスへ突撃した。俗に召喚系と呼ばれる法術群の中にあっても、格別に獰猛な術だ。さすがのタロスも、これには動きを止めた。
様々な術のなかでこれを選んだことには理由がある。
五体の豹天使たちは、軌道こそ違えどタロスの「眼」に向かっている。獰猛な彼らは、敵の弱点を本能的に探し出し、そこを攻撃する性質がある。カナンはそれに賭けたのだ。
果たして、タロスは防御した。眼の前で両腕を交差して、突撃してくる豹天使を防いだのだ。案の定彼らは聖銀装甲へと吸収されるが、これまで何を食らっても歯牙にも掛けなかったタロスが初めて攻撃を嫌がった。この事実は大きい。
「やはり、弱点は……!」
手応えはあった。だが、次はタロスの手番だ。
装甲内を魔力の渦が流れ、頭部に集中する。その速度はカナンの第二射より速い。カナンは回避しようと身構えた。
タロスの眼から光の矢が放たれる。眩い閃光がドームを照らし、熱が床を抉った。が、事前に軌道を読んでいたカナンには、走りながら詠唱するだけの余裕があった。
砲撃が止む。
カナンは靴の底を擦り減らしつつ急停止した。
「我が蒼炎よ、御怒りの鏑となり悪を貫け、エク……」
だが、見込みが甘かった。
タロスの頭が回転し、後ろだった箇所が前になる。「なっ……!」カナンは狼狽するが、すでに魔力の充填は終わっている。皮肉なことに、カナンの蒼い天火はタロスに二発目を撃つだけの力を与えていたのだ。
回避するには遅過ぎる。カナンの背中に冷や汗が浮き出た。彼女の窮地を見たペトラやトビアも動きを止める。全員の脳裏に最悪の事態がよぎった。
――死ぬの? 私は、自分の力で……。
ゾッとしない結論だった。これまで自分の信じてきた、自分を自分たらしめてきた力によって破滅する。これほど残酷な事はない。
時間の流れが、奇妙なほど遅く感じられた。眼に映るすべて、聞こえてくるすべてが緩慢になっている。それは人間に走馬灯を見させるための時間なのだろう。
だが、やがてカナンは、いつの間にか鈍化した時間から抜け出したことに気づいた。自分が遅く感じているのではない、実際にタロスが動いていないのだ。
赤い眼の中に魔力を溜め込んだまま、逡巡するかのようにカナンを見下ろしている。そして首を頭上に向けたかと思うと、光線を薙ぐように照射した。
危機を脱したカナンは呆然となっていたが、すぐに状況の危険さに気付いた。タロスの切り開いた破孔からは瓦礫が降り注ぎ、さらにその上から何かが音を立てて落ちてくる。
「カナン、こっちだ!」
ハッとして見ると、掩体のような物を作り上げたペトラが中から手招きしている。他の生き残った戦士たちもその中に逃げ込んでいた。
カナンはその中に滑り込んだ。と同時に、建造物の落着する強烈な音が鳴り響き、床にいくつもの亀裂を生み出した。一挙に崩壊しなかったのは、古代遺跡の頑強さ故だ。でなければ、彼らは掩体もろとも瓦礫の山に変わっていたことだろう。
恐る恐る首を出して見る。タロスの立っていた場所には遺跡の残骸が降り積もり、粉塵が濛々と立ち上っている。目に涙を浮かべ、軽く咳き込みながらも、カナンはその中に見慣れた姿を見出した。
考えてみればあまりに馬鹿馬鹿しい状況で、ついに自分の頭が変になってしまったのかと目を擦る。が、砂埃が涙で洗い流されても、やっぱりそこにはイスラが居た。
彼の方でも、矢継ぎ早に起こった急展開についていけないのと、絶体絶命の窮地から抜け出した虚脱感とでやはり呆然としていた。目を丸くしてシュタっと片手を上げ、「よっ」と呑気に挨拶する始末。
「え、えぇ、久しぶり……って、そうじゃなくてっ!」
思わず同じ格好で出していた片手を引っ込め、イスラを引っ張って立たせる。信じられないまま、カナンはイスラの顔に手を添える。真上の穴と眼前の瓦礫を見比べて、良く生き残ったな、と思った。
「何してんだお前、こんな所で」
「それは私の台詞です! 第一、そう、まだ……!」
カナンが敵の存在に思い至った時、それに応えるようにタロスが瓦礫を吹き飛ばし立ち上がった。やはり、装甲には傷一つ見られない。駆動音も元気なままだ。
タロスは自身の周囲に散らばった残骸に手を伸ばしている。カナンはイスラを伴って逃げようとするが、彼の外套が瓦礫に挟まって身動きが取れない。
「お前は行け!」
「出来ません!」
降りてきた時に手放したのか、イスラの手に剣は無い。カナンは細剣を抜いて布を断つが、タロスの射程から逃れる時間は無い。
「まったく、世話の焼ける……」
二人は揃って胴を抱え上げられた。
「ギデオン!?」
「お久しぶりです、カナン様。とまれ、積もる話は後で」
ギデオンは彼らを抱えたまま瓦礫を避け、タロスから距離を取る。ペトラの作った石壁まで後退し、イスラを落としてからカナンを立たせた。
「貴女もずいぶん厄介な状況にあるようだ。再開の喜びを祝うのも、感傷に浸るのも、勝者の権利です。ところで……」
ギデオンはペトラに向かって尋ねた。
「岩堀族とお見受けするが、あれは何だ?」
「タロスだ。大昔の戦闘兵器。言っとくけど、剣で斬れる相手じゃないよ」
「その上、天火を吸収して光線に変えます」
「そっか、さっきのあれはあいつの仕業か」
貸せよ、と言って剣士から剣を奪ったイスラが、いつも通りの不敵な態度で首を鳴らす。
「法術が通じないのは厄介ですな」
「デカい図体の癖に、そこまで動きが鈍くねえってのも面倒だ」
彼らの言う通り、やはりタロスは容易ならざる敵だ。
だが、カナンの意識は急速に前向きになっていった。
未だ不利で、突破口も見出せていないにも関わらず、負ける気がしない。
「おいおいカナン、あいつら余裕こいてるけど大丈夫なのかい? さっさと下がらせた方が……」
不安げな表情を見せるペトラに、カナンは「心配いりません」と笑顔で返した。
その憑き物の落ちたような表情から、ペトラは、カナンの士気が完全に回復したのだと悟った。
「あの二人は……私の知る限り、一番頼りになる人たちです。絶対に負けませんよ」
タロスが突っ込んでくる。ギデオンは最後に一言だけ、ペトラに質問した。
「あれは、破壊すれば動かなくなるかな?」
「うん? そりゃそうだろうけど……」
「それは重畳」
「楽勝だな」
そして二人は、同種の獰猛な笑みを浮かべて、驀進するタロスに突撃した。