「我が蒼炎よ……」
カナンの杖に蒼い炎が灯り、動力塔の内部を照らし出した。
一行が入り込んだのは、動力塔最下層の大広間だった。壁面に沿うように螺旋階段が設けられており、天井まで続いている。壁には古代の絵画が描かれていて、動力塔という味気ない名前と裏腹に、遺跡としての荘厳さを演出していた。
カナンがふと足元を見てみると、そこにはアラルト山脈で見たのと同じ、様々な宝石を組み合わせて作られた石の地図があった。
そっと杖を近付けると、
「ペトラさん、どこか具合でも……」
「いやさ、そんなんじゃないよ」
ペトラは苦笑しながら片手をパタパタと振った。
「ただ、ちょっと感動してたのさ。この建物もカラクリも、造ったのはあたしら岩堀族の御先祖様さ。なんて言うか、時間の雄大さみたいなもんを感じてねえ」
しみじみとペトラは言う。そうした彼女の感動は、カナンも容易に想像出来た。少子化が進み、種族そのものが減少しつつある彼らにとって、過去の人々を知るのは大切なことだろう。いずれ、それを伝えられる人もいなくなるかもしれないのだから。
「一体全体、これだけの技術があったのに、どうして御先祖様たちは活かしきれなかったんだろうって思うよ」
「……活かしきれなかったのではなく、使い過ぎたのではありませんか?」
「それだって、結局は活かせなかったのと同じことさ。技術は安全に使えて初めて意味がある。例えば……剣を鍛える技術ばかり進歩しても、鞘が作れなかったら意味がないだろ? 刃物を仕舞う鞘が無きゃ、せっかく作った剣だって持ち運べやしない。それと同じさね」
何にせよ、極端なのはダメってことさ。ペトラはそう言った。
大きな本を小脇に抱えて、階段を登って行く。
「さ、あともうちょっとだ。気を引き締めていかないとね」
「はい」
螺旋階段を登って最上階を目指す。そこに動力塔の中枢があり、大坑窟全体に魔力を供給する設備があるのだ。入る前に見えた木の根のような構造物は、魔力を伝達するための流路なのだろう。
螺旋階段の中途には小さな小部屋がいくつもあり、中にはボロボロになった書類や道具がいくつもあった。作業所と思しき場所もあり、作りかけの武器がそのまま置かれていたりもした。
ふと興味を持ったカナンは、作業所の中に入ってみた。外部のような危険は感じず、ただただ時に置き去りにされた
作りかけの剣の柄を手に取る。非常に古い物だが、造り自体は煌都の名匠の物を遥かに凌ぐだろう。
アラルト山脈で継火手と守火手の契約を交わした時、自分はイスラに対して「最も鋭い剣を与える」と言った。それは、形式上の比喩に過ぎないのだが、イスラという守火手に対してあまりに報いるものが少な過ぎるのではないか、と思った。
イスラはきっと、そんなことに腹を立てたりはしない。むしろ余計な気遣いをするなと鬱陶しがるだろう。それでも、一人の継火手として何かしてあげたいという想いは、どうしても忘れられない。
「カナンさん、どうかしましたか?」
「いいえ、ちょっと寄り道を」
首を傾げるトビアに微笑み返して、カナンは作業所を出た。
長い螺旋階段を経て、巨大なドームへとたどり着いた。広大な床一面に魔法陣が描かれ、壁には木の根のような管がいくつも張っている。ドームの中央には祭壇のような建造物が設けられていて、魔法陣はそこに向かって集約されていた。
「あれだね」
最後尾にいたカナンが階段を登り終えた時には、ペトラはすでに祭壇に向かって歩き出していた。
結局何も起きなかった……と、思った瞬間、足元の扉が一人でに閉ざされた。
驚愕より先に危険を感じたカナンは「ペトラさん!」と叫んでいた。
ペトラが振り返る……その背後で、祭壇のあった場所が動き出し、天井に向かって押し上げられていく。祭壇は六本の円柱によって支えられていて、柱で囲まれた空間には岩山のような物体が鎮座していた。
その岩山が音を立てて動き出す。
カナンたちが岩山と思っていたのは、蹲った人型の機械だった。
天火に照らされた装甲は眩いばかりの銀色で、表面には刺青のように無数の魔法陣が刻み込まれている。体高はおよそ五ミトラ(約五メートル)ほどもあり、四肢は極端なまでに太い。頭部は丸く、紅玉のような物体が一つ、中心に据えられている。その周囲には目を象った紋様が彫られており、全身の魔法陣は全てそこに向かって集約されていた。
「こいつは……まさか、タロスか!?」
ペトラがタロスと呼称した巨像はゆっくりと立ち上がり、侵入者に向かって踏み出した。紅玉の瞳が赤く輝く。その光は、明らかに敵意しか感じさせない。
「ッ! 散開!」
硬直から抜け出したペトラが指示すると、対抗組織の戦士たちは一斉に散らばってドーム内を駆け回った。その動きを追うかのようにタロスの眼が動き、首がぐるぐると回転する。
「後ろにも眼が!」
「知るもんか、ぶっ潰す!」
弓を持った戦士たちが矢をつがえ、タロスの頭部に向けて一斉に放つ。だが、鉄の鏃ではタロスの装甲を傷つけることはなど出来ず、硬質な音とともに跳ね返されてしまった。
もちろんそんなことなど織り込み済みだ。少しでも敵の注意が逸れた間隙を狙って、サイモンたちが突っ込む。「足首だ! 関節を潰せ!」各人が各々の武器を叩き込み、即座に離脱していく。一撃したらタロスの懐が抜け出し、矢での牽制に合わせて再度突入する。
「やめろ、無茶するんじゃない! そいつは……」
ペトラが制止するが、サイモンらは攻撃を止めようとしない。五ミトラもある巨大兵器を前にして突っ立っていることなど、彼らには出来なかった。
だが、そんな攻撃が何の意味も持たないことは、タロスの反応を見ても一目瞭然だった。その赤い眼はカナンだけに向けられており、足元のことなど歯牙にも掛けていない。
それでも、さすがに怒りを買ったのか、タロスがその巨大な腕を振って戦士たちを薙ぎ払う。
まるで暴風が通ったかのようだった。風の押しのけられる音と、吹き飛ばされる兵士たち。避け損ねた一人は壁まで飛ばされ、糸の切れた人形のように崩れたまま動かなくなった。
「サイモン!」
オルファが叫ぶ。倒された時に気を失っていたサイモンは頭から血を流しながら立とうとするが、タロスの巨大な拳がその上に振り上げられている。
「我が蒼炎よ、御怒りの
カナンの杖から放たれた炎の矢が、今まさに叩きつけられようとしていたタロスの腕に直撃した。着弾と同時に火花が散り、薄暗いドームの内部を照らし出す。
タロスの赤い眼がカナンに向けられる。その隙に引っ張り出されたサイモンは、何とか仲間たちと合流する。
それを見たカナンは少しだけ安堵の吐息を漏らした。
だから、巨人に生じた変化に対応するのに、一手遅れてしまった。
カナンの法術が直撃した箇所は真っ赤に灼熱している。が、その熱量はタロスの装甲に走る魔法陣に吸収され霧散させられた。
それだけではない、熱の流れは魔法陣を伝って頭部に伝えられ、その紅玉の眼を赤々と輝かせる。その危険性に気付いた時にはすでに、カナンが避けるだけの時間は残されていなかった。
もしペトラの作り出した障壁が無ければ、タロスの眼から放たれた光線によってカナンの胴体は両断されていたかもしれない。
「ボサッとするな!」
「ッ!」
驚愕から立ち直ったカナンは即座にその場を飛び退る。直後、岩の障壁が灼熱し、光線が貫通して地面を焼いた。
「ええいっ、大盤振る舞い!」
ペトラは本の間に挟んであった栞を引き抜く。薄い鉄片で出来たそれは刃のように尖っていて、表面には血文字で書かれた呪文がある。
「我、真理を探る者也。神よ許し給え、この
ペトラの投擲した栞が床に突き刺さると、そこを中心に岩で出来た人形が立ち上がった。
全部で五体のゴーレムがタロスに挑む間に、ペトラは岩壁を作って一行を避難させた。
「天火が……私の法術が……」
カナンの衝撃は大きかった。自分の力が絶対無敵とは思っていないが、決して弱くは無いと自負していた。それは慢心でも傲慢でもなく、正しい認識だ。彼女の蒼い天火は凡百のものではない。
それが、こうもあっさりと受け止められたばかりか、あまつさえ反撃の道具にされた。この衝撃は、他の者の比ではない。
「……あのタロスってのは、御先祖様が造った拠点防衛のための兵器だ。戦士はもちろん、魔術師との戦いも考慮されて造られてる。あの装甲は、全部が高純度の聖銀だよ」
「おいおいおい、それじゃあ打つ手が無えじゃねえか!」
「ま、まだ分かりません! さっきの術はさほど高度なものではなかったから……
「ダメだ。あんたが強い術を使えば使うほど、あいつの攻撃は激しくなるんだ。あの光線を見たろ!?」
「くっ……!」
カナンとて頭では理解していた。全力で攻撃すれば、それ相応の危険を負うことになる。
最上級の法術……『熾天使』級の技ならば、あるいはタロスの装甲を撃ち抜くことも出来るだろう。だが、カナンでさえ熾天使級の扱いは困難を極めるのだ。敵を討つどころか、制御を誤れば味方を焼いてしまうかもしれない。
(何より、熾天使級の法術は、使ったら……!)
カナンの脳裏に、いくつもの不安要素が浮かび上がった。それが彼女の思い切りを抑制する。
それに、倒し切れなければ、その分味方が危険に晒される。あの光線を全員が避け続けられる保証も無い。
「どうすれば……イスラ……」
カナンが無意識のうちにイスラの名を呟いた時、最後の一体のゴーレムがタロスに殴り倒された。