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【第五十一節/魔女の朝餐】

 農作地の監督官であるガミルは元闇渡りで、五年ほど前、ウルクの街道近辺で盗賊家業をしていた時に都軍によって捕縛された。


 彼とその一党はとりことなるまでに七つの商隊を壊滅させ、二十九人の男を殺し、その倍以上の女性を女衒ぜげんに引き渡しており、広場の中心にてことごとく縛り首にすべしという審判も、ウルク近辺の人々からは拍手をもって支持された。


 彼らは煌都の人々が想像する一般的・・・な闇渡りそのもので、特にガミルの髭面と濁声はウルクの女子供を大いに恐怖させた。実のところ、ガミルには見た目にともなうだけの武名があったわけではなく、せいぜい伐剣の使い方を知っているという程度だったのだが、人間らしい情は知らなかった。


 故に彼は残虐で、無抵抗の人間を嬲ることに対しても、全く良心の呵責を覚えなかった。そもそも良心という言葉を知っていたかすら怪しい。


 そんな彼が唯一哀れと思うのは自分の命だけで、法廷で死刑を言い渡された時、ガミルは四つん這いになって額が割れるまで助命の嘆願をした。彼の仲間もそれに倣ったが、実のところ、誰一人として隣に居る者のために頭を打ち付けた者はいなかった。


 もちろん、彼らの悪足搔きは嘲笑と痛罵を引き起こした。しかし、彼らが広場で縛り首になることはなかった。代わりに送り込まれたのは、地下の大坑窟だった。


 不平不満を抱えたまま、それでもガミルは上手く立ち回った。不死隊アタナトイに殴られながらも、自分より下の連中を蹴りつけ踏みつけ、あっという間に監督官の地位を手に入れてしまった。決め手となったのは、かつての仲間達の脱出計画を密告したことだった。


 ガミルは他の五人と共に逆さ宮殿の謁見の間に通された。そこで大神官ベイベルより直々に監督官になるよう命じられたのだ。


 その場で五つ分の火柱が上がった瞬間、彼はベイベルが自分と同じ種類の人間だと確信した。慈悲も憐憫も無く他者を虐げられる、品性下劣な人種なのだと。だからこそ、彼女の思考に沿って行動していれば命を取られることは無いし、この地下世界で栄達することも出来ると考えていた。


 今朝もガミルは、リンゴを運んでいた三人の奴隷とともに支配者の前に拝跪した。


 ベイベルは朝食の最中だった。


 巨大な長方形の食卓の上に何種類もの料理が置かれ、彼女と席を同じくする権利を与えられた側近たちが脇を固めている。食堂の壁には黒い炎を宿した松明が据えられ、銀色の食器に黒い光を投げかけている。いずれも精緻な造りで、席の主の権威を感じさせるものばかりだ。


 そんな中、ベイベルは皿に盛り付けられた生牡蠣を手に取り、数滴の果汁を振りかけてから丸呑みにした。牡蠣を呑み下すと、今度は最上級の火酒をなみなみと杯に注いで、これもまた一息に飲み干す。


 口元を拭ったベイベルは、新しい牡蠣に手を伸ばしながら「侵入者?」と煩わし気に言った。


「作用でございます、猊下。ネズミのように潜んでおりました不埒者どもを発見し、目下追跡中であります。どうか安んじられますよう」


 片膝をついたままガミルは慇懃な言葉を吐いた。盗賊をしていた時はこういった言葉とは無縁だったが、この地下で生き抜いていくためにはこうした言語も必要となってくる。それにいち早く気付いた彼は、密かに話術を練習していたのである。


 そんな涙ぐましい努力は、無論ベイベルの知ったことではない。新しい牡蠣を呑み込みながら、魔女は「それだけではあるまい」と言った。


「後ろの者たちは?」


「はっ、この者どもは職務を怠り、侵入者どもが荷台に潜んでいるのを見逃しました。あるいは外部からの手引きをしたいた可能性もあり、尋問に掛けるべきと……」


「もうよい。つまりは罪人なのであろう?」


 ガミルの物言いとベイベルの決めつけに対し三人の奴隷たちは抗議の声を上げるが、ベイベルは一瞥もくれず、左手前に座るネルグリッサルに「ちと明かりが足りんな」と言った。「左様で」とネルグリッサルは返答する。


「ベイベル様! 大神官猊下! 我々は仕事も誠実にこなしておりましたし、決して内通など」


 弁明が最後まで続くことはなかった。ベイベルが右手の指を鳴らすと同時に、三人の立っていた場所に黒い火柱が噴き上がった。黒炎は奴隷たちに一言も喋ることを許さず、一瞬のうちに炭の山へと変えてしまった。


「くっくっ……これはいかん。人では長続きせん。もっと長く燃えていなければ、燭台としての用をなさぬではないか。監督官、良くぞ内通者を見つけた。褒めてつかわそう」


 ガミルは知っていた。ベイベルにとって罪人の刑罰などどうでも良いことなのだ。彼女の目的は人間を焼くことであり、常にそのにえを欲している。だから、生贄の羊をささげる限り、自分は絶対に殺されないのだと確信していた。


「ははあ! 勿体なきお言葉、恐縮の限りであります。では、私めはこれにて……」


 だが、ガミルはそもそも考え違いをしていた。


「これこれ、誰が下がって良いと言った?」


「は?」


 ベイベルは大儀そうに立ち上がり、食卓を迂回してゆっくりとガミルの方へ近づいて来る。跪いたガミルの前に立つと、ベイベルはおもむろに片足を上げ、ガミルの頭を踏み躙った。


「得意顔をして余の前に贄を差し出す、その浅ましさは嫌いではないよ? しかし侵入者を見逃した責を部下に求めるのならば、上役の貴様も同様に罰を受けるべきである。そうは思わぬか?」


「がっ……あああっ……! どうか、どうかご寛恕を! 御慈悲を!」


 足に込められた力は万力のようで、ガミルの頭蓋はミシミシと不穏な音を立てた。しかし、彼女がほんの僅かしか圧をかけていないのは明らかで、本気を出せば首を折るどころか、中身ごと頭蓋を踏み潰すことなど造作も無いだろう。


 ガミルは羞恥心など打ち捨てて、必死に赦しを請うた。理性では、この女が一度殺すと決めた相手を放るはずが無いと分かっていたが、五年前と同じように今度も助かるかもしれないという、半ば信仰めいた楽観も抱いていた。


 だから、ベイベルが「よかろう。命は助けよう」と言った時、ガミルは奇妙な達成感のようなものを感じた。


 だが、それは一瞬のうちに粉砕された。


 ぽとり、と目の前に何かが落とされた。恐る恐る見てみると、牡蠣の貝殻があった。


「罪には罰を与えねば。その貝殻で己の罪をそそぐが良い……無論、貴様自身の手でな」


「は……はあ?」


 われるままに、ガミルは牡蠣の貝殻で自分の腕を擦って見せた。だが、ベイベルは「違う違う、そうではない」と首を振った。


「もっと強くやらねば、贖罪の意味が無いではないか。強く、もっと強くやるのだ」


 この時になってガミルは、自分が持たされたのが如何なるものなのかを理解した。そして、血を流さなければ焼き殺されるのだということも。


 ベイベルに促されるまま、ガミルは力一杯貝殻を滑らせた。毛だらけの皮膚にいくつもの赤い線が浮かぶ。ガミルは悲鳴を上げたが、その程度ではベイベルは満足しなかった。


「強く、もっと強くだ」「どうした、その程度では全然足りぬぞ」「まだまだ。余に詫びようという意志があれば、より誠実になれるはずだ。貴様の忠誠を示す絶好の機会ぞ。さ、奮うて罪を濯ぐのだ」


 次々と牡蠣を平らげ、腐りかけのリンゴに手を伸ばしながら、ベイベルは楽しげにガミルを追い立てた。男の両目からは苦痛と恐怖と屈辱によって涙が溢れ、皮と肉の裂かれた右腕からは血が溢れている。それでもやめるわけにはいかなかった。


「ふむ……もうそろそろ良かろう」


 ベイベルが制止した時、ガミルの右腕はずたぼろになっていた。血まみれの肉の間からは、僅かに骨が見えている。


「お、お赦しをいただけると……?」


「うん、侵入者の確認を怠った罪は、確かに赦した。


 では次に、今朝の分の果物を届けなかった罪を問おうとしようかの。左腕も同様に磨くが良い」


「な……そ、そんな! それではっ……!」


「ああ、右腕が使えぬか? ハハッ、すまぬ! 余としたことが、気が利かなかったの。ホロフェルネス、手伝ってやれ」


 ベイベルは右側に座る男に命じた。ホロフェルネスと呼ばれた男は、ベイベルと同じように嬉々とした表情で立ち上がった。


 ガミルは逃げ出そうとするが、両肩をどこからともなく現れた不死隊によって固定され、逃げられない。


「よぅし、じゃあ力一杯やるぞぉ」


 食堂に悲鳴が響き渡った。




◇◇◇




 満身創痍のガミルが運び去られた後、ベイベルはホロフェルネスに向かって、侵入者の討伐を命じた。

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