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【第三十九節/大坑窟】

 水門跡を抜けると、新たに別の遺跡群が姿を現した。石造りの建造物はいずれも劣化していて幾重にも蔦に覆われている。サイモンは寺院と思しき廃墟に入ると、苔むした木の板を退けて地下への道を開いた。


「こんな簡単な隠し方で良いんですか?」


「外側から探そうって奴は少ない。監視の目は、どっちかっていうとこっちの方が多いんだ」


 そう言ってサイモンは階段を指差した。


「地下……」


「俺たちの世界だ。ハハッ、最高に良い場所だぜ? 自慢したくなるような名所が沢山あるんだ」


「サイモン、良い加減にしな」


 弓を携えた若い女性がサイモンの尻を蹴り上げた。長い黒髪を垂らした、キビキビとした印象の娘だ。顔立ちも、ややキツく見える所がある。


 階段へと押し込まれたサイモンは「やれやれ」とボヤきながら地下へと降りていく。


「ごめんね。あいつ、馬鹿なことを言うのが仕事だと思ってるの」


「指揮官の嗜みだぜ、オルファ」


「うっさい、ボケ! さっさと降りな!」


「へいへい」


 茶色い髪をボリボリと掻きながら、サイモンはついてくるようカナン達を促す。


「……まあ、あたしらの押し込まれてる所がロクでもないってのは、そうなんだけどさ」


「ウルクの地下に、一体何があるんです?」


「凄いモンだよ」


 そう嘯くオルファの表情は、彼女が蹴り上げたサイモンと同種のものだった。




◇◇◇




 しばらくは無言のまま、一行は階段を下った。松明が弾ける音と、靴音の反響だけが狭く暗い階段を満たしている。道は一本のみで、曲がることもなくひたすら地下へと続いている。トビアがふと振り返ると、地上の星明かりは少しも見えなくなっていた。


 壁はじめじめと湿っていて、時折足元を百足やゴキブリが横切る。油の燃える臭気とともに、ネズミが何かの死体が発する腐臭が漂ってきた。


 階段の息苦しさに辟易しながら、トビアは、どこまで降りていくのだろうと思った。


 大水門はウルクを見下ろす位置にあったから、階段が長いのは当然だ。だが、サイモンらはウルクの「地下」と言った。


 ザバーニヤの背から見えたウルクは、トビアには光の海のように見えた。海というのがどういうものか分からないが、ともかく水を大量にたたえた場所であることは聞き知っている。


 そんな眩いばかりの大都市の下に、一体何があるのだろう?


「さあ、もうすぐだ」


 ほどなくして、行く手に光が見えてきた。松明などとは比べものにならないほどの光量で、これが煌都の天火アトルなのかとトビアは思った。


 確かに、それは天火には違いなかった。


 しかし、それを戴く燈台は、巨大な洞窟の岩盤より垂れ下がっていた。


 天井の岩盤からはいくもの巨大な鐘乳石が伸びている。地下燈台は、その鐘乳石を加工して造られていた。


 無論、地上のそれに比べれば小規模だが、驚異的な光景であることに変わりは無い。


 しかも、燈台に灯された天火は、カナンやトビアが見慣れたものと全く異なる色をしていた。


「黒い……天火アトル……?」


 燈台に宿った炎は、エルシャやウルクのそれに比べて一回りほど小さい。


 だが、その燃え方の激しさは、煌都のそれと比べても遜色が無かった。どこか凶暴なものを感じさせ、見る者に重圧を与える……そんな、本来の天火とは異なる何かであった。


 圧倒的なのは燈台だけではない。この地下空間自体が一つの驚異であった。神話に出てくるレヴィヤタンのはらわたはかくやと思わせるほどに広大で、反対側の壁には影が横たわっている。無数の石造りの橋が交差し、そこに粗末な泥造りの小屋が寄生している。カナンらが出てきた場所も壁面に無数に走っている通路の一つだ。まるで血管のようであり、実際に上下水道が敷設されている。


 通路から身を乗り出してみると、大洞窟の下部には膨大な量の闇が澱んでいた。


 これらの光景を見ると、カナンの脳裏にアラルトの大発着場が浮かび上がってくるのは、自然なことだった。


「あの澱みは……まさか瘴土ですか?」


「その通り。あの燈台が出来るまでは、俺たちが今立っている場所だってそうだったんだぜ」


「……信じられない。煌都の地下に、こんな大規模な瘴土が埋まっていただなんて……」


 一体いつから、ウルクはこの大洞窟を隠していたのだろう? 遺産の都という二つ名がどこから来たのか、この洞窟や遺跡を見ていれば一目瞭然だが、問題はどのように隠蔽し続けていたのかということだ。


 これほど大規模な地下空間を隠すことなど不可能だ。人の出入りを制限し、緘口令を出したところで秘密は簡単に漏れる。


「この大坑窟が発見されたのはつい二十年ほど前だ。それまでは、さすがに上のお偉方だって、こんな場所があるなんて思いもよらなかったさ」


「じゃあ、それからずっと隠し続けていたってことですか?」


「ああ、そうだ。……見ろよ、あの階段の踊り場のあたりな。十字架が建ってるだろ? ここから逃げようとした奴は、不死隊アタナトイに捕まえられてあそこにはりつけにされる。そのまま飲ませず喰わせずで、体力が無くなったら自分の筋肉で窒息死だ」


「でも、貴方達は自由に出入りしている」


「おうよ。自力で戦う力があって、秘密の抜け穴だって知ってるからさ……けどな、それが何になる? こんな場所があるだなんて、人に言って信じてもらえるか?」


 まず無理だろう、とカナンは内心で相槌を打った。自分のような種類の人間なら、あるいは信じるかもしれないが、一人二人が知ったところで何の意味もない。ただの噂の一つとして扱われ、公式な場では決して問題にされないだろう。


 それに、個人の力でこの大坑窟を運営している者と戦うのは不可能だ。


 彼女らのいる場所からでも、眼下の通路や階段を我が物顔で歩き回る不死隊が見える。別の通路では、囚人服さながらの粗末な服装を着せられた男達が、隊列を組まされて壁の中の坑道へと消えていく。少しでも遅れるものがいれば、不死隊の兵士が無言のまま何度も鞭を振るった。動かなくなれば、そのまま階段の上より蹴り落とされる。死体は奈落へ真っ逆さまだ。


「たいていの奴らは、家族ぐるみでここに押し込まれてる。足回りを悪くするためにな。かく言う俺にも兄貴がいたし、そこのオルファだって妹や親父さんがいた」


「……過去形、なんですね」


「ああ。だから、こういう危ない橋だって渡れるんだ。……着いたぜ」


 サイモンは岩壁に取り付けられた戸を開いた。また新しい坑道が現れる。高さは三ミトラほどで、中央の通りの両側にいくつも横穴が開いている。まるでアリの巣だな、とカナンは思った。


 坑道の天井には蒸気が溜まっていて、両側の横穴からは熱気とともに金属を鍛える音が響いてくる。


 その横穴から、巨大なミミズのようなものが現れた時は、思わずカナンも肩を震わせてしまった。


 カナンの驚きに気付いたオルファが、「大丈夫、悪いもんじゃないよ」と声をかけた。


「あいつらは生き物じゃなくて、運搬用のゴーレムだ。見てみな、頭のところに紋章みたいなのがあるだろ?」


「まあ、見た目は確かに気持ち悪いしな……ペトラのやつも、もっとマシな形に作れば良いのによ」



「聞こえてるよ、サイモン!」



 頭上から、岩をも震わせるような大声が響いた。見ると、横穴からクルクルとした髪の少女が身を乗り出している。愛くるしい顔は煤まみれだが、手に持った金槌や作業着が妙に板についている。


「何だ、居たのかよ」


「当然。そっちがお客さん?」


「ああ。不死隊に襲われてたとこを助けたんだ」


「そりゃまた……上からでゴメン、あたしはペトラ。一応、組織の指揮官をやってる」


 穴から身を乗り出しながらペトラが言った。背丈は相当低いらしく、外見からは幼い少女のようにしか見えない。


 そんな特徴を持った種族のことを、カナンは知っていた。


「初めまして。エルシャの大祭司の娘、カナンと言います。こっちは風読みのトビアさん。……ペトラさん、貴女はひょっとして、岩堀族ですか?」


「いかにも。ここには岩堀族の末裔が集められてるんだ。まあ、その話も込み込みで……とりあえず、ウチに来なよ」

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