「そぉらそらあ! もっと腰に力を入れなきゃあ!」
「チッ!」
頭に
振り下ろされる金色の嘴を受け流し、防御姿勢から直接攻撃へと派生させる。だが、その動きは舌打ちしたくなるほど鈍かった。
「丸見えええ!」
金の嘴が左肩に刺さる。
「貧弱ゥ!」
蹴りを受け止めるが、踏ん張れない。たたらを踏みながら下がりつつ、懐から取り出した短剣を投擲する。
刃はトトゥの左肩に突き立ったが、敵は微塵も怯まない。
「ハ、ハハ、ハ。ずいぶんボケてるようだねえ。んん?」
案の定、トトゥは引き抜いた短剣を手の中で弄びながら、余裕の表情を向けてくる。
「闇渡りってのは、どいつもこいつも落ち着きが無いからねえ。すぐに薬がまわって夢見心地だ。そうなったやつをサッパリ逝かせてあげるって、結構慈悲深いよねえ」
「……」
鬱陶しい野郎だ、とイスラは思った。今すぐ喉を引き裂いて、声帯を引っこ抜いてやりたい。
(おいおい……)
イスラはかぶりを振った。
どうにも苛立っている。あまり情け深い性格ではないが、かと言って癇癪持ちでもない、それが自分のはずだ、と言い聞かせる。
(血が上り過ぎてる)
イスラは剣の柄尻で、己の頭を殴りつけた。
一度ではなく、二度も三度も繰り返し、痛みが脳髄の奥に届くまで殴り続ける。
「い、イスラ!?」
カナンの狼狽する声が聞こえた。ふと手元を見ると、剣の柄が血でドロドロに濡れている。自身の、むせ返るような血臭を感じて、イスラはニヤリと笑った。
もちろん、頭蓋が割れるように痛いが、視界は明瞭になった。血と一緒に薬も流れ出たのかもしれない。
「さあ、サッパリした! 掛かって来い!」
「ハハッ、馬鹿じゃないの?!」
トトゥが駈け出す。金色の嘴で攻めつつ、イスラの短剣で血を流させようとする。
だが、イスラは考えた。これは奴の戦術か?
答えは否だ。
事故のようなものとはいえ、最初にトトゥは麻薬を打ち込むことから始め、次いで自身に痛みを忘れる薬を打った。
実際のところ、トトゥ本人の実力は大したものではない。万全の状態なら、多少苦戦しても最後は勝てる。それは敵も自覚しているのだろう。だからこそ、彼我の戦力差を広げるために薬を利用しているのだ。
だから、
「読めてんだよ!」
左手の袖から飛び出した針をイスラはへし折った。
「そのヒラヒラした服に、何か仕込んでいるとは思っていたが……予想通りで笑えてくるぜ」
「僕を笑ってどうなる。今一番滑稽なのはお前だよっ!」
「その俺に負けたら、手前は一体何になる!」
ふらつく足に力を込めて、イスラは反撃に転じた。
伐剣を突き、薙ぎ、払い、態勢を崩したところで胸ぐらを掴んで引きずり倒す。単純な力勝負では、依然イスラの方が上回っていた。
「これで!」
伐剣を突き立てようとする。が、
「甘いぃぃぃ!?」
カリっ、と何かを噛み砕く音。直感的にイスラは飛び退ろうとするが、それよりも先に彼の顔に桃色の毒が吹き付けられた。
「チィ!」
イスラは即座に顔を拭うが、焼け石に水だ。顔など粘膜の塊、効果はすぐに表れた。
足元がまるでおぼつかない。雲の上に立っているかのように、地面の感触が感じられないのだ。カナンやトビアの戦う音が、はるか遠くから響いてくる。
(こいつは、不味い……!)
イスラは再び感覚を取り戻そうとするが、さすがのトトゥも二度目を見逃すほど寛容ではなかった。
腹に蹴りが叩き込まれる。痛みは感じないが、身体が浮いた。
そして、足場が消えた。
薬の影響などではない。物理的に足場が消えている。蹴り飛ばされた彼の身体は、大水門の床の上から虚空へと移っていた。
「イスラ!」
襲い掛かる
「ようやく逝ってくれたよ……まさか親衛隊の一人である僕が、ここまで手こずらされるなんてね。さあて、ようやく君たちを連れていくことが出来るけど……」
「退いて!」
カナンが細剣で突きかかる。だが、彼女らしからぬ乱暴な攻めはあっさりと受け止められた。
「その様子だとまだまだ抵抗するようだね。仕方ない……足の腱くらいなら」
そう呟いたトトゥの身体が、ガクリと揺れた。「あれ!?」と声を上げながら、彼もまた虚空に向かって引きずられていく。
「余所見するからだ……!」
断崖から顔だけ出したイスラが、夢見のトトゥの足に引っ掛けた蔓を引っ張っている。「馬鹿な!」余裕を崩さなかったトトゥが、初めて狼狽を見せた。そんな彼の変化など意に介さずイスラは叫ぶ。
「カナン、やれ!」
「っ、はい!」
カナンは左手に持った杖を掲げ、片手で巧みに回転させる。風車のように回るそれに、振りぬく腕の力と身体のひねりを加えてトトゥの顔面に叩き付けた。
「ゴッ!?」
黄金の仮面が砕け、トトゥの両足が地面から離れる。イスラはその隙を見逃さずに引っ張り、ついに相手を虚空へ引きずり込んだ。
夢見のトトゥは、滝の流れと一緒に暗い水面へと落ちていく。その様子を見たイスラは小さく息を吐いた。まだ薬の影響が抜けきっていない。頭はクラクラするし、もし生き延びたら今以上の地獄が待っていることだろう。
そう、生き延びられたなら。
「イスラ、掴まってください!」
「悪いけど無理だ。そこ退いとけ、危ないぞ」
ハッとしてカナンが振り向くと、地面に生えていた蔓が次々と剥がれては崖から落ちていく。その先端の片方はトトゥに、もう一方はイスラの腕に巻き付いている。薬で握力が落ちたため巻き付けたが、どうやら裏目に出てしまったようだ。
「そんな……今すぐ斬るから……!」
「馬鹿、それよりトビアだ! 俺の心配なんかするな!」
見ると、五人の
「あ……っ」
カナンは躊躇した。トビアを助けるか、イスラを助けるか。そのどちらの答えも出すことが出来ず、一瞬間、思考も動きも止まってしまった。
その間に、イスラの身体が宙に浮いた。先に落ちたトトゥに引きずられる形で、奈落へと落ちていく。自分の優柔不断さに怒りを覚えながら、それでもカナンは下を覗き込んだ。
イスラは、少しだけ笑って見せた。その顔も水しぶきに隠れ、見えなくなる。
「そんな……イスラ…………」
――どうしよう。
カナンは途方に暮れた。
杖と剣が手から離れる。それを振るって戦ってこれたのは、隣にイスラが居たからだ。
「私の……私がもっと、早く……」
トビアも自身も絶体絶命の危機にあることを忘れて、カナンは両手で髪を掻き毟った。
その偏狭な考えが、とんでもない結果を招いてしまった。
背後に人の立つ気配がした。だが、カナンは剣も杖も取ろうとはしなかった。強すぎる自責の念が、彼女の口を閉ざしていた。
「おいおい、あんたも不死隊の一人か?」
だが、相手は不死隊ではなかった。彼らは決して喋らない。トビアを囲んでいた五人は、全員音も立てずに絶命していた。
カナンは虚ろな瞳で振り返る。剣や弓、槍を携えた十数人の人間が二人を取り囲んでいた。