広場に戻ったトビトの宣言により、里の放棄が決定した。異を唱える者は誰一人として存在しなかった。
「遺憾だが、里の命脈は完全に断たれた。この上、生きている者まで死に絶える必要はあるまい」
老人たちは間をおかずに頷き、トビアも父親の決定には異論を挟まなかった。
そんな中、最初に疑義を呈したのはカナンだった。外様である自分が言うのは出過ぎた真似かもしれないと思うが、疑問を放っておける性格のカナンではない。
「トビト様のお考えは理解出来ますし、私たちも助力を惜しみませんが……どこに向かうのか、受け入れてもらえるアテはあるのですか?」
「煌都ウルクを頼るつもりです。後ほどフクロウに手紙を持たせて、煌都に向け飛ばします」
「ウルク、ですか……」
「それは良いとして、あんたら、どうやって瘴土を抜けてくつもりだ? 爺さん婆さんばかりであの山道と瘴土を越えるのは無理だぜ。それとも、あんた、犠牲を前提で言ってるのか?」
カナンの呟きを遮ってイスラが言った。その心配はもっともで、カナンも無言のまま頷いた。
だが、里の人間は誰一人として心配していないようだった。それどころか、年季の入った老人たちは笑ってすらいる。
「ほっほっ、若いの。見くびってもらっては困るの。わしらが何者なのかもう忘れたのかね?」
ディボンの言葉に応じるように、廃墟の上に留まっていたシムルグたちが一斉に鳴き声を上げた。
「わしらにとって山などあってないようなものじゃ。シムルグに乗って、飛び越してやるわい」
「おいおい、正気かよ……空にはあの羽根付きがうじゃうじゃいるんだ。どうしたって死人が出るぜ」
「それは……仕方があるまい。のう、トビトや?」
「その通りだ。我々も、犠牲が出ることを承知の上でそうするつもりだ。どの道、ここにいても凍え死ぬ未来しか待っていない。それに、地上を行くより生存率はずっと高まるだろう。何より、今の我々にはカナン様がおられる」
里人の視線を一身に浴びたカナンはびくりと肩を震わせた。イスラは、彼女が不意を突かれたのだと気付いたが、一体何を考えていたのだろうと思った。
「もちろん、私に出来ることなら、何でもやります。けれど、あまり過信しないでください。回収出来た天火の量は知れてますし、出てくる敵の数によっては、戦っている最中に余力が無くなるかもしれません」
「承知しています。しかし、貴女の力があるか無いかでは、やはり大きな差があります。貴女には、我々の運命を変える力がある。どうか、お忘れなきように」
「運命だなんて……」
パンパン、とトビトは手を打った。それがカナンの言葉を途切れさせたようにイスラには思えたが、それ以上意識を割くこともしなかった。
「さあ、やることは決まった! 出発は五日後、それまでに全ての準備を終わらせるぞ。急げ!」
トビトの命令はすぐさま里全体に広がり、誰もが自分に出来ることを一斉にやり始めた。外様の二人も例外ではなかったが、動き出す前に、イスラはさっきカナンが考えていたことについてたずねてみた。
「何か引っかかることでもあるのか?」
「ええ……煌都ウルクは、他の煌都に比べても格段に排他的と言われています。あの街の構造上の問題もあるのですが……それを差し引いても、行政そのものが差別を推奨しているところがあります」
「住み心地の悪そうな所だな」
イスラは呑気なことを言った。煌都の排他性はどこであれ共通している、そんな思いが、彼にぶっきらぼうな言葉を使わせたのかもしれない。
わざわざ虐げられると分かっている場所に移り住むのも難儀だと思う。そんなことをするくらいなら、いっそ闇渡りのように放浪すれば良いのに、と。そう思考が働くのは、イスラの闇渡りとしての性だった。
「あんたはどうなんだ? ウルクは、あんたの行き先の一つに入っているのか?」
守火手たるイスラとしては、里の人間のことより、彼女の意思の方が気がかりだった。
カナンが人助けに動くのは分かり切っているが、それが終わった後どうするつもりなのか。それを確認しておきたかった。
「はい、最初からそのつもりです。ウルクは『遺産の都』とも呼ばれていて、旧時代の技術や知識の一部を保持しています。そこからエデンの手がかりをつかめるかもしれません」
「なるほど、行く意味はあるってことか」
「……着いたら、あなたには辛い思いをさせてしまうかもしれません」
「気にするな。あんたの行くところなら、どこにだって着いていくつもりだ。俺自身がそう決めてるんだから、水を差すようなことは言わないでくれ」
「あら、生意気」
「言ってろ……さて、それじゃあ無事にたどり着くために、出来るだけの準備は済ませておくか」
「はいっ!」
◇◇◇
それからの数日は慌ただしく進んだ。里人はシムルグに体力をつけさせるため、残っているありったけの食料を与え、それと並行して人を乗せるための籠やベルト、ロープの作成に奔走していた。弓や弩も使える物はすべて集め、余分な金具は溶かして
それに便乗する形で、イスラはかねてからやりたかったことを済ませてしまった。
新しい伐剣を鍛えることだ。
以前使っていた物は大発着場の戦いで折れてしまった。以降は何かとカナンの細剣に頼ってきたが、軽すぎて今ひとつ彼の手には馴染まず、見るからに高価で荒っぽい使い方をするのは気が引ける。
抉ったり投げたりしておいて何を今さら、とカナンに突っ込まれたが、ともかく新しい伐剣が欲しかった。
不要になった鉄をかき集め、炉で熱して溶かしたそれを彼自ら叩いて鍛えた。里の鍛冶師に任せることも出来たが、忙しそうにしていたし、何より自分の使う物は自分で作りたいというこだわりがある。業物を作る技術など無いが、伐剣はもとより下衆な武器だ。切れ味よりも、手に馴染むだけの重みがある方が良いとイスラは思っている。
そうして作り上げた剣は、当然ながら粗い仕上がりになった。だがズシリとくるその重みには、他の剣では得られない心強さを感じる。
イスラが用意を進める一方、カナンは瞑想に時間を費やしていた。もちろん、そうしなければならない理由があったからだ。
里の燈台が壊された際、カナンは残った天火を権杖に吸収しておいた。
継火手の権杖は、こういうことを想定して作られたものだ。個人で保有しきれない天火を得た場合、それを保持しておく力がある。
あくまで緊急手段なので、カナンの保有量を越えた天火は、その分彼女に消耗を強いる。さっさと消費すれば問題無いが、ティアマトの支配する空を抜けるのに、天火は少しでも多く蓄えておいた方が良い。
ただ、その瞑想は必ずしも完全ではなかった。
これから向かうウルクのことがどうしても気掛かりだった。自分たちだけでなく、里人たちのことも含めて。
食事を持ってきてくれるトビアを見るたびに、彼はあの偏見の渦の中で生きていけるのだろうか、思った。
だが、そんなことはカナンが考えるべきことではなかった。頼れる父親のいる少年に、過度に気遣いをするのは、余計なお世話というものだ。そう思い直して、カナンは目を閉じた。
そして当日、トビトの掛け声とともに、集まった七十羽近いシムルグが一斉に天へと昇った。