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【第三十三節/灰の中から】

 カナンとトビトが戻った時、すでにティアマトたちは去った後だった。すでに廃墟と化した里を残して。無事な建物はいくつかあるが、天火を失った以上、それらが廃屋と化すのはすぐのことだ。


 慰めは、死者が少なかったことくらいだが、それとて人口四十人に満たない里にとっては大打撃だ。


「どうしてこんなことに……」


 シムルグから降りたカナンは、里の広場に呆然と座り込む老人たちを見て、胸の裂けるような痛みを覚えた。


 イスラは石垣の上に座り、細剣を手の中で弄んでいた。


「イスラ、何があったんですか」


「夜魔にやられた……」


 イスラは苦虫を噛み潰したような表情で、何が起きたかをカナンに伝えた。そしてぽつりと「俺の失敗だ」と呟いた。


「低空から突っ込んできた夜魔に、剣を投げて殺した。でも、そいつの攻撃までは阻止出来なかった。それで燈台が崩れて……」


「そんな……イスラのせいじゃありません。やむを得ないことです」


「けどな……!」


 イスラは石垣に拳を叩きつけた。どうしようも無い状況だったことは確かだが、それで納得出来るような性格ではない。


 そんな彼の肩に、ポンとシワだらけの手が置かれた。トビアがディボンと呼んだ老人だった。イスラも、風呂場で何度か顔を合わせた相手だ。


「そう気にするんじゃない、お前さんは良くやってくれたよ。ぼんのことも、ちゃんと守ってくれたからの」


「……守れたって言えるのかな」


「当然じゃ。あれの命を失う方が、里が滅びるよりもずっと辛いわい」


 ディボンの言葉に応じるように、座り込んでいた他の老人たちも苦しげながら頷いた。


「わしら全員にとって、トビアは孫のようなものじゃて。子供は希望そのものじゃよ」


「……以前から気になっていたのですが、この里にトビトさんと同年代の人が居ないのには、何か理由があるのですか?」


 カナンは抱えていた疑問を口にした。煌都以外の共同体が少子高齢化に陥ることは珍しくないが、ここまで極端な例は聞いたことが無い。


 瘴土の存在によって外部との交流が絶えているのは分かるが、それとて大過去の話ではないだろう。交流があれば、ここまで極端な状態になるとは考えにくい。


 流行病が蔓延した可能性も考えたが、それなら老人の人数が減る方が自然だ。


「何か、人為的な要因があったのですか」


 そう考えるのが自然だ。


「……まあ、そうとも言えるかもしれんの。単純な話じゃが、二十年前、ウルクから最後の隊商が来た時に、若い衆を皆連れて行ってしまったんじゃ。いや、ついて行ったと言う方が正しいかの。ウルクから来た商人連中の口車に乗せられて、若い衆はあっさりと里を捨ててしもうた」


 もっとも、とディボンはため息をついた。


「こんな寂れた里に、活力を持て余した若者が住み続けたいと思うはずもあるまいて。風読みの伝統云々といっても、そうたいした技術が残っているわけでもなし、若い衆が華やかな煌都に憧れるのは当然のことじゃ」


「……トビアの親父は、それでも残ったのか?」


 イスラが訊いた。


「そうじゃ。あれは、代々この里の長を務めてきた一族の直系。トビアはその末裔にあたる。風を操る才覚も、ほかの者に比べて優れておる」


「だから、俺に何としても助けろって言ったわけか」


 イスラの言葉に続いて、カナンも得心した。彼らがトビアをとても大切に思っていることは見ていて分かるが、そこには里の伝統が絡んでいたのだ。


 もちろん、それが彼らの愛情を否定する要素にはなり得ない。そしてトビアもまた、自分の育った里を大切にしている。だからこそ、ティアマトの爆撃に身をさらしてまで戦おうとしたのだ。


 だが、その里も天火を失い、共同体としての機能を完全に喪失した。このままでは生活を維持することは出来ないし、瘴土に呑まれるよりも早く全滅するだろう。


「おい、カナン」


 イスラはカナンを見やった。彼女はどうするつもりなのだろう? 現在、彼女の護衛役であるイスラに決定権は無い。彼女の意思一つでこれからの行動が左右される。


 だが、カナンにしても、どう動くべきか決めかねていた。里を見捨てて、イスラと二人で身軽になって行動することも選択肢としては存在する。が、それでは継火手として人々を助けるという目的に反してしまう。


 とりあえず、今の二人には出来ることをする以外にやりようが無かった。


 カナンは天火の残り火を吸収し、イスラは使えるものを集めてくる。時間を持て余していると二人とも理解していたが、何もしないよりは遥かにマシと思えた。




◇◇◇




 トビアは里の離れにある丘に座っていた。傍らにはシムルグのザバーニヤがうずくまり、くちばしで彼のとび色の髪の毛を噛んでいる。


 天火の失われた里には、松明のあかりが点々としているが、以前とは比べものにならないほど暗くなっている。これまで小さな天火だと思ってきたが、いざ失われてみると、それがどれだけ強く自分たちの生活を照らしてきてくれたのか分かった。


 今や、里の松明などより、月光のほうがよほど明々と世界を照らし出している。淡い金色の光は美しく、かつ玄妙に丘や山や空を輝かせる。


 それでも、たったこれだけの光の中で生きていくことは不可能だ。山風が丘の表面を撫でるたびに、トビアはザバーニヤの翼に身を寄せた。天火無しでは、山の気候はあまりに寒すぎた。


 ふと、イスラの歩いてきた道は、どこもこんな風だったのか、と思った。


 トビアにとって、イスラは畏怖の対象となっていた。物の見方、考え方は違うが、ぶっきらぼうな態度には優しさが潜んでいる。だが、一度戦いともなれば、獣のように苛烈な面を見せる。その獣と人とが混ざったような不思議な印象は、トビアがかつて接したことの無いものだった。


 カナンも同じく異邦人であり、彼のそれまでの常識とは外れた存在だが、異性ということもあってかえって冷静に見ることが出来ていた。


 だが、イスラは同性で、歳もそこまで離れてはいない。それなのに、これだけの差異があるという現実が、トビアには不可解で仕方なかった。


 だからこそ、ことあるごとに脳裏に浮かんでは、何事かを語りかけてくるのだ。


「トビア、ここにいたのか」


「父さん……」


 物思いに沈んでいたトビアに、父親が声を掛けた。


 トビトはゆっくりと丘を登ると、息子の隣に腰を下ろした。


「こうして見ると、本当に真っ暗になってしまったなあ……油も薪も量は知れているし、困ったものだ」


 トビトは苦笑しつつ頭を掻いた。


「……ごめんなさい、父さん。僕、里を守れませんでした……」


 トビアは絞り出すような声で言った。彼の中で、里が壊滅したのは自分の力が足りなかったからだと結論付けていた。もっと強い矢が打てたなら、風霊を使いこなせていたら、そんな思いが次々と沸き起こってくる。


 どこかで、里に天火があるという事実に安心していたのかもしれない。夜魔が攻めてくることなど無いのだと。だから、訓練にも大して力を注いでいなかったのではないか。


 実際にはトビアは十分まじめに訓練を積んできたし、ティアマトの脅威も十分理解している。だが、今の彼に自己肯定など出来るはずも無く、全ての因果が自分の力不足に寄るのだとしか思えなかった。


「……」


 トビトは、そんな息子の生真面目さを良く知っている。


 だから、片手をトビアの頭に置いて「良く戦った」と言った。


「お前は十分勇敢に戦ったとも。無鉄砲とは父さんも思うが、お前に勇気が無いと考える人は、里のどこにもおらんさ」


「でも……僕がもっと、ちゃんと戦えていたら……天火だけでも守れたかもしれない!」


「そうかもしれん。いや、増長しないよう言っておくが、お前はまだまだ半人前……どころか、子供だ。闇渡りの彼でさえ、ティアマトには手を焼いたのだろう? 私がいたとて、同じ結果になったかもしれん。カナン様がいたとしても、そうだ。


 ……つまりな、トビア。万事、何がどう転ぶか見当はつけられんのだ。起きるべきことは起きるし、そうでないことは実現しない。人間が個々の努力で動かせるほど、運命というものは軽くないのだよ」


「運命……?」


「そうだ。もちろん私も残念に思っているが、里がこうなってしまったのは、ある種の必然だったのではないかと思っている。起きるべくして起きたのだとな。となると、我々に出来ることは、事実を受け止め前に進むことだけだ」


 バンッ! と力強くトビトは息子の背中を叩いた。華奢なトビアは前のめりになってせき込んだ。


 父親のトビトから見ても、トビアは力強い少年とは到底言えない。それでも、今回の一件で男として十分な勇気を備えていることが分かった。


 父親としては、それだけで十二分に嬉しい。


「トビア、出発の準備をするぞ!」


「し、出発!? 何の!?」


「決まっているだろう。里を捨てるんだ。爺さんたちや、カナン様にもそう言って来い! 私も後から行く」


「で、でも……」


「駆け足!」


 唐突な命令に抗しきれず、トビアはバタバタと走り出した。捨て置かれたザバーニヤは不満げに「グエー」と鳴いた。


「そう怒るな、ザバーニヤ。お前にはやってもらわなければならないことがある」


 トビトは金色の体毛を撫でた。そしてぽつりと、「私にも、な」と呟いた。

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