初日は転ばされてばかりだったが、五日も経つとイスラはあっさりとカナンを押し込むようになった。
元々、体術においては彼の方が圧倒的に上なのだ。相変わらず勢い任せではあるものの、そこに少しでも技術が加わったことで、カナンにとっては格段にやりにくい相手になった。
加えて、イスラには豊富な実戦経験がある。これまで意識せずにやってきたこと、あるいはされてきたことに、カナンの教えを当てはめることで、急速に理解を深めていった。
それでも、最後の最後に勝つのはいつもカナンだった。
その差は、やはり師の存在だろう。イスラという獰猛な人間を相手取って、カナンは初めてその教えの価値を理解した。
五日目、いつも通り里の外れの草原で羊に囲まれながら、二人は剣術の練習をしていた。
最初に復習を兼ねた模擬戦をやって、それから反省会に移る。カナンはギデオンの言葉を思い出しながら防御の講釈をした。
『防御の基本は、攻撃線を意識することにあります。攻撃線とは、相手を傷つけるために武器が通るであろう軌跡を指します。最良の攻撃を放つためには最良の攻撃線、つまり最も短い時間で敵に到達出来る線を選ぶことです』
「だからこそ、敵の攻撃を受け止める際には、敵にとって最良の攻撃線を意識することが大切だ、と教えられました」
イスラに防御術の講釈をするにあたって、ギデオンが言っていた攻撃線の概念はとても役に立った。
カナンは棒を右手に持って、それを左肩に担ぐような形に構える。
「この場合、最良の攻撃線は何になると思いますか?」
「そのまま突っ込んで行って逆袈裟」
カナンは両腕でペケの形を作った。
「不正解です。イスラ、あなた思考が突撃の方向に寄り過ぎですよ」
ここ数日間で気付いた、相棒の思わぬ欠点だった。
森の中での生存戦術においては徹底して冷静さを保っているというのに、こと戦いのこととなると思考が著しく攻撃的になるのは、イスラの悪い癖だと思う。
「この場合の最善手は、柄による目潰しですね。ぐるりと剣を振るよりも速く、相手の弱点を突けます」
「柄打ちか……」
エルシャの剣匠と戦った時のことを思い出す。ギデオンの第一手は柄打ちだった。背後に剣を振りかぶっていたイスラは、その攻撃を予期出来ず、手痛い一撃を食らってしまった。
「もちろん、イスラの言う通り逆袈裟に斬ることも出来るでしょう。あるいは、自由な左手で相手の武器をつかんだり、殴ることも出来ます。要は、攻撃の手段をいかに多様化させるか、ということです。防御に回った際は、あくまで最良の攻撃線を基本に考えながら、そこから相手がどのように技を派生させるかということを考える必要があります」
「言ってることは分かるけど、戦ってる最中に一々そんなことを考えていられるのか?」
「だからこそ、身体に型を覚えさせることが必要なんです。何事も繰り返しですよ……それじゃあ、今日も私が勝ったので、約束通り午後からは型の練習をしておいてくださいね」
「マジか……」
「どうせ暇でしょう?」
「……暇だよ。カナンはどうするんだ?」
「昨日と同じく、下山する道を探します」
「見つかりそうか?」
「…………」
この数日間、アラルト山脈から下山する道を色々と探してきたが、通れそうな場所はほとんど見つからなかった。
里は山脈からせり出した土地に偶然出来ているような具合で、別の山に移るには巨大な谷を越えなければならない。その谷にしても非常に切り立っていて、降りるだけでも難儀しそうだった。その時はイスラも同行したが、谷の深さと壁面を見て、「こりゃ無理だ」と結論付けた。
おまけに、トビトの言っていた通り、アラルト山脈の大半が瘴土に飲まれかけている。土地勘の無い過酷な環境で、夜魔や瘴土の闇と戦いながら行動するのは無謀だ。
つまり、陸路での移動はほぼ不可能と考えて良い。
「あの鳥……シムルグは使えないのか?」
「それも考えました。でも、どれだけ大きな個体でも、一羽あたり二人が限界です。私たちにシムルグを操る能力なんてありませんし、荷物のことも考えたら、最低でも三羽は必要ですね。……でも、そんな人数でティアマトの巣を抜けるというのも、現実的じゃありません」
あの大型の夜魔を相手取るなら、自然と
イスラに言った通り、彼女の能力もまた、繰り返しによって磨かれるものなのだ。
「……そうですね。課題を一つ増やしましょうか」
「あん?」
カナンは地面に置いていた細剣を手に取った。抜き身のままイスラに渡し、
「夕食まで、炎を消さないよう頑張ってください」
「はあ!? 無理言うな!」
声を荒げるイスラに、カナンは「めっ」と指を立てる。
「力の制御を覚えるのは大切ですよ。私たち継火手はともかく、普通の人は
世界が闇に包まれた時、神様はその意思を表すために、聖なる炎を宿した天使を遣わしました。私たちは、その第一世代の天使、すなわち継火手の子孫にあたります。
女性だけが継火手と呼ばれるのは、単純に女性の方が天火を許容し易い体質だからです。何故そうなのか、理由には諸説ありますが……継火手の始祖、シオンが女性だったからという説が有力ですね」
「それって理由になるか?」
呆れ交じりにイスラは言った。どうにも、頭の良い人間は、時々とても間の抜けたことを考えつく。
だが、カナンは軽く肩をすくめて「歴史の闇のなかのことなので、何とも言えません」と答えた。
「私たちは、天火を宿す血統を『シオンの血』と呼んでいます。天火を生成し、体内で保持、制御出来るのは、その血のお陰なんです。だから、天火にも直接触れることが出来るし、火傷をすることもありません」
「じゃあ、何で俺は平気なんだ?」
イスラは炎に包まれた刀身を握りながら言った。彼の手は燃えるどころか、乾いてすらいない。
「それこそ
だから、秘蹟の効力がある間は、天火の制御はイスラの思うがままです。もちろん時間制限はありますけどね」
「制御か……この前、あの百足みたいな奴と戦った時、最後にちょっとだけ分けてもらっただろ?」
「ええ」
「あの時な……傷が治ろうとするのを止めようとしてたんだ。治らなくても良い、あいつを潰すために残ってろ、って」
上位法術を放つためにカナンは身動きが取れなかった。足止めをするためには、自分が敵にとって脅威だと認識させなければならない。
無茶をすべき状況だった。判断は間違っていないと思う。そして、カナンから与えられた炎は、その意志に応えた。
天火とは、心と結びつく力なのだ。
「俺が思うように使える、そう考えて良いんだな?」
「……ええ。でも、私はなるべく、あなたに無理をして欲しくありません。あなたの心が平静なままなら、天火だって長持ちします。戦いの時でも、あまり
「……ン。努力する」