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【第二十八節/風呂場にて 下】

 正直なところ、トビアは外から来た二人が怖かった。


 自分以外にシワの無い人間に会うのが初めてで、困惑していたということもある。


 カナンという、日に焼けた女性に対しては、それほど恐怖は感じない。ただ、あまりに綺麗過ぎてどうしても気後れしてしまう。「外」の女の人は、皆こんな風なのかな、と思った。


 一方、イスラに対しては畏怖に近い感情を抱いていた。


 あのティアマトを一人で倒した男。それも、歳は自分とあまり変わらないにもかかわらず。灰と月光の中を悠然と歩いてくる姿は、トビアの網膜に焼き付いていた。


 イスラの身体に刻まれた無数の傷跡も、彼の恐ろしい印象を強めている。一体どんな修羅場を潜ればこんな風になるのだろう、と思った。


「おい」


「は、はいっ!?」


 湯の中でトビアは飛び上がった。その拍子に飛んだ水がイスラの顔に掛かる。


「わっ、すみません!」


「良いよ別に」


 イスラは顔を手で拭った。「ビビられるのには慣れてる」


「闇渡りを見るのは初めてか?」


「えっと……はい。外から来た人を見るのは、初めて、です……」


「そうか。そりゃあ、まあ、怖いだろうな」


「いえ、そんな……」


「気にすんな。自分でも普通じゃないって分かってる。それを受け入れた上で闇渡りをやってきたんだ。全部納得済みだよ」


 人は、自分の生まれを変えることは出来ないし、育った環境から否応無く影響を受ける。闇渡りとして生まれ育ったなら、自然と闇渡りになっていくものなのだ。


「それなら……カナンさんは怖がらなかったんですか?」


 イスラは苦笑した。


「あいつは変なんだよ。変人だ。怖がるどころか、あいつの方から旅に連れて行けって言い出したんだぜ? 煌都の箱入り娘が……本当、今でも良く分からないヤツだって思うよ」


 そう言うイスラの表情は、トビアからはあまり険しいものには見えなかった。むしろ、傷だらけの凶相が、少しだけ柔らかく映った。


「……カナンさんは、どうしてイスラさんを誘ったんですか?」


「曰く、俺が言葉を大事にする人間だから、だってさ」


「……?」


 トビアは良く分からないという表情を浮かべた。実際、抽象的過ぎて意味が分からない。そりゃあそういう顔にもなるよな、とイスラは思った。彼自身、今一つ納得出来ないままなのだ。


「あー……闇渡りには、先祖の遺したいろんな格言があってな。俺がそれをしょっちゅう引用するから、言葉を大切にしているって思ったらしい。まあ、確かに事あるごとに使っちゃいるけど……それがあいつには、先祖の言葉を信じて大切にしていることになるんだと」


「イスラさんは、それで納得してるんですか?」


「今一つピンと来てないよ。でも、あいつは俺を信頼してくれてるし、俺だって、信頼されて悪い気はしない。全く、本当に変人だよ、闇渡りをあっさりと信じて守火手に選ぶなんて」


 イスラは大きくあくびをしてから立ち上がった。足の先までしっかりと温まっている。これ以上はのぼせるだけだ。


「じゃあ、お先」


「あ、はい……」


 ペタペタと石畳の上を歩いていくイスラを見送りながら、トビアは、怖いけど悪い人ではないのだろうな、と思った。


 もっとイスラやカナンのことを知りたいと思った。自分とそう歳の変わらない二人が、何を理由に、何を求めて旅をしているのか。いつか聞きに行こうと思った。


 少年の中にあった恐れは、他者への興味に変わり始めていた。




◇◇◇




 服を着て、泊まっている宿に戻る途中、トビトの家から帰ってきたカナンと鉢合わせた。カナンはイスラを見るとにっこりと笑って「さっぱりしましたね」と言った。


「ああ、湯に浸かったのは久しぶりだ。効能とかは分からないけど、たぶん傷口にも効くだろうしな」


「……苦労をかけさせてしまいましたね」


「そんな申し訳なさそうな顔するな。俺の腕がまだまだ未熟なだけだ」


「イスラが? まさか……」


「あの煌都の連中な、サシなら楽勝だろうけど、五人を一度に相手すりゃあこの様だ。余計な攻撃も食らい過ぎた。自分で言うのも何だけど……雑すぎるんだよなあ」


 イスラは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。実際、自分があまり戦上手で無いことは気付いていた。


 戦いというのは、身体能力に任せてやれば良いというものではない。それで全てが決するのなら、人間が虎や豹に勝てる道理が無い。


 自分の場合、戦術や立ち回り、及びそれを実行する技術が無いのだ。イスラはそう結論付けている。身体能力にあかせて強引に押し切る戦い方では、いずれ限界を迎えるだろう。


「無駄に生傷を増やせば、天火アトルをその回復に回さなくちゃならない。それだって無駄と言えば無駄だろ?」


「まあ……私としても、秘蹟サクラメントの使用回数はなるべく抑えたいですし、効果の続いている間に戦いを終わらせたいですね」


「だから、あんたに手伝ってほしい」


「え? 手伝うって、何をです?」


「決まってんだろ、剣術の練習だよ。ってか、教えてほしい」


 イスラはさらりと言ってのけた。


「ええっ!? 私がですか!」


「あんたしかいねえだろ。大体、正式な訓練を受けてきたんだろ? おあつらえ向きじゃねえか」


「そんな……私の腕なんて、平凡なものですし……」


「そこをどうか、頼む!」


 パン! と両手を打ち合わせてイスラは言った。カナンの心が揺れる。彼の方からはっきりとした「お願い」をしてくるのは、初めてかもしれない。それに普段は何でも自分一人で片付けてしまうイスラが、自分を頼ってくれるというのも、嬉しかった。


「……分かりました。教えられる範囲で、努力します」

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