正直なところ、トビアは外から来た二人が怖かった。
自分以外にシワの無い人間に会うのが初めてで、困惑していたということもある。
カナンという、日に焼けた女性に対しては、それほど恐怖は感じない。ただ、あまりに綺麗過ぎてどうしても気後れしてしまう。「外」の女の人は、皆こんな風なのかな、と思った。
一方、イスラに対しては畏怖に近い感情を抱いていた。
あのティアマトを一人で倒した男。それも、歳は自分とあまり変わらないにもかかわらず。灰と月光の中を悠然と歩いてくる姿は、トビアの網膜に焼き付いていた。
イスラの身体に刻まれた無数の傷跡も、彼の恐ろしい印象を強めている。一体どんな修羅場を潜ればこんな風になるのだろう、と思った。
「おい」
「は、はいっ!?」
湯の中でトビアは飛び上がった。その拍子に飛んだ水がイスラの顔に掛かる。
「わっ、すみません!」
「良いよ別に」
イスラは顔を手で拭った。「ビビられるのには慣れてる」
「闇渡りを見るのは初めてか?」
「えっと……はい。外から来た人を見るのは、初めて、です……」
「そうか。そりゃあ、まあ、怖いだろうな」
「いえ、そんな……」
「気にすんな。自分でも普通じゃないって分かってる。それを受け入れた上で闇渡りをやってきたんだ。全部納得済みだよ」
人は、自分の生まれを変えることは出来ないし、育った環境から否応無く影響を受ける。闇渡りとして生まれ育ったなら、自然と闇渡りになっていくものなのだ。
「それなら……カナンさんは怖がらなかったんですか?」
イスラは苦笑した。
「あいつは変なんだよ。変人だ。怖がるどころか、あいつの方から旅に連れて行けって言い出したんだぜ? 煌都の箱入り娘が……本当、今でも良く分からないヤツだって思うよ」
そう言うイスラの表情は、トビアからはあまり険しいものには見えなかった。むしろ、傷だらけの凶相が、少しだけ柔らかく映った。
「……カナンさんは、どうしてイスラさんを誘ったんですか?」
「曰く、俺が言葉を大事にする人間だから、だってさ」
「……?」
トビアは良く分からないという表情を浮かべた。実際、抽象的過ぎて意味が分からない。そりゃあそういう顔にもなるよな、とイスラは思った。彼自身、今一つ納得出来ないままなのだ。
「あー……闇渡りには、先祖の遺したいろんな格言があってな。俺がそれをしょっちゅう引用するから、言葉を大切にしているって思ったらしい。まあ、確かに事あるごとに使っちゃいるけど……それがあいつには、先祖の言葉を信じて大切にしていることになるんだと」
「イスラさんは、それで納得してるんですか?」
「今一つピンと来てないよ。でも、あいつは俺を信頼してくれてるし、俺だって、信頼されて悪い気はしない。全く、本当に変人だよ、闇渡りをあっさりと信じて守火手に選ぶなんて」
イスラは大きくあくびをしてから立ち上がった。足の先までしっかりと温まっている。これ以上はのぼせるだけだ。
「じゃあ、お先」
「あ、はい……」
ペタペタと石畳の上を歩いていくイスラを見送りながら、トビアは、怖いけど悪い人ではないのだろうな、と思った。
もっとイスラやカナンのことを知りたいと思った。自分とそう歳の変わらない二人が、何を理由に、何を求めて旅をしているのか。いつか聞きに行こうと思った。
少年の中にあった恐れは、他者への興味に変わり始めていた。
◇◇◇
服を着て、泊まっている宿に戻る途中、トビトの家から帰ってきたカナンと鉢合わせた。カナンはイスラを見るとにっこりと笑って「さっぱりしましたね」と言った。
「ああ、湯に浸かったのは久しぶりだ。効能とかは分からないけど、たぶん傷口にも効くだろうしな」
「……苦労をかけさせてしまいましたね」
「そんな申し訳なさそうな顔するな。俺の腕がまだまだ未熟なだけだ」
「イスラが? まさか……」
「あの煌都の連中な、サシなら楽勝だろうけど、五人を一度に相手すりゃあこの様だ。余計な攻撃も食らい過ぎた。自分で言うのも何だけど……雑すぎるんだよなあ」
イスラは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。実際、自分があまり戦上手で無いことは気付いていた。
戦いというのは、身体能力に任せてやれば良いというものではない。それで全てが決するのなら、人間が虎や豹に勝てる道理が無い。
自分の場合、戦術や立ち回り、及びそれを実行する技術が無いのだ。イスラはそう結論付けている。身体能力にあかせて強引に押し切る戦い方では、いずれ限界を迎えるだろう。
「無駄に生傷を増やせば、
「まあ……私としても、
「だから、あんたに手伝ってほしい」
「え? 手伝うって、何をです?」
「決まってんだろ、剣術の練習だよ。ってか、教えてほしい」
イスラはさらりと言ってのけた。
「ええっ!? 私がですか!」
「あんたしかいねえだろ。大体、正式な訓練を受けてきたんだろ? おあつらえ向きじゃねえか」
「そんな……私の腕なんて、平凡なものですし……」
「そこをどうか、頼む!」
パン! と両手を打ち合わせてイスラは言った。カナンの心が揺れる。彼の方からはっきりとした「お願い」をしてくるのは、初めてかもしれない。それに普段は何でも自分一人で片付けてしまうイスラが、自分を頼ってくれるというのも、嬉しかった。
「……分かりました。教えられる範囲で、努力します」