リダの町長のアンナスは、日に二度目の珍客に戸惑っていた。レヴィンと名乗る青年を筆頭に、十人の煌都の軍人が押しかけてきたのだ。
最初は何事かと思ったものの、さすがにそこはあしらい慣れている。旅の疲れをねぎらいながら浴室に通し、その後、カナンが手をつけなかった晩餐の料理をそのまま振る舞った。
青年軍人たちはそれらをさも当然といった顔で平らげ、秘蔵の葡萄酒まで遠慮無く要求したが、彼らの心象を良くする利を思えば我慢出来た。直前にここを訪れたカナンが無欲だったために、余計に図々しく感じたのかもしれない。煌都からの客人といえば、おしなべてこんなものだ。
軍人たちの顔が揃って赤くなったのを見計らい、アンナスは何の用でリダを訪ねたのかと切り出した。
「我らの崇高な使命に興味があると?」
「それはもう、是非ともお聞かせください」
よかろう、と勿体振りながらレヴィンは反り返り、懐から一本の書簡を取り出した。
「エルシャの大祭司であられる、エルアザル様直々の御達しである。猊下は我々に、邪悪な闇渡りによって誘拐された御息女カナン様の捜索を命じられた。
高々とレヴィンは言い放ったが、アンナスは顎が外れそうなほど口を開いて呆然としてしまった。
あまりに一方的な申し出であり、しかも彼我の力の差から、絶対に逆らうことが出来ない。目の前に積み上げられた豚や鶏の骨を見ると眩暈がする。
だが、よく考えなくとも、これは千載一遇の好機だった。
「み、皆様に協力することは、我らリダの町民の喜びであります。しかし……」
「無論、カナン様を無事に保護出来たなら、煌都の長老議会は諸君らへの礼を惜しまぬであろう」
レヴィンは先回りして言った。それこそアンナスの待っていた台詞だ。
「……では、すでにカナン様の御身を保護している、と言ったら……?」
今度はレヴィンらの驚く番だった。アンナスは内心でほくそ笑む。どうも、この青年軍人たちは威丈高であるが、オツムが足りない。立ったばかりの赤ん坊のように、何を望んでいるか手に取るように分かる。
「それは本当か?」
レヴィンが身を乗り出す。
「左様、事実でございます。カナン様はこのリダを訪れ、我らに
実は、アンナスはカナンの行方を知らない。マルタをつけているし、着いてろくに休まず町を出るとも思わなかった。万一出ようにも、町の門は兵士たちに守らせている。狭い町だ、見つけるのに難儀はすまい。アンナスはそう考えた。
もちろん不安が無いではないが、煌都生まれの彼女が、小さいとはいえそそくさと
だから、戻って来たマルタがすでに二人は去ったと告げた時、アンナスの目の前は真っ白になった。
食堂に連れて来られたマルタは、十人の軍人と強張った表情の町長に取り囲まれて身を縮めた。誰もが食い入るような目で彼女を見ている。
彼らもカナンと同じ煌都の人間だが、マルタが彼女に対して抱いた自然な敬意は微塵も沸き起こらなかった。それどころか恐ろしいとすら感じる。
「答えろ、樵の娘。カナン様はどこに向かった?」
レヴィンがマルタに詰め寄った。彼女はわずかに身を引くが、震える声で「存じ上げません」と答えた。
「そんなはずはない! 町の者は、お前がカナン様を追っていったのを見ているのだぞ!」
レヴィンに代わってアンナスが噛みついた。好機と思っていたが、カナンが見つからないのでは逆効果だ。大言壮語を吐いた手前、引っ込みがつかなくなっていた。
「いえ、途中で見失ってしまって……」
「では荷物はどうした? あの方の部屋の鍵は、お前しか持っていないぞ」
「それは……」
マルタは口ごもる。アンナスはさらに詰め寄るが、意外なことにレヴィンが仲裁に入った。
「まあまあ、ここは私に任せていただきたい。樵の娘、お前がカナン様と何か言葉を交わしたことは分かっている。だがあのお方のことだ、きっと攫われているにも関わらず、そんな素振りなど微塵も見せなかったことだろう」
「継火手様が? でも……」
マルタは二人がしっかりと抱き合っているところを目の当たりにしている。恋愛感情ではないにせよ、ある種の絆を持たない人間同士が、そんな風に抱き合うことはありえないだろう。
「どうやら引っかかっているようだな。だが、カナン様は優しい方だ。決して民草を巻き込まぬようにと配慮されたのだ」
「……そんな、ことは……」
まだレヴィンの言うことが本当だと信じられない。
彼女の真正面に立ったレヴィンは腰をかがめた。しかし、大男の部類に属するレヴィンがそうすると、不気味な圧迫感があった。
マルタは自分でも意識しないうちに壁際へと追い詰められていた。
「さあ、答えるのだ。それがカナン様をお救いすることにつながるのだ」
「…………」
「それとも、カナン様の貞節が闇渡りなぞに穢されることをよしとするのか? お前が答えないということは、あの御方を不幸にするということなのだ。よく考えてみろ、闇渡りだぞ? お前には信用出来るのか?」
「でも……カナン様は……あの人を守火手に選んだ、って……」
「無理やりそうさせられたのだ。だが、守火手が死ねばカナン様はまたおひとりになられる。その時に、新しい、正当な守火手を選ぶことが出来るのだ。今のままではカナン様は不幸になる。万が一……仮にあの闇渡りが正しい心を持っていたとしても、闇渡りが守火手であるという事実自体が、あの方を苦しめることになるのだ」
「そんな……」
「お前が教えなければな……お前が、カナン様を苦しめることになる。勇気を出して、正義を行うのだ。二人はどこに向かった?」
マルタの心は揺れた。カナンの立ち居振る舞いを思い出すと、彼女が闇渡りによって苦しめられているようにはとても見えない。恐らく、目の前の軍人は闇雲にイスラのことを罵っているだけなのだろう。
だが、彼が言う通り、闇渡りを守火手に選ぶという選択肢が望ましいものとも思えない。そんな心配をする権利は、自分には無いが……。
「マルタよ、これはしばらく伏せておこうと思っていたのだがな」
それまで黙っていたアンナスが、マルタに囁きかけた。
「お前の姉のディナは亡くなった」
「え?」
頭の中が真っ白になった。それまでの悩みや葛藤が一瞬で消え去って、ただ、町長の放った言葉だけが反響した。
「詰所の兵士たちから聞いた話だが……どうやら、あの闇渡りに殺されたらしい」
そんなはずは無い、とマルタの理性は叫んでいた。あのカナンが、そんな人間を守火手に選ぶはずがない。
だが、彼女の中に宿った偏見は、理性などよりも圧倒的に強かった。
「それはそれは。不幸なことだ、娘よ。ますますあの闇渡りを庇う必要は無くなったな? さあ、答えなさい」
「……」
沈黙だけが、マルタにとって最後の抵抗だった。カナンがそんな人間を選ぶはずがない、という信頼が、何とか彼女の口を閉ざしていた。
だが、内側から湧き出る疑念と、浴びせかけられた「答えろ!」という怒声に挟まれ、ついにマルタは言葉を漏らしてしまった。
「……あ、アラルト山脈に……」