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【第十一節/リダの町】

 城門の前でイスラは四方八方から槍を突き付けられていた。


 篝火が並ぶ城壁の上からは弓矢が向けられ、騒ぎを聞きつけ集まって来たやじ馬たちが恐ろしげに見下ろしている。いや、実際に恐ろしいと感じているのだろう。今ばかりはさすがにイスラも言い訳が出来ない。


 なにしろ、ずたぼろになった服は血と夜魔の体液とで黒と赤のまだら模様に染まり、背中にはぐったりとしたままのカナンを背負っている。襲撃に失敗した夜盗の一味ととられても仕方が無い。


 夜魔との戦闘に勝利した後、倒れ込んだカナンを背負ってイスラは瘴土を抜け出した。空地に倒れていた三人は案の定手遅れで、二人は護衛の兵士、一人は薬草を摘みに来た若い娘だった。


 素人が気付かないうちに瘴土のなかへ迷い込むことは珍しくない。こうして遺体を見つけ出され、遺品を回収されるのはむしろ幸運と言うべきだろう。


 さすがに野ざらしにしたままで立ち去るのは気が咎めた。見つけた以上は何か縁があったのだろうと思い、浅い墓穴を三つ掘って埋葬した。持っていけそうな遺品は袋に入れ、カナンと一緒に背負って森を出たのだ。


 闇避け針の御蔭でほどなく瘴土を脱出したが、さすがにこれ以上歩くだけの元気は彼にも無かった。仕方なく森を出て街道を歩き、鉛のように重い身体を引きずりながらなんとかこのリダの町に辿り着いたのだ。


 丁重に出迎えてもらえたことについては、今さら怒る気にもなれない。


 連中がすぐに仕掛けて来ないのは、カナンの肌が白くないからだ、とイスラは気付いていた。イスラが手に持った継火手つぎびての権杖も一役買っているだろう。権力を盾にしているようで気に食わないが、この際手段を選んではいられなかった。


「町長に伝えろ。エルシャの継火手、カナンがやって来たってな」


「寝言をいうな! 闇渡りの戯言など聞いていられるか!」


 兵士の一人が突っかかって来たが、イスラは杖でガツンと地面を叩いた。


「継火手殿は……あー、原因不明の病でくたばりかけておられる。さっさとベッドに寝かさねえと死ぬかもな。これがエルシャに知れたら大変なことになるぜ」


 イスラは見え見えの嘘をついたが、彼が煌都の貴人と思しき少女を背負っていることは事実だ。兵士たちもうかつに手を出せない。


「……分かった。その御方だけ我々に渡せ。貴様にもついてきてもらう」


 衛士長と思しき男が進み出て言った。「ま、いいだろう」イスラはカナンを兵士達に預けた。荷物も武器も、有無を言わさずに取り上げられる。兵士たちが珍しそうに伐剣を鞘から抜くが、夜魔の体液で汚れた刀身を見ると揃って顔を青くした。


「おい、荷袋の中に……」


 遺品がある、と言おうとしたら、背中を強く突かれた。


「黙って歩け」


「チッ」


 リダの町はちょうど夜を迎えたところだった。燈台の斜光壁はほとんど閉じている。ただ、その燈台の大きさは煌都こうとエルシャとは比べ物にならないほどみすぼらしい。せいぜい少し高いだけの塔といったところだ。城壁も低く、兵士たちの面構えも頼りない。


 とはいえ、大通りともなるとさすがに人目は多く、イスラもさすがに居心地の悪さを感じた。


 前後左右を兵士に囲まれている。彼らの視線は、どう見ても犯罪者を引っ立てる時のそれと同じだった。町人たちも興味半分、怯え半分に彼を見つめている。というか、イスラと目があっただけで女の子が泣き出した。彼は苦笑しながら肩を竦めるが、背中を槍の柄で押された。


 好意的ではないざわめきに見送られながら、イスラは町のなかで一際大きな建物に押し込まれた。恐らく町長の館だろう。役場としての機能も持っているようで、階下には机や椅子、棚がずらりと並んでいた。


 カナンの載せられた担架は二階に上げられる。「貴様はこっちだ」と指図され、イスラは町長の部屋に通された。


 最初に目に入るのは、食卓のように大きな執務机だ。書類が山のように積もっている。その隣には牛のひづめのように大きな判子と万年筆、インク瓶。銀の燭台には蝋燭が立てられ、手元を照らしている。


 壁もなかなかに壮観だった。歴代の町長の肖像画がずらりと並び、棚には精緻な絵柄の皿や銀製のゴブレット、古書の類が飾られている。


 物珍しそうに部屋の中を眺めていると、奥にある小さな扉が開いて私服姿の中年の男が出てきた。小太りで眠たげだが、分厚い瞼の下に隠された目はじっとりとイスラをめつけている。嫌な感じのする奴だな、とイスラは思った。


 男は執務用の大きな椅子にどっかりと腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。


「貴様は何者だ。何の用があって私の町を訪れた?」


「正直に話せば、あんたは全部信じてくれるのか?」


 高圧的な町長に対して、あっけらかんとイスラは答えた。あまり真面目にやり取りをしたくなる相手ではかった。


「貴様に口答えをする権利は無い。ただ私の問いに答えていれば良い」


 イスラは溜息をついた。言ったところで信じてもらえる公算は低いが、相手もあまり気の長い方ではないらしい。


「もう一度訊こう。貴様は何者だ。何の用があってこのリダを訪れた?」


「……名はイスラ。見ての通り闇渡りで……あの娘の守火手だ。ここは、まあ、疲れたから寄っただけだ」


「私をたばかるつもりか!」


 予想していた通りの反応だが、さすがにうんざりした。


「まあ、あんたが怒るのも分かる。俺だって当事者じゃなかったら信じてないよ」


「馴れ馴れしい口を利くな!」


「あんまり怒るなよ。あんたの質問にはちゃんと答えただろ? もし嘘だと思うなら、あいつが起きてから確かめたら良い。それまでに」


 イスラは手を後ろに回し、衛士長の腕を掴んだ。衛士長は今まさに剣を抜こうとしたところだった。


「俺に手を出したら、あいつ怒るぜ」


 話にならん、と町長は呟いた。


 この闇渡りは頭がおかしくなっているのだ。あるいは、あの少女を使って自分を嵌めようとしているのかもしれない。


 イスラに煽られて若干血が昇ってはいたものの、まだ町長は冷静だった。その冷静な頭も、闇渡りは常に悪巧みをしているという偏見に凝り固まっていた。この状況でイスラが嘘をつくことに何の利益も無いということ、詐欺師であってもカナンが目覚めれば全て明るみに出てしまうということ等々、自明のことすら頭に浮かばなかったのだ。


 ただ、この少年が煌都の貴人を連れてきたことだけは確かな事実だ。イスラの最後の脅しにしても、まったくの嘘とは言い切れない。下手に怒りを買う危険性がある以上、この件は保留にするべきだろう。


「衛士長、そいつを牢屋に放り込め」


 イスラは鼻を鳴らした。衛士たちに突き飛ばされるようにして執務室を追い出される。


 最善手を打ったと町長は思っていた。あの闇渡りと煌都の少女との間にどのような関係があるかは分からないが、闇渡りを牢に入れたところで、怒るような人間などいないだろうから。


 しかし、煌都の人間とつながりが持てるのは幸運だ。ここでたっぷりともてなして顔を憶えてもらえば、後々何かと役に立つだろう。町長は召使たちに大至急晩餐の用意をするように命じ、自分は身なりを整えるために寝室へと戻っていった。

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