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【第六節/夜会】

 大燈台ジグラートに併設されたバルカ宮殿。その中には何百人もの祭司や軍人たちが集まり、酒池肉林の宴を繰り広げていた。


 天井から吊るされた巨大な灯籠は黄金の支柱を持ち、貴重な動物の油から作った蝋燭が何百と立ち並んでいる。その明かりを受けて、長机の上に乗せられた銀の食器がきらきらと輝いた。


 器の上には鳥や牛を丸ごと使った料理や、羽毛のように膨らんだ白パンが所せましと敷き詰められている。都市では滅多に食べられない野菜やキノコを使ったものもあった。紅玉を溶かしたような葡萄酒が給仕たちの手によって注がれ、盃を持ったまま貴人たちは談笑に興じている。


 その絢爛たる風景のなかにギデオンは上手く溶け込めないでいた。


 列柱の陰に隠れるように立ち、一人ぽつねんと酒杯を傾けている。


 ギデオンはこういう場所が苦手だった。軍人の家に生まれたとはいえ、彼の生家はあまり位の高い家ではなかった。贅を尽くした料理よりも粗食の方が口に合うし、踊りのために身体を動かすより剣を振るう方が性に合っている。何より、こんな所に自分が居るのは場違いだという負い目があった。


 今はそんな気遅れを酒によって紛らわせている。高級な料理は分からずとも、酒なら高くて美味いものの方が好きだ。それを何杯でも飲めるのであれば、夜会とて悪くはない。


 問題は、夜会では酒ばかり楽しんでいるわけにはいかないということだ。ここは食事をしたり踊ったりするより、むしろ政治をやる場所なのである。


 彼のような立場に立った人間であれば、一層その宿命からは逃れられない。


 早速彼の姿を認めた祭司や貴婦人たちが近寄ってきた。ギデオンはさり気なく逃げようとしたが、壁際のため身動きがとれなかった。悪い所に布陣したな、と思った。


「これはこれは、剣匠殿! こんな隅に一人で居られるとは勿体無い。や、さかずきが空ですな。これ、注いで差し上げい!」


 中年の祭司が手を叩くと給仕の少年が駆け寄ってきた。少年は葡萄酒の入った陶器を傾けながら、好奇心と尊敬の入り混じった瞳でちらちらとギデオンの顔を盗み見る。ギデオンは苦笑しながら軽く杯を振った。


 赤面しながら去っていく少年を眺めつつ、自分もああいう目で見られるようになったのだな、と思う。


「先程の武芸会では、大変な御活躍でしたな。誰も剣匠殿の優勝を疑ってはいませんでしたが、いやあ、見事な戦いぶりでした」


「それは、どうも……恐縮であります」


 彼がそう言うと、煌びやかなローブを着た婦人が「まあ、御謙遜を」と言った。奥方らは鳥の尾羽で出来た扇を広げて口元を隠し、意味ありげな視線だけを向けてくる。


 ギデオンは、いつだったか森のなかで見かけた孔雀のことを思い出し、フッと笑った。


「まさに敵無し! 一番健闘したのは、エフライム殿の御子息ですかな」


「……ええ、結構な腕前でした」


「剣匠殿の頬に傷をつけるなど、並大抵の戦士には出来ないことですわ! エフタ嬢は良い守火手に恵まれましたね」


 御不幸様、とギデオンは思った。あの程度の使い手に守られるのでは、おちおち表を歩くことも出来まい。そんな雑魚をおだてなければならない我が身が呪わしい。


 ギデオンは左の頬を撫でた。もし彼らが、この傷が闇渡りによってつけられた物だと知ったら、どんな顔をするだろう? 是非ともあの白い肌の少年に祝福の言葉を掛けてやってくれ、とギデオンは胸の内で呟いた。


「しかし、ユディト嬢と釣り合いが取れるのは剣匠殿だけでしょうね」


「然り! 全くもってお似合いだ!」


「本当に、お二人の按手礼あんしゅれいには溜め息が漏れましたわ」


「ありがとうございます。小生としましても、ユディト様の御期待に沿うよう努力する所存であります」


 ギデオンは軽く頭を下げる。貴人たちは揃って拍手した。


 もうじき話を切り上げられるかと思ったその時、先程の中年司祭が近寄ってきた。


「剣匠殿の意気込みには、私も感服致しました。そこで、ささやかな贈り物を差し上げたく存じます」


 贈り物をここに! と司祭が叫ぶと、白い布に包まれた棒状の物を侍従が運んできた。布が解かれると、中から一振りの長剣が現れた。鞘や柄には凝った装飾が施されていて、あちこちに宝石が嵌め込まれている。


「我が家に伝わる宝剣でございます。祖先が、あのベテル平原の戦いで携えていた物です」


「それはまた、結構な品を……小生には勿体無い物です」


「いえいえ、良い品物は良い使い手の下にあるべきです! どうぞ、鞘から抜いて御覧になって下さい」


「では……」


 ギデオンは剣を鞘から抜いた。案の定、刀身には脂の曇り一つ無い。どう見ても新品だったし、見破られることも織り込み済みで渡したのだろう。祭司は今にも揉み手をせんばかりだ。


「なるほど、大した物です」


「そうでしょう! 是非」


 祭司が言い終わらない内にギデオンは目にも留まらぬ速さで剣を振り下ろした。あまりに速かったため、誰も悲鳴をあげることが出来なかったほどだ。切っ先は祭司の目の前にある。


 剣の柄からボロボロと宝石が落ちていった。刀身はあしのように揺れている。今の一振りで留め具が壊れたのだ。


「失礼。ですが、少々こしらえが甘いようですな」


 お返ししましょう、と固まったままの祭司に残骸を押し付けて、ギデオンはその場から逃げ出した。


 途中で酒の入った壺を掻っ攫い、垂れ幕を押しのけて露台に出る。外気の冷たさは心地よかったが、腹の底に溜まった怒りは収まらなかった。勢いに任せて二杯、三杯と酒杯を重ねた。


「お隣り、よろしいですか?」


 後ろから声を掛けられ、反射的に追い返しそうになったが、やめた。


「貴女の願いを断ることは、小生には出来ませんよ、ユディト様」


 隣りに立ったユディトはそっと杯を差し出した。ギデオンは半分ほどになるまで注ぐ。自分の杯にはなみなみと注いだ。


「機嫌が悪いのね」


 ユディトは上目遣いで問いかける。


「そんなことは……いえ。まあ、そうです。少々大人気ないと思ってはいますが……」


 ギデオンは渋面を浮かべた。


 ユディトには、ギデオンの感じた屈辱が理解出来た。生粋の戦士であるギデオンは、政治の世界に絡まれることを何よりも嫌う。賄賂など願い下げだろう。ましてや、あんな玩具のような剣を渡されるなど、遠回しに馬鹿にされているようなものだ。


(悪気は無いでしょうけど……それはそれで、救えないわね)


 もしギデオンの喜ぶような贈り物があるとすれば、彼の帯びているような実用品・・・の方がふさわしいだろう。


(あるいは、優れた敵手か)


 彼が煌都での生活に退屈していることには、ユディトも気付いていた。ここには戦士としての彼の魂を満足させる物が何一つ存在しない。


 先程の武芸会など彼にとっては拷問のようなものだっただろう。大半は、剣匠に対して勝ち目など無いと最初から決めてかかっているから、士気が低い。負けた後で冷笑を投げ掛ける者さえいる始末だ。


 中にはユディトの守火手の座を全力で狙う者もいたが、ギデオンの求める水準には程遠かった。一番マシだった相手でさえ、最初に一度斬り掛かってきただけで、後は防戦一方。三手目で剣を折られ、あっさりと降伏した。


 観覧席から観ていたユディトは、思わず身を乗り出して水差しを投げそうになった。連中が戦うくらいなら自分が出てやる! と本気で考えたほどだ。


「しかし、これで晴れて貴女の守火手になることが出来た。そのことには感謝しています」


「私の守火手は、貴方以外にあり得ません」


 ユディトは剣匠の顔をキッと見つめながら言った。その表情には、主従としての関係以上のものを求める感情が、分かり易いほどに現れていた。カナンが居合わせれば爆笑したことだろう。


 だが、ギデオンは軽く微笑を浮かべただけで、それは少女の期待を満たす類のものではなかった。


「そうですね。昔の約束とはいえ、武人は誠実でなければ」


「…………」


 ギデオンは先程と打って変わって、気持ち良さそうに酒を啜っている。光に照らされた頬は赤い。そういう酔い方をする男なのだ。


 そのいかにも能天気な表情を見ていると、怒鳴ってやりたい気分に駆られる。


「ギデオン、もっと下さい」


 なかばヤケになってユディトは催促した。


「貴女には早いですよ」


「そんなことありません!」


 ユディトはグイッと壺を引き寄せ、溢れるほど葡萄酒を注いだ。そのまま一気に飲み干す。


「…………ッはあ!」


「はっはっ」


 ユディトの褐色の肌がほんのりと赤らんだ。ギデオンは微笑ましそうに見ている。余裕綽々よゆうしゃくしゃくだった。歳の差を見せつけられているようで腹立たしい。


 そしてそれ以上に、彼の呑気な表情が、ユディトは好きで好きで堪らなかった。


「……ところでユディト様」


「は、はいっ!?」


 剣匠の横顔に見惚れていたユディトは、彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げた。


「いや、あの闇渡りのことですが、何かご存知ではないですか?」


「え、あ……いえ、私は何も」


「そうですか」


 ギデオンは言葉を続けるでもなく、虚空を見つめながら杯を傾けている。


 きっと、この八年間で唯一剣の傷を負わせた相手のことを考えているのだ。ユディトには彼の思考が透けて見えていた。


「闇渡りの少年は、手強かったですか?」


「いえ、まだまだです。しかし地力はありますし、闘志や冷静さもある。伊達に森の中で生き抜いてきただけのことはあると感じました」


「ずいぶん褒めるのですね」


「少なくとも、煌都の腰抜けどもに比べれば余程……惜しむらくは、動物的な勘に頼り過ぎていること、正規の訓練を受けなかったことです」


 話している内に、ギデオンの顔から急速に「たるみ」が抜けていく。無表情だが眼光だけは鋭いその面持ちは、鍛錬場で見せる剣匠の顔だ。


「どうして分かるんですか?」


「攻め方が一辺倒でした。手数で攻めるということを知らない。闇渡りには独特の武術がありますが、それを伝授されなかったようです。恐らくは一人きりで生き延びてきたのでしょう」


「……森の中を、ひとりで?」


「そういう動きでした。野生動物や夜魔……あるいは他の闇渡りと渡り合う為に、直感に頼る動きをするようになったのでしょう」


 ユディトには想像もつかない生活だった。森についてはギデオンから聞かされているが、とても人の住む場所とは思えない。


「闇渡りって……虫を食べたり、岩を舐めるんですよね? 眠っている間に毒虫に刺されたり、獣に首を噛まれたり……狼と一緒に生の肉を食べたりとか」


「実を言うと、その話は一部盛ってあります」


「えっ」


「はっはっ、いくら闇渡りでも虫は食べませんよ。それくらい逞しいという喩えです」


 ギデオンは朗らかに笑う。その頬をつねりたくなった。


「しかし、カナン様は大変なことをされました。止められなかった小生にも非はありますが……」


「気にしないでください。カナンは、一度やると決めたら星だって動かすような子です。その場で制止出来ても、あの手この手を使って望みを叶えたはずですよ」


 だから考えるだけ無駄です、とユディトは言い切った。ギデオンも反論しなかった。

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