黒の魔師には
白の戦士が立ち向かう
白の戦士は黒の魔石を破壊して
囚われの姫君を救い出す
白の花嫁はその道を照らし
白の戦士を覇道へと導く
引き裂く事の出来ない二人の愛は
白紫の園にて永遠となる
本を閉じる。読み古した子供の御伽噺が描かれているこの本を私は捨てられなかった。
「君はいつもそうやって、マリーを虐めてるのか。」
また始まった。
「君はマリーの姉だろう?どうして妹を虐めるんだ。」
妹のマリーはチャールズの後ろでシクシク泣いている。私が何かをした訳でも、言った訳でも無い。それでもマリーに何かあればいつもこうして私が責められる。マリーを庇っているのは私の婚約者。この人はもうずっと前からマリーの事が好きで、私の存在を疎ましく思っている。
チャールズとの婚約が決まったのは一年前。その紹介の場でチャールズは妹のマリーを見初めた。マリーもチャールズの事が好きらしい。妹は体が弱く、母はマリーに付きっきりだ。私は五体満足で健康、ヘルバネッセン家の長女としてしっかりと育てられた。
もう何度目だろうか。チャールズが私を責めるのも、妹がシクシク泣くのも。私の人生はループしている。初めて回帰する直前は、口論の末に私がチャールズに突き飛ばされ、階段を踏み外して、死んだ。二度目はそれを回避しようとしたけれど、上手く行かず、同じようにチャールズに叱責され、失意のうちに事故で死んだ。三度目はチャールズとの婚約を回避しようとしたけれど、上手く行かず。どの人生でもチャールズはマリーと出会い、恋に落ち、いつも私がその障壁となる構図だ。関係の無い所で死んでも、死ねばまた回帰する。疲れてしまった。チャールズに恋していた私は、何をどうしても彼からは好かれない。もう諦めの境地だった。今回の人生もそうだった。
シュナイダー家の夜会。その夜会に私は父と共に行かなくてはいけない。父は家の中で唯一、中立の立場だ。それはどの人生でもそうだった。父はちゃんと私がヘルバネッセン家の長女であるという立場を理解してくれている。夜会用に父からドレスが贈られる。そのドレスを見てまたマリーが泣く。
お姉様ばかりドレスを買って貰ってズルい
お姉様ばかり夜会に行けてズルい
もう聞き飽きた台詞を聞き流す。どうせその台詞もチャールズが聞けば私を責める。それでも長女という立場上、夜会には行かなくてはいけない。マリーの我儘に付き合う事は出来ない。
「俺は残る。マリーが可哀想だ。」
マリーを慰めながらそう言うチャールズに私は言う。
「そうね、マリーに付いてると良いわ。」
エスコートなんてして貰わなくても、夜会には行ける。お父様の付き添いなのだから、そもそもエスコートなど、要らないのだ。
「君は本当に可愛くない。」
そう言われても、もう傷付かない。私の心は枯れてしまっている。
シュナイダー家に到着して、父に付き添い、挨拶に回る。
「いつもすまないね。」
父は私にそう言って少し困ったように微笑む。
「いいえ、お父様、良いのです。」
父は会場を見回して言う。
「今夜の夜会にはルーベンバーグ辺境伯も来ているそうだよ。ほら、あそこ。」
父の視線の先にその人は居た。ルーベンバーグ辺境伯。若くして辺境伯となった彼は社交界では噂の人物。何度か回帰している私の人生には関わりの無い人。黒髪に碧眼、青の正装が良く似合っている。
「お父様、私、少し疲れたので、離れても?」
聞くと父が頷く。
「あぁ。」
飲み物の入ったグラスを持ち、テラスに出る。そよ風が暖かくなって来ている。今回の婚約破棄と私の死はいつ頃になるのだろう。どんな死に方をするのか。出来るだけ穏やかに迎えたいけれど、死の直前はいつもチャールズと口論していた気がする。いつもチャールズに責められ、どうしても言い返してしまう。でももう…。
「疲れた…」
星空がキレイだった。このまま逃げてしまおうか。でも逃げるなんて…。ふっと笑う。
「どうせ死ぬから意味無いわね…」
「誰が死ぬんです?」
急に声を掛けられて驚いて振り向く。そこにはさっき会場で見たルーベンバーグ辺境伯様がいらっしゃった。私は慌ててご挨拶する。
「ルーベンバーグ辺境伯様、ご機嫌麗しゅうございます。」
辺境伯様はコツコツと歩いて来て、私の前に立ち、言う。
「お名前をお聞きしても?」
そう言われて名乗る。
「グレース・ヘルバネッセンと申します。」
視線を下げている私の視界に手が現れる。顔を上げると辺境伯様が微笑んでいる。
「グレース嬢、貴方の手に口付ける許可を頂いても?」
これを断っては辺境伯様に失礼になる。辺境伯様の手に自分の手を載せる。彼は私の手の甲に口付ける。そしてそのまま私の手を離さず、私にその身を寄せる。
「それで、誰が死ぬんです?」
私は笑う。
「いえ、独り言なので、お気になさらず。」
グラスの飲み物を一口飲む。
「久しぶりに王都に来ましたが、やはり、こういう社交の場は苦手です。」
辺境伯様が言う。
「そんなふうに見えませんでした。」
微笑んで言うと辺境伯様も微笑む。見れば見る程、整った顔、とても綺麗な碧眼。眉目秀麗というのはこういう人の事なんだろうと思う。不意に風が吹く。
「冷えて参りました故、私は室内に戻らせて頂きますね。」
そう言って歩き出そうとした時。
「グレース嬢。」
呼び止められる。振り向くとフワッと上着が私に掛けられる。
「こうすれば、まだ貴方と話せますか?」
私は少し笑う。
「私と話していると、要らぬ噂がたちます。辺境伯様と言えど、私の醜聞はお耳に入っていらっしゃるでしょう?」
そう、今回の人生は特に醜聞が酷かった。妹を虐める酷い姉、妹の好きな人を無理やり婚約者にした酷い姉…。もう笑うしかない。
「噂など、その真偽は確かなものでは無い事は私が一番良く知っています。」
そういえば辺境伯様もそのお立場を妬まれて悪い噂があったなと思う。
「私がこの目で見る限り、貴方は噂とはかけ離れている。」
私は少し笑う。
「そうでしょうか…」
辺境伯様は私の背中に手を添える。
「貴方は何故、そんなにも悲しそうなのですか。」
悲しい、か。そんな感情、もうとうの昔に捨てた。
「辺境伯様にはそう見えるのですね。」
遮るように辺境伯様が言う。
「ルーク。」
言われて辺境伯様を見上げる。
「ルークとお呼びください。」
私は少し微笑んで、言う。
「では、ルーク様、」
私は掛けられていた上着を脱ぎ、ルーク様にお返しする。
「上着、ありがとうございました。」
そう言ってその場から立ち去る。