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第20話 しつじゃの物語 はびこる湿邪はネバネバベトベトしているらしい

俺たちは雨の中、黄の国の湿った街道を行く。

走るにも水気が多くぬかるんでいる。

リラの衣類は泥まみれだ。

俺も似たようなものだが、

いつも着ている耳かき制作用作業着であるので、

汚れはそれほど気にならない。

ただ、足元の悪さには閉口する。

とにかく、この先の町は湿邪が蹂躙していると聞いた。

なんとかしないといけない。


街道の近くまで、水が迫ってきているのは、

黄の国自体が長雨の国であるのと、

水がなかなか抜けなかった所為かもしれないが、

もともと、水の多い国であるのかもしれない。

そうすると、この街道は川辺の道という感覚が一番近いかもしれない。

俺の感覚でいうところの、

堤防の上の道、というような。

ただ、そこまで水が昇ってきていて、

街道はびしゃびしゃとしている。

「耳かきの勇者とお見受けする」

足の近くから声がした。

走っていた俺とリラは立ち止まる。

「こちら、水面を見てほしい」

声は足元の水の上がっている場所、

水面から誰かが顔を出して話していた。

頭の側面にひれがあるように見える。

顔にはいわゆる肌の他に鱗が見える。

「リヴァイアサンより話はうかがっている。我らはアクアンズという」

「俺が耳かきの勇者。こちらは神の耳の巫女だ」

「すまないが、少し聞き取りにくい。雑音が入ってしまう」

「おそらく耳の呪いだろうな」

「アクアンズをこの岸に集めてもいいだろうか。皆、雑音に悩まされている」

俺はうなずいた。

言葉が届きにくい以上、態度で示すのがいい。

一人のアクアンズが、歌うように声を出した。

それはさざ波となって水面を揺らす。

多分呼び声のようなものだ。

さざ波は大きくなり、うねるようになって、

水面にたくさんのアクアンズの影があらわれた。

結構な数が集まったようだ。

足元が悪い中、神速の耳かきでどこまでいけるか。

それと、水中でどこまでリラの神語が届くか。

俺は、時空の箱の中から、素材として残っている、火の国の仔馬の角を取り出す。

仔馬の角の耳かきは、声が届くようになり、声が聞こえるようになる。

そんな特殊効果がある。

角の一部を耳かき錬成で耳かきに仕上げ、

「今からリラの神語の力を増幅する。耳をかいたら思いっきり放ってくれ」

俺はリラに声をかけ、リラはうなずき、耳をかかせる。

リラの耳の構造はよく知っている。

一度でも耳の感覚がつながったものを忘れはしない。

リラの耳から、特別な力が沸き上がってくる。

そして、リラは増幅された力で、アクアンズに向けて神語を放つ。


『アナタタチノ ミミヲ キレイニ シマス』


強い声が水面を渡ってすべてのアクアンズに届き、

俺の耳と感覚共有がなされる。

そして、俺の脳裏に言葉が浮かぶ。

新しい能力が閃いたときの感覚だ。

多分、この状況において、俺が必要と感じたから、その能力が閃いたのだろう。

俺は火の国で手に入れた、骨の素材で耳かきを錬成する。

この数に耐えられるほどの強度は、木や竹よりも骨がいい。

そして、今閃いた能力を発動する。


「神速の耳かき・水面走りの型!」


水面走りの型は、水面を沈まずに走る神速の耳かきの型だ。

沈む前に次の足を蹴り出すことにより、

神速の耳かきを水に沈まずに続けることができる。

水面から耳を出しているアクアンズたちの耳を、

俺は水面を走って耳かきをしていく。

感覚としては、アクアンズたちの耳の呪いは薄い。

水の中だと耳の呪いが届きにくいのかもしれない。

だから、雑音で済んでいたのかもしれない。

俺は超高速でアクアンズすべての耳の呪いを解き、

リラのもとに戻ってきた。

アクアンズから歓声が上がる。

雑音が消えたと喜んでいるようだ。

「アクアンズを代表して礼を言いたい。ありがとう」

ひときわ豪華なひれをもつアクアンズが礼を言いにやってきた。

多分、長みたいなものだろう。

「耳の呪いが解けたならばよかった」

「我らに役立てることはないだろうか」

「この街道の先の町が湿邪に蹂躙されていると聞く」

「湿邪とは、あの気味悪いものだろうか」

「気味悪い、とは何だ?」

「形を持たないが、中途半端に形を持ち、まとわりついてくるベトベトしたものだ」

俺は想像する。

とあるゲームでスライムが最弱で可愛くなる前の、

もっと古いイメージのスライムというものに近いかもしれない。

「あのベトベトしたものは、アクアンズの水の術でも流せない」

「いわゆる、水の魔法と思ってもいいものなのか?」

「アクアンズは水で生きているもの。水の流れを操る術を持っている。魔法ともいう」

「なるほど、湿邪は水では流せないか…」

俺は考える。

長雨は降り続いている。

「勇者様、湿邪に水では相性が悪いです」

リラが提言する。

「水を吸い取って成長する植物や、湿を乾燥させる日の光がいいかと思います」

「なるほど、湿邪が無生物であるのならば、竹の耳かきが生きそうだな」

「まだ、生物とも無生物ともわかりませんが…」

「そうだな、町に行かないと何とも言えない。急ごう」

俺たちはその場を辞して、走りだそうとする。

「では、我らがお送りいたしましょう」

アクアンズが笛のような声をあげた。

水面の向こうよりやってきたのは、イルカのような生き物だ。

「アーシーズが水面を走る際に乗っていた、騎乗用の獣です」

今ではアーシーズとは断絶してしまいましたがと、

アクアンズの長らしい彼は寂しそうに言う。

「この獣に乗れば、町まですぐに到着いたしましょう」

「ありがとう。この獣の耳は大丈夫か?」

「水の中には呪いが届きにくくなっておりますから、おそらくは」

「そうか。できれば水の中にある素材で耳かきを作りたい。いくつか分けてほしいんだが」

「そういうことでしたら、勇者様が町に行く間に探しておきましょう」

「頼む。俺たちは、とにかく町を何とかする」

俺とリラはイルカのような獣に乗り、手綱をとる。

獣はものすごいスピードで俺たちを乗せたまま泳ぎ出した。

水の近くにある街道の先、遠くに町が見える。

町の影の様子がおかしい。

何かに覆われているように見える。

近くに行くにつれ、それは粘ついた存在であることが見えてきた。

ネバネバベトベトしたものが、

あちこちにはびこっているのが見えてきた。

これが身体についたのならば、

耳の呪いもそうだが、身体の方にも異常をきたしかねない。

邪というくらいだ。心にも大変なことを起こしかねない。

それが蹂躙していると聞いた。

これは、想定よりも、もっと悪いケースを考えた方がいいかもしれない。

町の住人が無事であることを祈りつつ、

俺たちは獣から降りて、街道を町へと走った。

長雨はまだ降り続いている。

俺はこの町を救えるだろうか。

耳かき職人の俺が、遠くから見ただけで大変なことになっている町を、

救うことができるだろうか。

俺は、言語にしにくいような叫びをあげた。

隣にいたリラがびっくりしたようだった。

俺は両頬を自分で叩いて、自分に気合を入れる。

何を悩む必要があるだろうか。

闇の貴公子の言っていた無力が、本当にそうだと感じていたのだろうか。

俺は俺の錬成した耳かきを信じる。

俺は俺の勇者としての能力を信じる。

そして、大切な相棒の、リラの能力を信じる。

鬱々した長雨は、弱気にさせるものだ。

考え込んでいる時間は必要ない。

まずは、動け。

俺は耳かきの勇者。

この世界のすべての耳の呪いを、俺の耳かきで解くと決めた。

この町の湿邪は通過点に過ぎない。

俺はすべての耳を呪いから解放して、そして、

耳かきで、この世界に笑顔を増やす。

そのためには弱気になっている時間はない。

俺は町に向かって走る。

リラが続いた。

長雨が続く中、俺たちは町へと走る。

足元は相変わらず悪い。

空はどんよりと沈んだ色をしている。

湿邪がはびこる町は、暗い影を落としているように見えた。

俺が何とかする。

そう心に決めて、ずぶぬれの俺は走る。

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