黄の国と赤の国の間にある水門に、
リヴァイアサンが詰まっていた。
そのリヴァイアサンの耳をかき、耳の呪いが解けて元気を取り戻したことで、
水門の詰まりがなくなり、
水は勢いよく水門から流れて行く。
俺は先程水門から放り出されて、
水でびしょびしょのまま、とりあえず赤の国側の川辺に上がった。
先程耳をかいた、黄の国の関所に詰めていた兵士と、
赤の国の兵士たちが手を取り合って喜んでいる。
耳の呪いが解けたから、こうして笑顔で喜べる。
それは素直にいいことだと思った。
「ありがとう。これで黄の国の雨が抜けていきます」
黄の国の兵士の一人が俺に声をかけてきた。
「これは雨なのか?」
「はい、黄の国は長雨の国。雨が抜けていかないと、黄の国は沈んでしまいます」
どうやら、先程一瞬黄の国に入って、水であふれかえっていると感じたのは、
リヴァイアサンが詰まって雨が抜けなかったかららしい。
雨が抜けないうえに、さらに最近長雨続きで、
黄の国は水で沈みかかる寸前だったらしい。
危ないところだったと黄の国の兵士は言う。
「我らアーシーズは、アクアンズと違って、水では息ができませんからね」
聞きなれない種族らしい単語が出て、
俺は聞き返した。
説明を受けたところ、
黄の国には二つの種族がいる。
いわゆる陸に住む、俺の感覚で言う人間に近いような種族のアーシーズ。
そして、鱗と鰓を持って水中に生きるアクアンズだ。
黄の国の城は陸にあるから、いわゆる権力的なものはアーシーズの方が握っている。
アクアンズも虐げられているわけではない。
陸と水とで対立することなく、平等に生きてきた。
耳の呪いがある前までは。
耳の呪いが世界にはびこりだした頃、アーシーズである黄の王は、
アクアンズを目の敵にし出したらしい。
湿った邪気をまとう、水の毒の種族と差別し始めたらしい。
アクアンズたちも耳に呪いがあらわれ始め、
アーシーズとアクアンズは対立を始めた。
やがて、リヴァイアサンが詰まって、長雨も続いて、
アーシーズが住まう陸がどんどん沈んでいき、
アクアンズの所為だと目の敵にされ、
対立が深まっていったところだったらしい。
このままでは黄の国の中で内紛が起こりかねなかったらしい。
とりあえずの原因は取り除いたが、
これだけでは不十分だ。
黄の国にはびこる耳の呪いを解かねばならないだろう。
俺たちは赤の国から、黄の国に入った。
関所は特に問題なく通れた。
水門を開いたというのが大きかったらしい。
俺とリラは、黄の国に出た。
道というものはあるにはあるが、水でびしゃびしゃになっている。
さっきはもう少し沈んでいたような記憶もあるから、
水が抜けてきている影響は確実にあるのだろう。
それでも、天気は雨。
しとしとと降っている。
長雨の国と聞いているから、そういう気候の国なのだろう。
これが抜けなかったのならば、やはり国が水に沈んでいたかもしれない。
それにしても湿度の高い国だと俺は思った。
水が多く雨が降っていることもあるけれど、
なんとなくじめじめしている。
赤の国が乾いていたのを感じていたせいか、
余計湿度が感じられる。
先程の黄の国の兵士が、
湿った邪気を待とう、水の毒の種族などと言っていたと、
そんなことを聞いたけれど、
うろ覚えだが、そんな言葉を俺の世界でも読んだ覚えがある。
俺は思い出そうと立ち止まって考え始めた。
リラも隣に立ち止まり、俺を見上げる。
「何かお考えですか?」
「湿った邪気とか、水の毒って聞いて、何か思い出せそうなんだが…」
「それでしたら、勇者様の小屋の書物にありました」
「そういえば読んでいたっけな」
「はい、書物は好きですから」
「それで、何の書物にあったんだ?」
「東洋医学と書かれた書物です」
リラは説明を始めた。
自然界の気候は、六気と呼ばれ、
風・寒・暑・湿・燥・火、に分けられる。
それが過剰になると、それぞれが身体に悪い影響を持つ、邪になる。
いわゆる、風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪となる。
話にあった湿った邪気というものは、
今の黄の国のような湿った気候の時に活発になる湿邪で、
湿邪は身体の水分の調整をおかしくしてしまう。
水の毒を表す単語はなかったけれど、
湿度が高過ぎで、たまり過ぎた水が身体に害をなす可能性はあるらしい。
リラの説明を聞いて、俺は考えた。
もしかしたら、黄の国の王は、その考えにたどり着いているのかもしれない。
ただ、耳が呪われていて、
アクアンズが原因だと思っているのかもしれない。
「とにかく、この国の耳の呪いも解いて、誤解も解いていこう」
「そうですね」
「まずは黄の国の、町があればそちらにむか」
向かおうと言いかけたところで、強い殺意。
俺は身を翻して、リラをかばって攻撃をかわす。
水に足をとられて多少滑ったが、
攻撃はかわすことができた。
「ほぅ。身のこなしはそれなりか」
雨でどんよりした空から声がする。
見上げれば、黒い人影が中空に浮いている。
強い殺意はその人影からだ。
真っ黒の鎧兜をまとっていて、顔は見えない。
「誰だ」
「我は闇の貴公子リュウ。封印されし魔王様に代わって手足となる者」
「じゃあ俺も名乗ろう。俺は耳かきの勇者セイジだ」
「よく知っている。耳の呪いを解いて回る邪魔者だな」
「それじゃ、あんたは耳の呪いを悪化させて回ってるわけか」
「すべては魔王様の御心のままに」
「では、あんたとは敵対するということか」
「そういうことになるな」
俺と、中空の闇の貴公子は対峙する。
闇の貴公子は笑ったようだった。
「じきに黄の国は、我らが放った湿邪に飲み込まれる。止めることなどできはしない」
「止めてみせるさ」
「せいぜいあがけ、耳かきの勇者。己の無力を嘆くがいい」
「無力かどうかはともかく、俺はできることを尽くしてみる」
「無駄なことよ」
「結果は後からついてくる。そして」
俺は言葉を区切る。
「すべての耳には可能性がたくさんあるんだ。その耳の呪いを、解き続けてやるさ」
「無駄なことをしていると、いずれわかることもあるだろう」
「さぁな。俺は頭が悪いからな。世界中の耳の呪いを解いても、無駄とは思わないかもな」
闇の貴公子はまた、笑った。
「沈む黄の国の町はこの道を行った先だ。そこはすでに湿邪が蹂躙を始めている」
「そうか」
「止められるかどうか、その手並みを見せてもらおうか」
「やれるだけやってみるさ」
「黄の国の種族間対立もあろうな。巻き込まれるやもしれんな」
「どうせあんたらがあおったんだろう」
「ははは、ここまで簡単とは思いもしなかったぞ」
俺は、闇の貴公子を見据える。
「俺は、耳の呪いを解く、耳かきの勇者だ。その心に存在を刻んどけ」
俺は、リラの手を引いて、その場を離れて黄の国の町を目指した。
闇の貴公子は追ってこない。
俺が黄の国をどうにかできるはずがないと思っているのかもしれない。
見くびられたような気もしたが、
戦いになるよりはずっといい。
誰かを倒したりすることが目的ではない。
すべての耳の呪いを解くことが目的だ。
耳かきの勇者が去った後、
黄の国の雨空の中、闇の貴公子はたたずんでいた。
黒い鎧に包まれて、その顔はうかがい知ることはできない。
「父さま。これでいいのですよね」
闇の貴公子はつぶやく。
「すべては魔王たる父さまのために」
闇の貴公子は、何らかの魔法を繰り出す。
中空に穴のようなものがあらわれた。
「我らの悲願のため、神の耳の巫女を覚醒させましょう」
闇の貴公子の脳裏に、リラが思い浮かぶ。
何か思い出せそうな気がしたけれど、
闇の貴公子の中で何かが拒絶した。
「すべては魔王たる父さまのために」
闇の貴公子の耳で何かがざわついていたけれど、
闇の貴公子はそれを黙殺して、
中空に現れた魔法の穴から、どこかに転移していった。
あとには黄の国のどんよりした雨空が残った。