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第73話

 漸く暖かくなってきたと実感が持てるようになってきた頃。我はアリアに頼んでブラッシングを受けていた。

「念入りに頼む」

「はいはい」

 ズゾゾゾっとブラシが体を走る感覚が気持ちが良い。このブラッシングが受けられるだけでも、アリアに飼われてやっても良いと思えるほどだ。アリアの持つブラシが丹念に背中を梳いていく。

「うっわ。いっぱい取れるわね」

 アリアがブラシに着いた毛を見ながら言う。

「そういう時期だからなー」

 我は毛の生え代わりに時期を迎えていた。この時期は体が痒くなって困る。自分の舌でやろうとしても、とても追いつかない程毛が抜けるのだ。アリアにブラッシングしてもらうのが一番である。

「こんなに抜けると、ハゲないか心配になるわね」

「怖い事を言うなよ」

 まったく。冗談でも言って良い事と悪い事があるだろうに。全身ハゲているアリアが言うと、妙に現実味が増して恐ろしい。

「服が毛だらけになっちゃいそう。着替える前で良かったわ」

 ブラシに付いた毛を取りながらアリアが呟く。

「その辺は考えている」

 今は、夕食も食べ終わり、後は水浴びして寝るだけと言う時間だ。我はアリアの事も考えて、アリアが水浴びする前に頼んだのだ。我は賢い猫だからな、それくらいの気は使えるのだ。

 アリアの持つブラシが、再び我の背中、わき腹を梳いていく。そして数度梳くと、一度ブラシに付いた毛を取って、もう一度我の体をブラッシングしていく。やはり気持ちが良いな。我は目を閉じてうっとりしてしまう。

「はぁ~」

 声も出てしまった。

「そんなに気持ち良いの?」

「まぁな」

 アリアに適当に返事をしつつ、ブラッシングを堪能する。

「じゃあ、今度は体を倒して横になって」

「うむ」

 我はアリアの言に従い体を倒す。アリアの持つブラシが、腹やわき腹、足などに当てられる。

「毛並みに沿うようにな」

「はいはい」

 アリアがおざなりに返事をする。まぁ心配はいらないだろう。アリアのブラッシングの腕も上がっているしな。我も一応注意しただけだ。

「見て見てクロ。クロがもう一匹作れそうよ」

 アリアが梳き取った我の毛の塊を見てはしゃいでいる。確かに大きな塊だ。我よりも大きいかもしれない。こんなに取れるとは…。驚くと同時に心配にもなる。我、ハゲないよな?

「アリア、ハゲてないか?」

 アリアに確認してみる。

「大丈夫じゃない?」

「そうか」

 アリアの言にホッとする。

「さ、反対向いて」

「ああ」

 アリアに従い、一度起き上がって、先程とは反対側に体を倒す。

「ちゃっちゃとやっちゃうわよ」

「丁寧にな」

「分かってるわよ」

 体をゾリゾリと走るブラシの心地よさに、我の瞼はだんだんと重くなってきた。我は逆らわずに目を閉じた。

 ◇

 最近はだいぶ暖かくなってきたな。ぽかぽかと良い陽気だ。心までぽかぽかする。絶好の昼寝日和だな。人間達は“春眠暁を覚えず”と言うらしいが、正にその通り。いくらでも寝れてしまいそうだ。

「おはよう諸君」

『おはよ』

 イノリスが、目だけをこちらに向けて、眠たそうに挨拶を返してくる。イノリスもこの陽気に眠気を覚えているのだろう。今も大きな口を開けて欠伸をしている。

『おはようございます、クロム殿。いやぁ漸く暖かくなってきましたね。こんな日をどれだけ待ちわびた事か。個人的にはもう少し暖かい方が好みですが、贅沢は言いません。ええ、言いませんとも。冬の凍え死にそうな、満足に話すことさえできない寒さに比べたら何倍もマシですからね。ところでクロム殿は夏と冬どちらがお好みですかな?私は断然、夏です。なぜなら……』

 キースの奴も絶好調だな。やかましいくらいだ。冬の間、満足に話せなかったのを取り戻すかようにしゃべり続けている。

 キースとの話もそこそこに、我はイノリスの腹の方へと移動する。今日はイノリスの腹に持たれながら昼寝を決め込むつもりだ。

 イノリスの腹には先客が居た。白猫リノアだ。先程返事も無かったから、まだ居ないのかと思ったが、どうやら先に来ていたようだ。こちらに背を向け、我に気が付いた様子が無い。聞こえなかったのか?あるいはもう寝ているのかもしれない。

「ふーっ、ふーっ」

 なんだかリノアの様子がおかしい。息が荒い。

「リノア、どうかしたのか?」

「っ!?クロムさん!?」

 リノアが驚いた様子で振り返る。そんなに驚かれると、我まで驚いてしまう。此処まで近づいても足音で気が付かないとは…。やはり今日のリノアはおかしい。

「調子でも悪いのか?」

「な、なんでもありませんわ」

 そう言うリノアの瞳は潤み、目の焦点もずれている気がする。声も艶っぽい気がするし、全体的にふわふわとした印象を受ける。明らかにどうかしている。

「だ、大丈夫ですわ」

 明らかに様子が変だが、リノアがそう言うなら…。我は一応、医者に掛かるのをオススメしておいた。この学院には獣医が居る。使い魔なら無料で診察してくれるらしい。腕は確かと評判だ。受診しても損は無いだろう。タダだからな。我も模擬戦の後はよく世話になったものだ。

「はい…」

 リノアは一応頷いていたが、どうなることやら。何も無ければよいのだが…。

 夜。

 我は部屋を抜け出して、恒例の縄張りチェックを行っていた。そこかしこの臭いを嗅いで情報を集めていると、不意に声が聞こえてきた。

「はぁーん…」

 なんとも悩ましげな声だ。我は声に誘われるように、声の元へと近づいていく。

「はぁ、はぁ、あぁーん…」

 リノア?夜闇にくっきりと白い猫の姿が浮かび上がっている。月の光を受けてその毛並みは銀の様に輝いていた。我は暫し見惚れると、リノアへと近づいていった。

「リノア?」

「はぁ、クロ、ムさん、あぁー…」

 リノアは、まるで熱に浮かされているかの様に喚きながら体をくねらしている。その瞳はトロンとしており、荒い息を繰り返していた。コヤツまさか…。

 我は意を決してリノアの傍に寄る。

「はぁ、はぁ、わた、わたくし…」

「皆まで言うな。分かっている」

 リノアが熱い吐息を漏らし、我を見た。その瞳には縋る様な色がある。ああ、やはり…。

「我に任せておくと良い」

 我はそれだけ言うとリノアに覆いかぶさった。

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