食堂から出て外に出るべく女子寮の廊下を歩く。その途中、妙な奴に会った。ソイツは廊下の反対側からやって来た。
小さな灰色の物体が廊下を左右に横断しながらこちらに近づいてくる。ネズミだ。ネズミはしきりに鼻を動かして廊下をあっちにふらふら、こっちにふらふらと歩いている。
目が合った。
普通は逃げていくところなのだが、ネズミはこちらをチラリと見ただけだ。相変わらずふらふらと歩いている。まさかこいつもか?
よく見ると、ネズミの首には赤い布が巻かれている。やはりこいつも使い魔か。チッ、使い魔じゃなければ腹ごなしに狩ってやるものを。残念だ。
しかし、こいつかなり図太い。仮にもネズミの天敵たる猫に会ってこの態度だ。かなりの大物だな。使い魔の証に安心しきっているのだろうか?自分は襲われないと。そんなものは、実は我の胸先三寸なんだが。アリアとの約束があるから手は出さないがな。
だが口くらいはいいだろう。
「いい加減にしないと食っちまうぞ」
ネズミは無反応だ。我のすぐ横を通って食堂の方へとふらふらと歩いていく。驚かしてやろうと思ったが、反応がないとつまらんな。ああまで無反応だと、なにやらこちらが負けたような気もしてくるから不思議なものだ。
我は頭を振ってネズミのことを思考から追い出した。せっかくの自由時間だ。いつまでもあんな奴に構ってなんていられない。自由時間は有限なのだ。我は気を取り直して外へと向かった。
外に出ると早速周辺の探索だ。まずは地理の把握だな。校舎の位置から岩や木の陰まで、隅々まで見て嗅いでいく。女子寮の周りには我の縄張りを主張するためにマーキングもしていく。部屋は我の寝床でもあるがアリアの寝床でもある。初日にいきなりマーキングしたのではアリアも機嫌を損ねるだろうと我慢していたが、この辺りならいいだろう。
マーキングとは言っているが、言ってしまえばおしっこだ。撒き散らすように盛大にぶちまける。こんなものでいいか。
女子寮を中心に少しづつ探索エリアを広げていく。その途中、校舎と校舎に挟まれた小さな空き地を見つけた。午後初めの日差しが降り注ぎ、絶好の昼寝スポットになっている。だが、そこには既に先客が居た。一匹の猫だ
いや、あれ猫か?どう見てもスケール感がおかしい。巨大だ、あまりにも巨大な猫だ。巨大な猫が丸くなって昼寝スポットで寝ている。我なんて一口で飲み込めそうな巨大な口からは、顎を通り越して余りある程の二本の大きな牙が生えている。猫かこれ?
ソイツの存在に気が付いた瞬間、我の身体は恐怖に凍り付いていた。
なんでこんな化け物がこんなところにいるんだよ!?
まずい、こっちが気が付いたということは相手にも気づかれても不思議はない。我は知らず知らずのうちに化け物の知覚範囲に入り込んでしまった。最悪だ。しかも、化け物は我の存在に気付いている。間違いない。目は未だに閉じたままだが、耳はこちらを向いている。完全に我を補足している!
どうする?どうする?どうする!?
その時、化け物の首に赤い布が巻いてあるのに気が付いた。
この化け物も使い魔だと!?
我も使い魔だ。使い魔の捕食はダメだとアリアが言っていた。それに賭けてみるか?
バカな!そんなものは胸先三寸だと自分で言っていたではないか。自分の命を、あの化け物の機嫌にかけるなど恐ろしくてできない。あのネズミ、実はすごい奴だったんだな、などと思考が横にずれる。
とにかく今打てる手は一つだけだ。これ以上化け物の気を引かないように、ゆっくりと静かにこの場を去る。これしかない。
我は出来うる限りゆっくり静かに動き出す。早く逃げたい。そんな気持ちを押し殺してゆっくりと動く。化け物を観察しながら、頭の中ではこれまで手に入れた地理情報から逃走ルートを選定していく。地理の把握をしておいてよかったな……。
我は虎口を脱した。どうにか化け物の気を引かずに、あの場から逃げ出すことに成功した。今は走って女子寮まで逃げているところだ。後ろを振り返る。よし、化け物は来ていない。そのまま女子寮に入り、食堂まで猛スピードで駆け抜けた。ここまでくれば大丈夫だろう。
あー怖かった。なんだあの生物。あの牙とか下手したら我と同じくらいの大きさだったぞ。牙だけでそれだ、巨体すぎるだろ。あんな奴も使い魔なのか。あんなものが人間に御せるとは思えんが。意外と心優しい奴だとか?ないな。あの牙を見れば分かる。超攻撃的な奴に違いない。
バクバクと早鐘を打っていた心臓が漸く落ち着いてくる。ふー。
それにしてもあんな化け物にいきなり出くわすとは、我も運がない。もしかしたら首に巻いてある、この使い魔の証のおかげで見逃してくれたのかもしれない。そうなると邪魔だからと外せないな。もうしばらく着けておいてやるか。
ゴーンゴーンゴーン
鐘の音が聞こえる。アリアと約束した二度目の鐘だ。周囲の地形はあらかた把握したと言っていいだろう。本音を言えばもう少し詳細に広範囲に調べたかったが、仕方ない教室に行くか。