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 悪霊共が蠢いているかのような暗く狭い路地の中、オルフェとガイノイドは追っ手から逃れるため、全速力で走っている。まだ追っ手が来る気配はないが、何やら遠くから大勢の人の声のようなものが聞こえてきて、それが路地の壁に反響したせいか、辺り一帯不気味な音色を奏でていた。

 オルフェは無謀な判断をしてしまった。このまま二人で、いや二体で逃げ切れる保証なんてどこにもない。地球のような惑星ならまだ可能性はあるが、このアストロメリアはスペースコロニー。逃げ切れる可能性はほぼゼロに近い。そんなことはオルフェも当然わかっていることだ。それにオルフェ自身の体内に位置情報を示す機器が内蔵されていれば、今すぐにでも見つけ出され、二人まとめて処分されることも充分予想することが出来る。だがしかし、オルフェはそんなことを一切気にしないかのように、全速力で走ること、そして、彼女の手を離さないことに最大限意識を向けているかのように見えた。

 アンドロイドであるオルフェにとって、今取ってる行動はあまりに非合理的だ。今までの彼であれば、決してあり得ない行為なのは間違いない。彼女と初めて出会ったことによって、何よりも彼女のことを優先すべきだという謎のプログラムが自身に作用しているのだろうか。それはオルフェにもわからないが、ただ自分の直感を信じて、自分の本能に従い、彼女のこと、そして自分自身のことを改めて知りたいという衝動に駆られているようであった。

 オルフェは後ろを振り返り、彼女を見る。むせ返るような空気の中を走り回ったせいなのか、ぱっと見、目立たないものの、よく見ると黒のワンピースが汚れているのが確認出来て、黒い靴も走ってる速度に耐えられなかったのか、すっかりボロボロになっていた。そして、彼女は下を向きながら、初めて口を開く。

「……なぜ助けたの?」

 オルフェは彼女の問いにすぐには答えられなかった。自分でもどうして彼女を助ける行動に出たのか、はっきりとした理由がまだわからないため、なんと答えたら良いのか判断に迷っているためだ。

「わたしを殺すことが命令だったんでしょ? それなのに、どうして……」

「なぜ助けたのか、自分でもよくわからない……」

「よくわからない?」

「……あっ、うん、そうだ。本当にわからないんだ……」

「……」

「……ただ、今はっきりしていることは、こうしている間にも、ぼくらを殺そうと連中が迫ってきていることだ」

「……そうね」

「……ぼくのほうこそ、きみのことについていろいろ訊きたいことがたくさんあるのだけれど、まずは何から訊こうか。あっ、じゃあ、まずきみの名前は? ねえ、なんて名前なの?」

「……エレン」

「ぼくはオルフェ。よろしく、エレン」

 オルフェに名前を呼ばれると、エレンは顔を上げた。そして、真っ直ぐオルフェの瞳を見つめる。表情に乏しい二体のアンドロイドが見つめ合う様子はとても奇妙に感じられるが、傍から見るととても真剣な様子にも見えていた。

 オルフェはエレンの左手を一旦離すと、今度は右手を目の前に差し出す。エレンもそれに応えて右手を出すと、二人は握手を交わした。

「立ち止まってる場合じゃないな。早く別の場所に移動しよう。こうしてる間にも追っ手がすぐやって来るだろうからね」

「そうね。その前に、今履いてる靴捨てなきゃ。このままだと足手纏いになりそうだから」

 エレンは靴を脱ぐと、なるべく見つからないように、路地に落ちている石材の破片の下に捨てた。

「あっそうだ。気休め程度にしかならないかもしれないけれど、ぼくもこれを捨てないと」

 オルフェはそう言うと、連絡に使う携帯端末を取り出して、それを地面に叩きつけた後しっかり踏み潰して壊した後、エレンと同じく、近くにある石材の破片の下にそれを隠した。その様子を見ていたエレンは、オルフェのほうに手を差し出した。

「さあ、早く行きましょ」

 オルフェはうなずくと、エレンの手を握った。このとき、オルフェにはエレンが楽しそうに笑っているかのように見えた。そして、まるで恋人同士が手を繋いで寄り添うように、暗く澱んだ道をなるべく音を立てないように走り始める。この光景を後ろから見ていると、なんだか恋人同士がはしゃいで走っているように見えるのだが、その背後には何やら暗い影が迫っていた。


 オルフェとエレンの逃避行が始まってから時間が経たないうちに、ウェズルニックの下へ情報が入った。長官室の中から大きなスクリーンを通じて、部下からの報告を一部始終聞いていたのだ。報告が終わると、デスクの上に肘を付けて手を組んだ。そして、ほんの一瞬、狂気を感じさせる笑みを浮かべる。

「ふふふふっ、まさか愛の逃避行のような行動に出るとはね。予想もしていなかったよ。それで、位置情報はもう掴んでいるのか?」

「そのことなのですが……ちょうどオルフェがガイノイドを連れて逃亡した頃に、全てのGPS衛星の機能が停止しました。まだ未確認段階ですが、このタイミング、人為的に破壊されたものでないかと」

 この情報にウェズルニックは戸惑う様子を一切見せない。予想の範囲内といった表情だ。

「例の秘密結社の仕業かもしれない。可能性としては充分考えられる。諜報部やその他特殊部隊に情報を集めさせろ」

「わかりました。では、私も任務に戻ります」

「ああ、頼むよ。それにしても、オルフェの体内に爆弾を事前に設置していれば、あのガイノイドもろとも、今すぐにでも破壊することが出来るのだが。こうなることも考えて、事前に機械人形の爆弾設置案を再度進言しておけば良かったな……そう、今まで、我が国ではアンドロイドが表舞台に登場することは一切なかったわけだし、アンドロイドが関与する事件も一度も起こらなかった。それを、まさか私が長官の座についているときに、よくもまあこんな面倒な事件が起こってくれたもんだと、頭を悩ませるよ、本当に。こんな悩みの種を持ち込んだ火星の連中には、しっかりと抗議をしないとな」

「同感です」

 ウェズルニックは立ち上がってネクタイを締め直すと、スクリーンのスイッチをオフにする前にこう言った。

「そうだ。後、技術部の連中を中心に取り調べをやれ。スパイが潜り込んだせいで、こうなったのかもしれん。それともう一つ。動くガラクタを早く始末しろ」

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