目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

 オルフェは殺さなければならない相手が目の前にいるのにもかかわらず、銃を手に持つことなく、相手の様子を窺っていた。初めて出会ったはずなのに、なぜか彼女を知っている。そんな奇妙な感覚に囚われているせいなのか、自分がすべき行動への判断がとれずに、呆然と立っていた。

 ガイノイドのほうも、オルフェと同じく青く濁った瞳で、オルフェの様子を窺っているようだった。しかし、困惑した様子は一切なく、どこか嬉しい気持ちを押し隠している感じで、微笑んでいるように見えた。

 今、二体の機械人形が対峙している光景を俯瞰して見てみると、人によるが、この場所の外観や雰囲気も相まって、とても感動的なものに見えてくる。表情の乏しかったマリオネットが楽園を訪れて、運命の相手と出会えたかのようなこの感動的なシーンを、銀幕を通して観客の全員の脳裏に焼き付けるかのようだ。しかしこの劇も、物語によくある悪役によって、不吉な影を見せ始めていた。

 突然、どこからか銃声の音が鳴った。彼女が左の方角に目を向けると、その瞳には屋根の上から自分に銃を向ける若い男の姿が目に入った。

「オルフェ、ここまでご苦労だった」

 身体は彼女のほうを向けたままだったが、目線だけ右に動かした。五十メートル以上の距離があったが、男がコーカソイドであることと、貧民街に溶け込めるような薄汚れた服で擬装しているものの、よく観察してみると髪や肌はそれなりに清潔感があるのが確認できる。少しクセのある黒のミディアムヘアーの持ち主で顔立ちは整っているが、それが逆に表情も相まって嫌味な感じの印象を与える。

「監視役か?」

「長官の命令だ。おまえが与えられた命令をちゃんと全うするか確認するためのな。さあ、後はそいつを処分するだけだ」

 監視役の男はそう言うと、オルフェに銃を向けた。オルフェに向けられたこの銃は特別性で、政府が極秘に開発したある化学物質を中に仕込んである特別な銃弾を装填出来るように作られている。見た目は普通の拳銃よりも少しばかり大きい程度で見た目はそこまで変わらないが、撃って弾が目標にぶつかり強い衝撃で変形したその瞬間、化学反応を起こして強力な威力を発揮する。それはさながら小さな爆弾というべきか、当たった範囲の半径五センチ前後の範囲内で、強力な爆発をする。まともにくらえば、アンドロイドであっても致命傷になりかねない代物だ。そう、まさにアンドロイドを始末するために開発された銃。それは今日、この任務のために、初めてオルフェに渡された銃でもある。その名もマイナデス。

 オルフェは男から視線を逸らすと、真っ直ぐ彼女を見つめる。彼女を処分することが任務だということは、当然理解している。そして、彼女を処理しなければ、自分自身も欠陥品として処分されてしまうことも。しかし、再び彼女と目が合ったその瞬間、彼女が自分にとって一体何者かという疑問に直面する。それはなぜか彼女を知っている。そのように判断している自分自身が、一体何者なのかという問いとも直面しているからだ。そして、そのことを含めた彼女に関する全てのことが、国家警察の命令以上に優先されるべきことのような気がしてならなかった。

 監視役の男は、オルフェがなかなか処分しようと動かないことに痺れを切らし始める。

「どうした? 早く始末をしろ……もしかして、殺すことをためらってるのか? 同じアンドロイドである同胞は殺せないとでも? まさかな。人間でもないおまえにそんな慈悲の心があるとはね。ただの機械人形のくせに、人の真似事をするとは……人間様を舐めるなよ、オルフェ」

 男は綺麗な二重瞼を細めて、先程よりも冷酷で苛立った表情へと変わった。

「ほら、早く殺せ! 殺さないと、おまえも始末されることはわかってるよな? いや、スクラップと言ったほうがいいのかな? おまえは人間ではないのだから、殺されるという言葉を使われること自体、本当はおこがましいんだよ。この機械人形が。ははははっ!」

 男は不気味な笑みを浮かべると、銃を握る手に力を入れた。しかし、オルフェは真っ直ぐ彼女のほうに身体を向けたまま、銃を抜いて構える素振りすら見せない。

 オルフェは判断に迷っていた。彼女と出会うまで、国家警察の所有物として何より国家の命令通り動いてきたこの自分が、彼女と出会ったことによって、国家の命令に優先される以上の何かを彼女から感じ取ってしまう。それは一体なんなのか? 一体どうすればいいのだろうか? 突如湧き出てきた問題に、オルフェはまだ答えが出せずにいた。

 そんなオルフェを男は蔑んで嘲笑うと、あることを口にした。

「オルフェ、おまえが工場地帯で会った老人、チェスターって言ったか、おまえがあのテントを出た後に、国家反逆罪として逮捕した。もう、刑の執行も済ませてある。ぐずぐずしているおまえと違ってな。命令を守らなければ、おまえもこうなる」

 男は後ろに下がると何かを引きずってきた。そこにはまるで拷問を受けたかのように息絶えているチェスターの姿があった。外傷がそこまで酷くないためすぐにチェスターだとわかるものの、殴られたか何かによる打撲で、上半身のほとんどが紫に変色していた。この姿だけで充分残酷な行為を受けたことがわかる。

 オルフェは男のいる方向へと初めて顔を向けた。しかし、その視線は男ではなく、チェスターに向けられる。そのときのオルフェの瞳は、怒りとも悲しみとも取れない屈折した輝きを放っていた。

「はあ、ここまで運ぶのには苦労したものだ。おい、感謝しろよ。本来おまえがやらなければならないことを、おれが代わりにやってあげたんだからな」

「……子供はどうした?」

「子供?」

「そのチェスターと一緒にいた子供のことだ?」

「ああ、そうか。この爺さんを捕まえる直前、何やら逃げろって言ってたのは、ガキのことだったんだな。物音だけ立てて姿は見えなかったが、まあ、ここはスペースコロニーだ。ガキひとりじゃ、どうせ逃げられはしない。逃げられるだけの知恵もないだろう。そう、後でゆっくりと探し出して、始末すればいいだけの話だ。おまえの話から察するに、特に優先すべきことではないな。優先すべきはそう、まずはそこにいる機械人形からだ」

 オルフェは男のいる方向から、彼女のほうへと視線を移した。お互い見つめ合ったまま動かない。それからというもの、本当に長い時間が経過したかのように見えた。だが実際は、ほんの刹那だ。

 男の指先に力が入り、銃弾が発射されようとしていた。オルフェはその動きを察知すると、素早く腰に下げてる銃に触れる。そして、男が手に持ってるものと同様のマイナデスではなく、普通のオートマチックを手に取ると、素早く銃で撃った。オルフェの放った銃弾は、男の手に持ってるマイナデスに命中して弾き飛ばした。

 男が怯んだ隙に、オルフェは彼女の下へと走り出す。彼女の下へと辿り着くと、彼女の手を握った。その瞬間、オルフェの脳裏に夢のような映像が浮かんだ。それは実験室のような部屋の真ん中にある手術台の上に、オルフェと彼女が手を繋いで寝ている光景だった。オルフェはこの光景を頭の中に浮かべながら、彼女の手を握った状態で、入ってきた方向とは反対の出口に向かって全速力で駆け抜けていった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?