工場地帯の入り口付近の空き地に車を止めると、オルフェは早速ガイノイドの捜索に乗り出した。アストロメリアの中心付近、特にアストリアスと比べると、道路がきちんと整備されていなくて、監視カメラの数も少なく、ちゃんと機能しているものもほとんどない。道路やその脇には使えないごみが散らばっていて、臭気が酷い状況だ。
この辺りは低賃金労働者や浮浪者などの溜まり場だ。アストロメリア中心部では働けない貧民街出身者たちが、ここでなんとか飢えを凌いでいる。大きな建物や共同住宅が並ぶこの一帯は、近くで見れば見るほど酷く汚れているのが見て取れる。
踏み込めば踏み込むほどに、オルフェの瞳とこの場所とが同化していくように感じられる。時間帯のせいなのか、人の姿をあまり見かけない。見かけたとしても、道路の真ん中で大の字になって寝てたりなど、中心部で暮らしている者からすれば、とても異様な光景に見えるだろう。まるで見捨てられたかのような虚無感が、辺りを漂っている。このモノクロな景色に溶け込んで、オルフェの輪郭は失っていくかのようだ。
道端で寝転んでいる者を起こしたり、工場などに立ち寄って聞き込みをしていくのだが、反応は芳しくなく、無反応であるならまだいいが悪態をつかれたり、最悪殴られそうにもなった。また答えてくれた者がいても、その誰もが首を横に振るだけだった。
この調子で聞き込みをおこなったが、情報は何も得られない。確かにこの辺りで暮らしている者たちと比べると、オルフェは傍目に異質で目立つ存在に見えるのかもしれない。しかし、ここの住人らの大半は、そんなことすら気にしていないようにも見える。
こうやってしばらく聞き込みをしていると、共同住宅が並ぶ狭い通路の前にやってきた。濁った青い瞳で狭い通路の先を見つめる。その先を見ていくと、どんどん暗くなっていくのがわかる。そして、視界と聴覚に突如ノイズが発生する。
ノイズが出てくるなか、浮かび上がってくるあの女、ガイノイドの記録。あのガイノイドの画像が浮かび上がるたびに、任務とは関係なく、なぜか、彼女に強く興味を引かれる何かを感じていた。でも、それがなんなのかは、わからない。
数分間、放心したように立ち止まっていたが、ゆっくりと暗く狭い通路の中へと入っていった。
狭い通路を歩いていると、共同住宅の大きさがよくわかる。どれも五階建てで、色は白に統一されている。だが、工場の煙で汚れてしまったせいか、本来の色は失ってしまったようだ。上の階から度々視線を感じるのだが、オルフェは気にもせず先を進んでいく。
しばらく曲がることなく真っ直ぐ歩いていたが、窓から覗く視線とは別の存在に、オルフェは気づく。しかし、気づいた素振りは一切見せず、後をつけてくる何者かを油断させて誘い込むことにした。
オルフェが次の角を曲がると、その後をつけてくる何者かが、少し遅れて角を曲がる。しかし、オルフェの姿は見当たらず、その先は行き止まりだった。
オルフェの後をつけていた、モンゴロイド系の若い男二人組が、しまったというような顔をした。すると、屋根の上からオルフェが飛び降りてきて、二人組のうち背の高いスキンヘッドの男の頭に後ろ回し蹴りを決めた。蹴られた男が倒れると、もう一人が慌てて逃げようとする。しかし、オルフェは即座に首を掴み、凄い力で壁に叩きつけた。
オルフェにやられた二人組は気を失っていた。気絶していることを確かめると、二人の所持品を調べる。持ち物は硬貨が数枚入った財布と、サバイバルナイフが一人一本ずつあるのみ。よれよれで汚れた服装であるところを見ると、食いぶちに困ったチンピラといったところだ。
携帯端末を使って本部の警官を呼ぶべきところだろうが、うかつに警官を呼んでしまうと、もしこの辺りにガイノイドがいた場合、警戒されてしまって、任務に支障をきたすことになりかねない。手錠も持っていたが、数に限りがあるため、近くに落ちているひもを見つけると、気絶している不良二人の手首足首を縛るだけに留め、再びガイノイドの捜索に戻った。
しばらく同じような路地を行ったり来たりしていたが、再び尾行されている気配を感じた。こう何度も自分に向けられる見えない気配を感じ取れば、捜査官であれど僅かな動揺を見せるものだが、オルフェはそんな様子を全く見せず前を歩く。そして次の角を曲がった直後、すぐ後をつけてきた何者かの首を掴んだ。すると、オルフェの瞳には、弱々しい子供の姿が映っていた。
オルフェは強く握りしめた手の力を抜き首を離すと、子供は咳を出した後怯えた様子を見せる。相手が子供であっても、オルフェは全く表情を変えない。優しい表情など見せることなく、子供の周りをぐるりと回ったのち、身体を押さえつけるなどして、子供のことを観察する。
さっきの二人組と同様、人種はモンゴロイド。歳は見たところ十歳前後で、陰茎があるところから性別は男。よれよれで汚い服装をしていて、かなり痩せている。普段からあまり良いものを食べていないようだ。
一通り調べ終えると、身体から手を離して、少年を自由にする。少年は起き上がると、真っ直ぐオルフェを見つめる。オルフェも同じく、真っ直ぐ少年を見る。すると、少年は少しの間、にっこりと笑った。
オルフェはこのとき、少年がなぜ自分に笑顔を見せたのか、理由がわからなかった。多少荒っぽく押さえつけられて、身体のあちこちを調べられたのにも関わらず、自分に対して笑顔を見せる理由が、どうしても見出せない。そもそも、本当の笑顔らしき表情を見せてくれる人に今までほとんど出会ってこなかったので、そのデータ不足も重なり、少年がなぜ笑うのか、推論出来ずにいた。だが、オルフェは混乱しているような顔は一切見せず、少年に話しかける。
「手荒なことをしてすまない。でも、きみが後をつけたりするのが、そもそもいけないんだ。ところで、なぜぼくの後をつけてきた? きみの名前は?」
少年は声を出そうとする。だが、息を吐き出す音しか聞こえない。
「喋れないのか?」
少年は突然、オルフェの手を握り、そして何やら引っ張る。少年の素振りからどうやらついてきて欲しいということがわかると、少年に引っ張られながら、ある場所へと向かった。
同じような汚く狭い路地を数分歩き回ると、小さな空き地に辿り着く。草もほとんど生えていなくて、中央に白い大きなテントがあるだけだ。少年はそのテントのほうを指差した。
「ここが家なのか?」
少年は頷くと、テントの中へと入っていく。オルフェも周囲を警戒しつつ、後に続いて中へと入っていった。