アストロメリアの貧民街で事件が発生した。寂れた
死体を調べた結果、国家警察の諜報部の確認によって、この男がある秘密結社を調べていた潜入捜査官であることがわかった。
この事件を受けて、諜報部は刑事部に捜査権を一時的に譲ることになる。犯人逮捕、あるいは射殺した後、その身柄を諜報部に引き渡すことが上層部の意向で決まった。
刑事部所属の警官たちが次々と現場に到着する。黒の軍服風な制服を着た男たちが現場を取り囲む姿は、貧民街に物々しい印象を与える。
貧民街はアストロメリアの他の場所とは異なり、防犯カメラの数が少ない。犯人の姿を捉えたカメラが一つあったが、フードで顔を隠していたため、映像を見ていた警官たちは苦い顔をするしかなかった。
警官たちが現場周辺で聞き込みをしている間に、犯人は黒のフード付きマントを焼却炉に捨てて、隣の地区との出入り口付近まで近づいていた。
男の歩くスピードがだんだん速くなっていき、早く貧民街から出たい、その焦りが呼吸となって表れる。歩みを進めるごとに、息が荒くなり、手の震えが酷くなる。それでも恐怖に抗うかのように確実に進んでいき、出口を抜ける五十メートル手前まできていた。
しかし、行く手を阻むかのように、何者かが飛び降りてきた。犯人は立ち止まり身構えると、首筋に汗を流しながら、自分の行く手を阻むのが何者か確認する。
犯人の目には黒の戦闘服を着た男の姿が写っていた。短距離走のスタート時のような体勢から、顔を上げて、そしてゆっくりと立ち上がる。
艶のある黒髪、彫りが深いマスク、太く切れ長な眉、そしてブルーグレーの瞳。
犯人はこの得体の知れない翳のある視線が自分へと向けられたその瞬間、汗の出る量が酷くなった。心拍数が上がり呼吸がさらに荒くなって、張り詰めた空気を漂わせる。
しかし、犯人の前に突如現れたこの男は、全く表情を変えない。感情を一切表に出すことなく、冷たい両目を向けながらこちらに近づいてくる。
犯人は震える手でオートマチックを構えると、慌てて銃弾放った。しかし、男は素早く横によけて弾を
犯人は男に目掛けて再度撃つ。しかし、今度は先程とは違い、躱すことさえしなかった。左手の手のひらを盾代わりにすると、一気に間合いを詰めた。犯人はこのとき、初めて気がついた。この男が人間でないことを。最悪のイメージが脳裏に
痛みは特に感じなかった。意識がだんだんと薄らいでいく間、はっきりと覚えているのはこの光景だけだ。自分を見下ろす凛とした瞳。感情なんてものは一切持ち合わせていないだろうと思いながら、意識が遠くに消えていった。
犯人が意識を失ってから数分後、身柄を確保したという情報が入り、警官たちは犯人が倒れている場所へと向かった。警官たちが駆けつけると、倒れている犯人のそばに戦闘服を着た男が立っていた。男は警官たちに気づくと、ゆっくりと近づいていく。現場を指揮している私服警官が、近づいてくる男に歩み寄る。
「オルフェ、おまえがやったのか?」
「ええ。でも気絶しているだけですから、心配はいりません」
「わかった。次の任務があるまで本部で待機していろ」
「わかりました」
オルフェは犯人の逃走経路と捕獲方法を報告すると、現場を離れ始める。先程の私服警官がオルフェの後ろ姿を見ると、左手に穴があいているのが目に入った。しかし、血が流れた痕跡は見当たらず、小さな穴から微かに光る金属製の骨らしきものが見えていた。
現場を検証している若い警官の二人が、オルフェの姿を見て愚痴をこぼした。
「ほんと、嫌になるよな。おれたちに犯人を捕まえさせておきながら、それを横取りしやがるんだよな。諜報部の人間は」
「ああ、まったくだ。嫌な仕事や尻拭いは全部押し付けて、手柄だけ奪いやがるんだ。やってらんねえよ」
「まあ、それがエリートの特権かもな。でも、むかつくっていえばあいつもだよな。オルフェっていったか、澄ました顔しやがって」
「ほんとむかつくぜ。いいところ全部取りやがって、機械人形の分際で」
オルフェは自分のことを言われてるのに気づいていた。しかし、悲しくなることも怒ることもせず、無表情なまま、ゆっくりとした歩調で現場を後にする。そして、国家警察の本部へと戻っていった。