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第37話『僕は、僕だって』

 毎日、登校時の足が重かった。

 粘り強く思い鎖が足に絡まり、肩に腕にもその圧は感じられた。


 明日、今日、今、いつどこで倒れてもおかしくない状況だった。


 教室へ向かう廊下が途方に暮れるほど長く感じた。

 すれ違う人たちの目が自分に集中しているように感じた。


 教室の前まで辿り着いたとしても、廊下と教室の境目が奈落まで繋がる巨大な穴にさえ見えた。


 そんな地獄へ一歩踏み入れれば、待ち受けるのはいつもの突き刺さるような軽蔑の目。

 針のように、いや、あれは鋭利な刃物のような目線だった。


 床は泥沼のように引っかかってくる感覚さえ覚えた。


 やっとの思いで机へ辿り着き、席に着いて教材に目を通す。

 この時だけが唯一の救いだったと今でも憶えている。

 知識だけが僕を救ってくれる。

 知識欲だけが心を満たしてくれた。


 家でも同様。

 普段から分け隔てなく接してくれる兄妹だったが、それが逆に辛く感じ、自ら意識して一定の距離をとっていた。

 だから、様々な教本を購入したり、図書室で借りたりしてそれらを読み耽って読み漁った。


 知識の海へ溺れるように。


「でも、そんな辛さから解放されるのは、もしかしたら一瞬なのかもしれない。夢を諦め、需要のあるクラスにチェンジして普通に生きる。簡単なことじゃないか」


 本当に簡単なこと。


 涙が溢れ始めた。

 今まで心の奥底にしまい込んで鍵を閉めていた扉が開き、感情が溢れ始める。

 一滴、一滴と零れ落ちる涙は心の悲鳴。


「普通に生きて普通に暮らす。それでいいじゃないか……」


 今まで思ってもいなかった言葉が口から飛び出す。

 それほどまでに心が疲弊し過ぎてしまっている。


 ――普通とは?


 普通ってなんだ。なんなんだ。

 当たり前のように毎日を過ごし、目標もなくただ生きること?

 変化のない日々をひたすらに繰り返し、自分を押し殺すこと?


 果たしてそれは自分らしく生きていると言えるのだろうか。


『君に興味を持った』


 ノイズの混じる声が聞こえた。


 あれ……誰がこの言葉を掛けてくれたんだっけ……?


 薄っすらとしか思い出せない。

 なにか、光のような、僕を照らしてくれるような、そんな……希望……?


「ぐっ!」


 そのことに考え始めると、頭に酷い痛みが走った。


 だけど、何かがわかった。

 この痛みに抗わなければならない、ということを。


 ……希望……憧れ……。


「う、ぐっ!」


 痛みは強烈になり、今にも頭が割れそうになる。


『君にとって譲れないものはあるかい?』


 すると、誰かもわからない人の背中が宙に描写された。


「譲れないもの……ある。あります。……そう、だ……そうだ……!」


 美咲、桐吾、結月、彩夏、一樹、叶、一華。

 みんなの顔が思い浮かぶ。

 笑い合ったり、必死に取り組んだり、冗談を交わしたり。


 前まではそんな光景を眺めているだけだった。

 ずっとその中に僕はいなかった。

 だけど、だけど……今は、今は違う。

 みんなは笑いながら僕を迎えてくれた。

 こんな僕でも必要だと言ってくれた。

 仲間だと言ってくれた。


 ――なら、こんなところで諦めていいのか?


 ダメだ。

 そんなのダメだ。

 諦めちゃダメだ。

 夢を諦めちゃダメだ。

 自分の目標を捨てちゃダメだ!


「だったら、こんなところで足を止めていてはダメだ」


 激痛に対し、耳鳴りが鳴るほど強く歯を食いしばり全力で抗う。


 ……それに。


 あの人に、あの人のようになりたいんだ。

 上木さんはこんなところで立ち止まるか?

 そんなはずはない。

 上木さんは絶対に止まらない。

 上木さんが諦めなかったんだ。


 ――だったら、僕は、僕だって……!



 僕は意識を取り戻した。


 ひんやりと冷たい床に体を密着させている。

 スキルを掛けられた時に転倒した衝撃で、顔や体のあちこちが痛い。


 だけど、そんなことは言ってられない。

 痛みを堪えながら、ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。


「……うっそ……でしょ」

「……」


 振り返ると、光崎さんは椅子に腰かけながら読書をしていたようだ。


「ボク、デバフスキルには結構地震があるんだけどなぁ~。正直、驚いたけどそれ以上に超超超ショック」

「……ごめんなさい」

「いやいや、謝らなくて良いよ。最低でも一時間ぐらいは拘束できる予定だったのに。だからまあ、誇って良いと思うよ」

「っ! あれからどれくらいだったんですか」

「うーん、三十分ぐらい?」


 永遠にも近い時間の中、幻惑に苦しめられていた。

 光崎さんの自信は虚言ではなく、本来であればそれぐらいの時間が経過してしまうのだろう。


 でもまさか、それぐらいしか経っていなかった。


 いや、そんなことより、


「……ということは」

「うんうん、そうだね。特別試験は開始しているよ。行くの? たぶん、もう終わっちゃってると思うよ?」

「どういうことですか」

「うんとね、今回の特別試験はある首謀者がいて、その人が描いた構図なんだ。まあ、結局用事があるって言って帰っちゃったんだけどね。んで、内容は撃難。私たちの学年でも善戦するだろうけど、壊滅は必須だと思う。だから、今行っても望み薄だし、終わるまでここに居たら?」

「……ごめんなさい。たぶん、何かの目論見があって僕をそんな場所から遠ざけてくれたと思うんですけど――僕は、行きます」

「絶望的な状況だと思うよ?」

「……それでも、行きます。みんなを信じています」


 一瞬、この場の空気が固まる。


 呼吸が止まるほどの緊張感。

 光崎さんの目線は、真っ直ぐと僕の目を向いていた。


「……わかった。行くといいさ」

「いいのですか……?」

「うーん、まあ? ボクは監視中に読書をしていて、気持ち良くなっちゃって居眠りをしちゃうかもしれないよ? 扉の開閉音にも気づかないほどに気持ちよさそーに、ぐっすりとね」

「――――ありがとうございます」


 その厚意に感謝を示すため、姿勢を正し、深々と一礼。


 頭を上げ、踵を返して部屋を後にした。

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