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第25話『一歩踏み出す勇気をください』

 帰宅した一華。

 いつもと同じく、空虚な家の中で「ただいま」と呟く。


 誰もいないのはわかっている。

 誰かからの返ってくる声を期待しているわけでもない。

 懐かしい記憶に思いを馳せ、いつも独りでにそう呟く。


 ここからもいつも通り。

 誰に感謝されるわけでもない家事を手際よく終わらせ、自室へと向かう。




「ふぅ~。今日も疲れたなぁ」


 一華は椅子に浅く腰掛け、溶けるようにだらける。


 そして、今日の予定を考えるも答えはすぐに出た。


「テストは終わったし、勉強は後回し後回しっ」


 と、楽観的になるも、先ほどの叶の言葉がチクッと刺さる。


「べ、勉強は、後で……そう、明日からやるからっ!」


 ここには居ない叶へとそう言い訳をした。


 では何をやるのか。

 筋トレか、走り込みか。

 そのどれも今までやったことはあるが三日目以降から続かなかった。


 継続という言葉が自分には合っていないということぐらい、自分がよくわかっている。


「じゃあ……やっぱり、これかな」


 机に備え付けてある数冊しか置けない本棚に目線を送る。

 そこには、いつも左端を定位置にする一冊の本――タイトル名『彩国の宝姫』。


 この本と一華の出会いは中学校の図書室だった。

 偶然見つけた本を興味本位で読んでみた結果、自分と似た境遇に感情移入をし、感動せずにはいられなかった。

 そして、初めて自分から両親にわがままを言って購入してもらったのがこの一冊。


「やっぱりこのシーン好きだなぁ」


 最初から読むのではなく、まずは自分が好みのページまで飛ばす。


 主人公が逆境に立ち向かい、自身でその壁を乗り越えるシーン。

 自分と似ている境遇ながらも、自分には到底できないこと。

 技術の問題ではない。

 差別され、冷遇されても諦めず、理不尽にも抗う姿。

 自分の意志で発言し、自分の意志で行動する様。


 こんな自分では到底真似のできない。


 だから、自分にはできないようなことを成し遂げるこの主人公が好きであり、この本が好きなのだ。


「私にもいつかはできるのかな。私もいつかはこんなことができるようになるのかな」


 ページをパラパラと先送り、終わりの章まで移動。

 どんなに苦しくても、どんなに大変でも、最後は必ず大団円を迎える。


 ご都合主義の綺麗事で終わるわけじゃない。

 この物語は、主人公が困難を乗り越え人々を助ける物語。

 そこにはみんなの笑顔がある。

 主人公もどんなに傷ついたとしても笑っている。


 自分にはできない笑顔がそこにはある。


「なれるかな、なりたいな……どうか、どうかこんな私に一歩踏み出す勇気をください」


 祈るように手を合わせ目を閉じ、主人公に懇願する。


 ――返答はない。


 そんなものは当たり前だ。

 空想上の人物にいくら語り掛けようが、返ってくるのはただの静寂のみ。


 目を閉じていると、こくりと頭を振ってしまう。


「あう、だめだめ」


 と、言葉を発するも、本格的に眠気が襲ってくる。


 窓の外に視線を向けるも、茜色の空。

 就寝するにはあまりにも早すぎる……が、一華は我慢ならずスッと立ち上がりベッドに向かう。

 ふらふらとおぼつかない足取りでベッドにたどり着くと、お尻からではなくそのままバタンッと倒れこむ。


 反動で一度だけ体が跳ね上がるも、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

 そして、枕を使わず、布団も掛けず、一華は眠りに就く。




「あなたはどうするの一華」

「え?」

「なによ。寝ぼけているの? だから、あなたはどうするのよ」


 一華は目の前の少女から選択を迫られていた。

 その夕陽に染め上げられたかのような橙色の髪をした少女は、解答を急かしてきている。


 少女から何を問われているのか、それがわからない。

 だが、少女は一華から目線を外し、前を向く。


 一華も同様にその先を見ると、目を丸くする状況が広がっていた。


「え……」

「私は助けに行こうと思う。あなたは一緒に来るの?」

「え、私は……」

「わかったわ。後でまた会いましょう」


 2人が立っていたのは人が賑わう表通り。

 そこから細い路地の先、完全に行き止まりとなっているところで1人の女性が2人の男性に詰め寄られていた。

 見るからに女性は嫌がっている。


 時は夕方。

 完全に真っ暗というわけではないが、差し込む光は薄く、通行人のほとんどがその光景に気づいていない。


 つまり、今ここで見逃してしまえば、彼女はこの後どうなるかわからない。

 女性対男性。

 その先に待ち受ける未来が明るいものではないのは明白。


 だが、一華は動けなかった。


 ただ、一緒に歩いていたであろう彼女に催促されるも、彼女の背中をただ見送るのみ。

 急に始まったシーン。状況が状況のため、頭が混乱して正常な判断ができなかったのは確か。


 ――本当に?


 そんな疑問が一華の中で芽生える。


 ――本当に、状況が理解できなかったから動けなかった? 本当に?


 胸の前で手を強く握り、自らに問いただす。


「私にはできない……」


 一瞬目線を下げる。

 何もできないにしろ、彼女の勇姿を見届けないのはおかしい。

 ……おかしいとわかっていても、眼を背けてしまう。


 ――そう、まるで自分から目を背けるように。


「私は……私は……」


 胸が苦しくなるのを感じる。


「あら一華。そんなところでボーっとしていると置いてっちゃうわよ」

「……え?」


 自責の念に駆られていると、気づけば彼女が目の前に居た。


 彼女の背後に目線を配らせると、男たちは地に伏せピクピクと痙攣している。

 目線を戻すと、襲われていた女性はこの場から去っていた。


「ほら、行くよー」

「う、うん」

「いやぁ、人助けって気持ちが良いものだけどさぁ。あの、最後に頭をペコペコと下げられるのは何回されても慣れないんだよねぇ。感謝してくれてるのは伝わるんだけどぁ」


 一華はアハハ……と苦笑いを返す。

 と、同時に、彼女はこれが初めてではないのだということもわかった。


 そして思う。

 この人は自分にできないことができる人。

 自分の意思で行動し、自分の信念を貫ける人なんだと。


 薄っすらと一華は気づいていた。

 これは、夢なんだと。


 では、仲良く振舞ってもらえているのはご都合主義。

 名前も知らぬ彼女は、鼻歌を交えながらご機嫌に歩いている。


「あ、あの……」

「ん? なになに?」

「おーい、カエナー! ちょっと手伝ってくれよー! 一瞬で終わるからさー!」

「ごめん一華、ちょっとだけ手伝ってくるねっ」

「う、うん……」


 一華は言葉を失った。

 なぜなら、その名前を知っているからだ。

 それは、彼女の名前は、『彩国の宝姫』に登場する主人公――カエナ・サーリットその人。


 つまり、これは完全な夢の中であり、憧れの存在がすぐそばに居る。


 高揚感と緊張感とが渦巻く中、手伝いを終えたカエナが一華の元へ戻ってきた。


「お待たせー。それで、さっきは何を言いかけたの?」

「え……あの、その」

「どうしたの今日、なんかおかしいよ?」


 挙動不審とはまさにこの事。

 言葉が詰まってしまっているのもそうだが、目線が泳ぎに泳ぎまくっている。


「なんだかよくわからないけど、そういうときは深呼吸、だよ」

「……うん」


 カエナに言われた通り深呼吸を一度する。


「落ち着いた?」

「うん……? はい?」

「なんで疑問形なのよ。いつもみたいに話してよ、なんだかムズムズする! よし決定。家に帰らず、このまま病院に行くわよ」


 カエナは気休めだけではなく、本気で心配していることが窺える。

 両腰に手を当て、言葉に怒気が宿っている。

 まるで、「なんでそんなになるまで黙っていたのよ」と表しているように。


 だがしかし、一華はこれが夢だと完全に理解していた。

 そして、夢はあっという間に終わってしまうということも。


「はぁ……風邪だったらどうす――」

「あ、あの! 聞いても、いいかな」

「ん? いいよ」

「ど、どうしたらカエナみたいに誰かを守れるの?」

「んー。そう言われると、あんまり考えたことはなかったかな」

「そ、そうなんだ」

「さっきのことを気にしてるなら、それは間違ってるからね」


 言葉を濁していては、自分の意思は伝わらない。

 そう思った一華は、滅多にしない直球の言葉をぶつけた。


「私に、こんな私に一歩踏み出す勇気をください」


 真剣な眼差しはカエナの視線と重なる。


「ふふっ、それなら大丈夫じゃないかな。その疑問の答えは既に出ていると思うよ」

「え……?」

「だって今、一華は自分の気持ちを言葉にした。やらなくちゃいけないと思って行動した。違う?」

「……」

「それができれば、もう既に一歩なんか踏み出してるよ。それが大きいか小さいか、そんなの関係ない。一華はもう自分で歩き出せるよ。――大丈夫。その心にある勇気はとても立派だよ。――だから、後は頑張れっ!」


 カエナは一華の悩みが全て見透かしているかのように答えた。

 その顔には満面の笑み。


 それに応えるように一華は涙を一杯に貯めながら笑顔を作り、


「うんっ! ありがとう! 私、頑張ってみるね!」


 ……ここで夢は終わり、一華は目を覚ました。


 ほんのりと目頭が熱くなり、涙が頬を伝う。

 服の袖で涙を拭い、一華は決心する。


「私は変わるんだ」

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