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エピローグ『少しだけ上がった目線』

 いつもの朝、僕たち兄弟は通学路を歩いている。


 この道を、こうして視線を巡らせたのはいつぶりだろうか。

 桜の木からは、桜の花びらの影はなくなり、茶色い部分がむき出しになっている。

 つい数日前まで絨毯のように散りばめられた桜はなくなっていた。

 あの時……当校初日に、海原かいはら先生との出会いを思い出す。

 視線はいつも下を向いていたから、気づくのも遅かったっけ。


「あー、しいにいが何か考え事してる」

「もしかして、しのにいのことですから、これまた凄いことでは!」

「こーら、茶化さないの」

「そうだぞ、お前たちは志信しのぶを何だと思ってんだ」


 椿つばきかえでは声を揃えて、「「えー」」と肩を落としつつも面白半分と顔に出しながら返答。

 兄貴の言うとおりで、僕を何だと思ってるんだ。

 いつもながらに思うけど、こうして兄妹全員での当校というのは珍しい方だと思う。

 他を見ても、この考えを立証することが簡単なほどに。


「じゃあ、俺はこっちだから。守結まゆ志信しのぶは心配いらないけど、椿つばきかえではちゃんと勉強するんだぞー」

「ぶーぶー、お兄ちゃんは頭を打って医務室に運ばれちゃえー!」

「お兄ちゃんはこのあと、足を滑らせて転びますよ。ええ、間違いありません」

「っはー、はいはい。んじゃあ、な」


 口を尖らせる椿と楓を軽くあしらって、兄貴は三年生用の入り口方面へと歩き始めた。


「じゃあじゃあ、私たちも行くねーっ」

「しのにい、今日あたり部屋に突撃してもいいですか?」

「うん、いいよ。でも、ちゃんと宿題を終わらせてからね」

「「うっ」」


 一歩後退して、喉を詰まらせたような声を同時に発した後、「わかったよう……」「わかりました……」と肩を落としたまま返事をして、


「じゃあ放課後!」

「いってきまーっす」


 と、まだまだ幼気が抜けない様子で駆けて行った。


「うふふ、相変わらず元気がいいね。――じゃあ、私たちもいこっか」

「だね」


 僕たちも校門から直進したところにある入り口へと足を進めた。

 足を進める最中、辺りでは挨拶などが飛び交っている。

 以前だったら、兄妹全員……いや、僕以外はその他大勢から黄色い声が飛んできていた。が、今の環境にそういったことはあまりないようだ。

 初日に熱烈なファンみたいな人たちもいたようだけど、話してみたら案外普通だった、といった感じになったのだろうか。

 そこら辺の話は聞かないし、待ち伏せからの挨拶みたいなこともないようだから、特に問題はないのだろうと察せる。


「あれ、守結。どうかした?」

「ん? どうして?」

「いやだって、ほら」

「……、え、それってどういうこと? 今、私は物凄く失礼なことを心配されてる?」

「あ、いや。何もないならいいんだ」


 眉をひそめ、目を細めて凝視されている。これは、完全に疑われている。

 でも、口が裂けても、「いつもの止まることを知らない高速会話はどうしたの?」なんて言えない。

 そんなことを口にした日には、どうなってしまうのか予想できない。


 こんなやりとりを続けると、あっという間に下駄箱へ辿り着いた。

 そして、いつものように靴を履き替えていると、


「おはおはー」

「今日も元気そうで何よりだ」

幸恵さちえ康太こうたおっはよーっ」


 声の主は、康太こうた幸恵さちえだった。

 幸恵は、朝が苦手なのか少しだけ気怠そうにしている。

 隣にいる康太に限っては、それが朝の挨拶なのか? というツッコミを誰しも入れたくなるだろう。

 そんな考察を重ねていると、僕に視線が集まっていた。


「志信、どうした? 腹でも下してるのか? あ、あれか。朝ごはん食べてなくて腹減ってるのか!」

「いやいや、あんたじゃないんだからそれはないでしょ」

「……あ、ああ。いや、なんでもないよ。康太、幸恵――おは、よう」

「なんだ、大丈夫そうだな。よーし、いこうぜー」


 靴を履き替えた僕たちは、康太と幸恵が前、僕と守結が後ろに並んで廊下を歩きだす。


「それでな、昨晩食べたご飯が上手すぎて三杯は食べちまったんだよ」

「うーっわ、それ本当なの? 百歩譲って育ち盛りの男子ならそういう感じなの? ねえねえ、志信もそれくらい食べたりするの?」

「……」

「志信?」

「……あー、僕はそんなに食べたりはしない……かな? でも、ご飯が美味しくってつい食べすぎるのはわかるかも」

「そっか、なるほどねー。そういえば、守結も一緒に食べてたりするの?」


 幸恵の問いに応えることなく、守結は無言だった。

 その守結の方を見てみると、髪で顔が見えないぐらい俯いていた。


「おーい、まーゆー」

「え、は、はい!」

「どーしたの守結」

「ななななな、なーんにもないよ!」


 顔を上げてそう答える守結の顔は、ほんのり頬を赤く染めているようにみえた。

 その状況を幸恵は存分にいじり始めるなか、僕は思う。

 こんな状況で、何を話せばいいのかわからない……。

 話をどうやって切り出せばいいのかわからない……。


 ……それが、どこかもどかしくも、でもなぜか少しだけ安心できた。


「じゃあ、まったねー」

「んじゃ」

「また、ね」


 その声に足を止めると、いつのまにか自教室前まで来ていたようだ。

 軽く手を振られ、集まる視線に返事をする。


「うん、じゃあ」


 別れの挨拶を済ませ、3人の背を見てから教室に入った。

 足を進めて自席に到着すると、


「志信、おはよ」

「おはよう志信くん」

「おー、きたきた。おはよー」


 桐吾とうご美咲みさき彩夏さやかは自席に着いた状態で、そう挨拶をくれた。

 全員が一塊となっている席だから、当たり前と言えば当たり前だけど。

 でも、こんな誰もが当たり前な日常は僕にとっては、未だに慣れない。


「おは、よう」


 こんな些細な、誰もが当たり前にやっているような挨拶でさえ言葉が詰まる。

 でも、そんなことに対して茶々を入れられることはない。


「それでねー、お母さんがさー」

「え、その話またするの?」


 何気ない雑談が始まる。

 やはり、僕には他愛のない会話に入ることは、未だにできない。

 ましてや、美咲みさきのように相槌を打ったり、ツッコミを入れることなんてできもしない。

 不思議なことに、戦術のことや戦いに関することは普通に話せていたことが、今でも信じられない。

 今、こうして輪のなかには入れていること自体、実感をもてずにいる。


「おっはよーっ」


 そう、元気よく駆け寄って来ては隣席に座る結月ゆづき

 みんなからも挨拶を返され、再び雑談が始まる。

 授業開始まで続く雑談。今までなかった日常。


 ――そんな中、僕は思う。

 こんな、他の誰かにとってなんてない時間全てが新鮮に感じる。

 いつしか忘れてしまっていた、この暖かい感覚。

 未だに自然に笑うことはできないけど、僕の目線は以前より少しだけ上がったのかな、と――。

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