貴族たちの目から逃れるように、俺とレイア姫は大ホールのバルコニーへと出る。少しひんやりとした夜風が吹いて、レイア姫の髪をフワリと浮かせた。
「……気持ちのいい夜ですね、グスタフ様」
「ホントですね、姫。あとこれ、どうぞ」
俺は道中で給仕にもらっていたシャンパンの入ったグラスをレイア姫に手渡した。
「ありがとうございます」
レイア姫はコクコクと美味しそうにそのシャンパンを飲む。よっぽど喉が渇いていたんだろう、姫はひと息でグラスを空にした。
「ふぅ、なんだか少し落ち着きましたわ」
「あいさつの列がぜんぜん途切れませんでしたもんね」
「ええ、本当に……」
それから姫はハッとしたようにして、俺から顔を背ける。
「グ、グスタフ様と、普通に話してしまいました……」
「俺はその方が嬉しいですけど」
「わ、私はまだ、その……申し訳なくて……」
「……申し訳ない?」
「だ、だって私……あの時、あんなにもはしたないことを……」
「はしたない?」
俺が訊くと、レイア姫は再び顔を赤くしてうつむいた。
……あ、なるほど。姫があまりにも俺を避けまくる理由に合点がいった。レイア姫は俺と恥ずかしい告白合戦をしてしまったとか、キスしてしまったことに照れを感じているとか、そういうこと以上に……俺に無理やりキスしてしまったのだと、そう考えて申し訳なく思っているのか……なるほどな。
「……」
「……」
2人、しばらく無言で夜風に吹かれていた。大ホールから漏れ聞こえる楽器の演奏に耳を傾けながら、俺は曲が移り変わる頃合いに覚悟を決めて口を開く。
「姫、疲れてはいらっしゃいませんか?」
「いえ、おかげさまでもうだいぶ休めましたので」
「そうですか……。では姫、次の曲で俺と踊りませんか」
「え……」
驚く姫だったが、しかし俺は返事の前にその手を取った。
「踊りましょう、姫」
「で、でも……私、ダンスなんて習ったことはなくて。この目ですから、きっとグスタフ様の足を踏んでしまうと思いますし……」
「安心してください。俺は魔王を倒した男ですよ? その程度、軽やかに避けてみせますよ」
「グスタフ様、でも……」
「俺を信じてください、姫」
姫は頬を染めたまま、困ったように笑った。
「……はい。それではよろしくお願いします、グスタフ様。でも、今日は少し強引ですね?」
「そうかもです。嫌でしたか?」
「い、いえ! そんなことは決してっ!」
俺と姫は新しい演奏が始まるとともに大ホールへと戻る。
ざわっ! という驚きの声が会場を占める。それと共に人々の視線が俺たちへと一気に集中するのが分かった。なんだアイツ、姫の手を取って、いったい何様だ? それよりも姫はダンスができるのか? なんて疑問が貴族たちの顔に書いてあるようだった。
俺は姫の手を自分の手に乗せてエスコートをしながら部屋の中央まで行く。そして2人、向かい合った。
「グスタフ様、それで、私はこれからどう動けばいいのでしょう?」
「……いや、ぶっちゃけ俺にも分かりません」
「えっ? グスタフ様っ?」
「俺もダンスなんて習ったことないですし、誰かと踊ったことだってありません。これからやるのも全部、見よう見まねってやつです。でも俺はそれでもいいと思うんですよ。その場の演奏に合わせて自分たちが楽しいように踊れれば、それで」
俺は姫の腰に手を回すと、その体をグッと引き寄せた。
「俺の動きに合わせて、足を動かしてください」
「はっ、はいっ」
曲に合わせて、俺は小さな歩幅で足を踏み出した。1つ遅れたテンポで姫がそれに続く。
「最初はゆっくりでいいですよ、姫」
「はいっ……」
ゆっくりユラユラと、右に左に、前へと後ろへと、俺たちは波に揺られる海草のように、あるいはつがいで飛ぶ蝶々のように、同じテンポのステップを緩やかに繰り返す。演奏はそんな俺たちに合わせるように穏やかなリズムを会場に
「姫、俺に体を任せて」
「はいっ」
「俺が最後まで、いつまでもエスコートしますから」
「……はいっ!」
俺たちはふたり、顔を合わせて踊り続ける。最初は演奏についていくのがやっとだったが、しかし、次第に音の波に乗るかのように自然に足を踏み出すようになっていった。繋ぐ手を通じてお互いがどちらに進もうとしているのかが分かる。まるで心が繋がっているようで……その頃には、俺たちはふたりでひとつの存在だった。
必死に足を運んでいた姫の表情も、いつの間にか晴れ晴れとした満面の笑みになっている。
「グスタフ様っ」
「はい」
「私いま、とっても楽しいです……!」
「はい。俺もです、姫。俺もめっちゃ楽しいです!」
周りでそんな俺たちを見ていた貴族たちも次第に再びそれぞれで踊り始めた。ホールが穏やかな活気に満ちる。演奏のテンポは少しずつ速くなり、みんな自在にステップを踏み、グルグルと回りに回って、周りの景色は渦を巻くようだった。俺とレイア姫はその中心で自由に踊り続けた。
「ダンスってこんなにも楽しいことだったのですねっ!」
「そうですね!」
レイア姫が頬を
「グスタフ様といると、初めてのことばかり」
「俺もですよ。姫といると毎日が新鮮です」
「そうでしょうか、私もまた、グスタフ様を楽しませてあげられているのでしょうか?」
「もちろんですよ、姫」
気付けば俺たちは部屋の中央、周りはパートナーと気ままに踊る貴族でいっぱいだった。彼らの体が壁となり、俺たちがいるそこは仕切りで辺りと隔絶されたひとつの小部屋のようだった。
……さて、俺のレベルは魔王を討伐したことによって56にまで上がった。そんなステータスが抜きん出た今の俺にとって、周囲の人間の動きをくまなくチェックすることなんて造作も無い。
俺は、周りで踊る貴族たちの注意が俺たちから完全に外れ、そして彼らが完全な壁となって俺たちの姿を観衆たちの目から隠す、その一瞬を見逃さない。俺はグッといっそう強く、姫の体を自身へと引き寄せて──。
その唇を奪った。
「っ⁉」
姫は最初、驚いたように身を固まらせて……でも、次第にその体は
……時間にしたらほんの数秒のことだった。それでも、俺たちにとっては素晴らしくかけがえのない、そんな時間だった。
俺たちは再びゆっくりとステップを刻みながら、名残を惜しむようにそっと身を離す。
「姫、これでおあいこですね」
「……はい」
「姫、好きです。俺はあなたのことを愛してます」
「私も。グスタフ様、あなたのことを誰よりも愛しています……!」
レイア姫はようやく、俺の顔をいつもの微笑みで──いや、いつも以上に穏やかで、
……よし、このまま言うぞ、言ってしまうぞ……! 前世ではとうとう使うことのなかったあの言葉。俺の人生には縁遠いと思っていたあの言葉を。
「姫」
「はい」
「俺は……誰よりもあなたを愛してる自信があります。恐れ多いとは思っていますが、きっと陛下よりも」
俺はスゥっとひとつ息を吸い込む。
「レイア姫、俺はあなたを幸せにしたい。だから……」
「……!」
「だから、俺と……俺とけっ──」
「──おっとぉぉぉおおおっ!」
「げふっ⁉」
いきなりドスンっ! と、俺を弾き飛ばすように何かが衝突して、俺はレイア姫の正面からゴロンゴロンと横に転がった。
「なっ⁉ なんだっ⁉」
「あら、誰かにぶつかったと思ったら、グスタフだったかぁ、いやーごめんねー?」
わざとらしい棒読みでそう言って舌を出したのはニーニャ。
「何やら中央でコソコソと怪しかったものですから、私ったらついうっかり」
テヘッ、と無表情で首を傾げるのはスペラ。
どうやらふたりで手を繋いでダンスをしながら、抜群のコンビネーションで俺に体当たりをかましてくれたらしい。
「お、お前らなぁ、俺はいまものすごく大事なことを……!」
「そうね、大事なことなのよね? 私も大事なことだと思うわ! じゃあもうちょっとよく考えた方がいいわよ!」
「そうですね、私もそう思います。何事も経験が大事ですから、まずは私に夜這いのひとつでもかけてみてから考えるのがよろしいかと」
そう言いながらグイグイとふたりが俺に迫りくる。
「とりあえず今は踊りましょ、グスタフ? レイアとはもう十分に踊ったわよね? 次はアタシとよ!」
「いえいえ、ニーニャ。次は私ですよ。これでも私は数百年生きていますから、ダンスの経験も充分です。まずは私がグスタフさんに手ずからダンスを教えて差し上げるのが先です」
「……乳オバケはあっちでオッサンどもにチヤホヤされてればいいのよ」
「……なんですって?」
「お前ら……ケンカするならあっちでやれよ……」
呆れて出した俺の声は、しかし張り合う2人には届かないらしい。
「……みなさん?」
レイア姫がそんなふたりの後ろに立つ。
「何よレイア、まだ踊りたいの? それならスペラと踊ってなさい」
「いいえ、姫。姫はニーニャと仲良しですから、きっとニーニャと踊った方が楽しいかと」
ニーニャとスペラは
……おいおい、やめろやめろ。姫の雷が落ちるぞっ……?
なんて俺はひとりでビクビクしていたのだが、姫は魔王顔負けの迫力をしゅんっと引っ込めると、ニコリ。
「──みんなで踊りましょう?」
「「「へっ?」」」
俺と、ニーニャとスペラの声がきれいに重なった。姫は俺たちの返事などまるで待たずにニーニャとスペラの手を取った。自然と、俺もまたニーニャとスペラの空いている手を取って、俺たちは輪っかになる。
「これならみんなで踊れるでしょう?」
「はぁっ⁉」
レイア姫の言葉にニーニャが思いっきり疑問の声を上げるが、しかし再び新しい演奏が始まった。姫が自由に動き出す。
「こういうのも楽しいですわね!」
「ちょっとレイア……ったく、もう!」
「ふむ、確かにこれはこれで楽しいかもしれません」
俺たちは輪になってグルグルと回り、踊った。姫も、それになんだかんだ言ってたニーニャもスペラも、結局はみんな楽しそうに笑っていた。なんて変な踊りなんだって、型破り過ぎるって、こういったパーティーにはあるまじき大口を開けて笑っていた。でも周りの貴族たちも面白そうにヤイヤイとはやし立てていたし、きっとみんな許してくれるだろう。
そんな最中、姫は一瞬だけ俺に顔を向けると、
──また、あとで。
と口パクをする。
……あとで、かぁ。ちょっと残念だけど……。
でも、俺と姫の時間はこれで終わりなわけじゃないのだ。きっとこれから先も続いていくに違いない。いや、そうなるように俺がずっと努力していくのだ。
……だから、今日のこの日くらいはいつものこの4人で面白おかしく過ごして最高に楽しい夜にするのも悪くはないよな。
俺たちは存分に、平和で素晴らしく幸せなこの夜を踊り明かすのだった。