サンドイッチを食べ終えて、そして俺たちはゆっくりと紅茶を楽しんだ。そしてその後、再び城下町へと繰り出した。
姫は路上で楽器を弾く人たちや、香り物の雑貨があるお店、屋台販売をしているデザートや飲み物のお店の前で立ち止まっては何があるのかと俺に解説を求めてきて、俺もそれに応える。お喋りに花が咲いて、とても幸せな時間だった。
──しかし、そうこうしているうちにまたたく間に時は流れて、もう陽も傾いてきた。
「いやぁ、今日はずいぶんと歩きましたね。疲れてないですか、姫」
「そうですね、ちょっとはしゃぎ過ぎたようで足が棒のようです」
クスリと笑って、姫が俺の腕を少し強めに抱き直した。
……そんなことにもいちいち動じなくなってきたあたり、慣れって怖いな。たった1日でむしろこれが自然なようにも思えてきている。レイア姫が隣にいて、こうして俺を見上げて笑ってくれるこの光景が。ずっと昔から続いてこれから先も当然のように続いていくものだと……そんな風に思ってしまう。
「それじゃあ……」
そろそろ城に戻りましょうか、と言いかけたその言葉を……俺は飲み込んだ。
……あれ、なんでだ? 胸が、すごく痛い。
俺が言葉を続けられないでいると、レイア姫が俺を見上げるようにこちらを向いて優しく微笑んだ。
「グスタフ様、近くに広場などはありませんか?」
「広場、ですか?」
「少し腰を下ろしたくて」
「ああ、なるほど。公用のイスなどがありますもんね」
確か、いま俺たちのいるこの近くには公園があったはず。案の定少し歩くと子供がちょっとした遊びができるような小さな公園があって、俺たちはそこに入ってベンチに腰かけた。
「……」
「……」
小さなその公園には子供の姿はなく、他に人の姿も無い。俺と姫の間になぜか静かな時間が流れた。
……なんだろう、この間は。なにか、なにか喋らないと……!
そうは思うのだけど、何も話題が出てこない。さっきまではいくら話しても話し足りないほど、何かにつけては話していたというのに。
「──グスタフ様」
その静寂を最初に破ったのはレイア姫だった。
「今日は本当にありがとうございました。私、ここまで自由に城下町を歩けたのは生まれて初めて。まるで自分が1人の町娘になったようで……本当に、とても楽しい1日でした」
「姫……」
『楽しい1日でした』、って……これでもう終わりなのか。でも、当然だ。だって王に許可をもらったのは今日1日なわけだし、そもそも俺が親衛隊だからとはいえ、王城のいち衛兵と王国の姫がふたりで出かけるなんていうのが異例中の異例なのだから。仕方ない。
……異例、なんだよな。今こうしてふたりで居られるのは。
……知ってる。俺はいま、魔王軍が侵略してきているこの
元々の身分差なんてとっくのとうに分かり切っていたハズのことなのに……ダメだな、俺。強烈なボディーブローをノーガードで受けたような鋭いショックに、大きく心を揺さぶられている。
「グスタフ様は今日はどうでしたでしょうか、楽しめましたか?」
「あ、はい……。もちろん俺も楽しかったですよ」
「その、私が隣にいて不自由ではありませんでしたか?」
「えっ?」
思わず姫の方を見れば、なんとも哀しそうな、あるいは寂しそうなそんな表情をしている。
「そんなっ、不自由なんてとんでもないです!」
「それなら良かったです。……でも、今日もいっぱい頼ってしまいましたわ。せっかくグスタフ様がご自身の褒美を失くしてまで作ってくれたこの機会だったのに、負担ばかりを増やしてしまわなかったか心配です」
「何を言ってるんですか、姫。俺が自分でそうしたいと思って作った機会なんですよ? それに俺はレイア姫親衛隊隊長です。頼ってもらえてこその仕事じゃないですか」
「……そうかもしれませんね」
レイア姫は寂しそうに笑った。
「グスタフ様、ひとつイジワルな質問をしてもいいですか?」
「はい?」
「グスタフ様はご自身が親衛隊隊長でなくても……いえ、私が王国の姫という立場でなくても、今日のように私とお出かけしてくれましたか?」
「えっ?」
「今日のように私に付き合って、人々にもみくちゃにされたり、サンドイッチを食べさせ合ったり、陽が暮れるまでお散歩を楽しんでくれましたか? 目の不自由な、私と共に」
「……姫」
はたと、レイア姫のその不安げな声音を聞いて、俺はようやく気が付いた。
……姫だって、俺と同じじゃないのか?
俺はこれまで身分差という絶対に乗り越えることのできない壁を無意識に……イヤ、嘘だ。意識的に姫と自分の間に立てていた。
『いつか姫は俺の手の届かない存在になる。身分差があるんだから、しょうがない』
そう自分に言い聞かせ、自分が姫の側に居られるのは親衛隊隊長という立場のおかげなだけで、姫にとってそれ以上の価値なんて俺には無い……無いハズだと自分を騙すようにして思い込んできた。
でも、考えてみれば姫だって身分差を感じているという点では俺と同じ立場。いや、むしろ生まれてからこれまで姫として生きてきたのだ。その壁を俺よりもはるかに大きなものに感じてしまっているはず。どれだけ身近な人々から友愛や忠節を語られようとも、それが【王国の姫だから】という立場の上に築かれたものだったことも……きっと数多くあっただろう。
……初めて。初めてって、そう言ってたよな、姫。こうやって気心の知れた相手と、ふたりで、城下町を自由に歩くのは。だから、今日はすごくすごく喜んで、普段は見せないようなはしゃいだ笑顔も見せていた。
それじゃ不安にもなるはずだ。そんな相手──つまり俺が、もしも【自分が姫だからって理由だけで付き合ってくれているだけの存在】だったとしたら? 今日も口では楽しいと言いつつも、姫の目が見えないことを良いことにウンザリした顔をしていたら? そんな想像をしてしまったら悲しくなるし……怖いよな。
「グスタフ様……?」
「……」
──俺は、不安げなその横顔に、なんと答えたらいい……?
『もちろんですよ』
『当たり前じゃないですか』
『またいっしょに出かけましょうね』
そんな当たり障りのない言葉で、姫を安心させることはできるだろうか。
……いや、違うよな。姫はそんな言葉が欲しいんじゃない。とってつけたような安心を求めているわけじゃないんだ。なら……。
俺は覚悟を決めて深く息を吸うと、口を開いた。
「……姫、俺がバーゼフを倒した後のこと、覚えていますか?」
「……え?」
「そもそも、俺が姫様付きの護衛をやりたいなんて言い出したのは……完全に私欲なんです。俺が姫の──いや、やめよう。姫じゃない。俺は、あなたという1人の【女の子】の側に居たいから、だから提案したんだ」
「えっ……」
「俺は別に聖人なんかじゃない。国を想う忠義の英雄ってわけでもない。普通に、可愛いくて、健気で、優しい女の子を好きになってしまう……ただの男です。俺がガーゴイルたちやバーゼフと戦ったのは仕事だからじゃない。心の底からあなたを連れ去られたくはないって思ってたからだ。俺が、俺自身があなたの近くに居られるのが幸せだから、だからなんです」
──俺は、俺の心の内側にある【本音】を話す。レイア姫が好きで、だからこそいっしょに居たくて、彼女の笑顔が見たい。普段から思っていることをそのまま話す。
……だって、好きな気持ちに打算も何もないだろ? 俺は姫が好きだから命をかけて戦った。護衛に名乗り出た。れっきとした事実に裏付けられたこの偽りのない気持ちは、どんな上辺を撫でるだけの言葉よりも深く正しく、レイア姫へと伝わってくれると思うから。
俺はもう一度、レイア姫の正面でしっかりと力を込めて言う。
「今日1日、俺は本当に楽しかったです。だから、俺はたとえあなたが姫という立場じゃなかったとしても、今日のような日々を何度も何度も送りたいって思いますよ。だって俺はレイア姫のことが……好きだから」
俺がそこまで言い切ると、バッ、と。レイア姫がなんだか苦しそうに胸を押さえて前屈みになった。そして、その目の端には……涙。
「えっ⁉」
俺は大慌てで腰を浮かせた。
「姫っ⁉ どうしましたか、大丈夫ですかっ? どこか体調がっ?」
「いいえ、違います。違うのです」
姫は頬を真っ赤にして、しかし同時に悲しそうに、何度も首を横に振った。
「……嬉しい。嬉しいです、グスタフ様……でも、私、いま自分がとても嫌になって。本当にイジワルな、性根の悪い質問をしてしまったことが自分で許せなくって」
「……えっと」
「何も言わないでください。グスタフ様」
姫はまたゆるゆると首を横にした。
「『それでもいっしょに居たい』とただそう答えてほしいがための質問を、それ以外選べない形で出すなんて馬鹿みたいです。……それでもグスタフ様はちゃんと応えてくださいました。それも、これ以上ないくらいまっすぐに。私みたいに本心を隠すようなマネをせずに、すべてを打ち明けて、真摯に」
「姫……」
「私、嬉しいです。そして同時にとても……悲しくて、辛いです」
俺は何も言えなかった。口を開けたまま何を言うべきかも分からなかった。そうこうしている内にレイア姫は鼻をすすると、無理をしているのが明らかな、そんな笑顔を俺に向けてくる。
「たまに、自分がなんのしがらみも無い1人の町娘だったらと思う時があります。目は見えずとも、優しい家族に囲まれて、友人に恵まれることができて、そしてそこにグスタフ様も居てくれたなら、どんなに楽しい生活だろうかって」
「……それはきっと、楽しいでしょうね」
「ええ、きっと。そしてそうであったなら……自由に恋することもできたのに」
姫はささやくような小さな声で呟くと、その頬を赤く染めた。それはおそらく、夕焼けのせいなんかではなく。
……姫、もしかして本当に、俺のことを?
これまで向けられてきた俺に対する姫の意味深な言動。それらは俺の妄想や都合のいい解釈などではなくて、本当に、俺に対する【異性への好意】に他ならないと、そういう……。
「──オイオイ、王国の姫様と衛兵ふぜいが城下町で密会か? 世も末だなぁ」
そのとき、どこかで聞いた男の声が横から聞こえて俺とレイア姫は振り向いた。
──勇者アークとその一行が、ベンチに腰掛ける俺たちを見下ろしていた。