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第125話

 オディロンが姉貴に惚れちまった。しかも、かなりマジっぽい。

 たしかに、姉貴はいい女だと思う。身内の贔屓目を無しにしても、かなりの上玉だ。オレよりも年上だというのに、その見た目は二十代半ばくらいだし、性格もいい。

 男ならば、誰もが恋焦がれる存在だとは思うが……。まさか、オディロンが姉貴に惚れるとはな。

「目が合うだけで胸がキュッと絞られているようなんじゃ。こんな心地は初めてじゃ。どうすればいい? 儂はどうすればいい?!」

 オディロンがオレの両肩を掴んで、激しく前後に揺する。ガクガクと頭が前後に揺れ、視界がぐるぐると回る。気持ちが悪い。

「ま、待て待て待て! 離してくれ! 目が回りそうだ!」

「おぅ……すまん……」

「ふぅ……」

 激しい揺さぶりから解放され、オディロンを見れば、まるで一回り小さくなったかのようにしょぼくれてるオディロンの姿があった。

「儂は……儂は、どうしたらいいんじゃ……」

「オディロン……」

 本人も言っていたように、初めての感覚に戸惑っているのだろう。そして、オレという親友の姉に惚れてしまって、どうすればいいのか分からなくなっている。

 オレとしても、オディロンの気持ちを知ってしまって、だいぶ混乱している。これで相手が姉貴じゃなければ、オディロンの応援をするのだが、相手が姉貴ではオレも慎重になる。

 オディロンは悪い奴じゃねぇ。その点は信頼しているが、果たして姉貴の恋人に相応しいのだろうか?

 オディロンのことは信頼している。オレがもし、なんらかの事故で死ぬようなことがあり、姉貴やクロエを誰に託すのかと問われれば、オディロンと即答するだろう。それだけオディロンのことを信頼しているのだ。

 しかし、オディロンが姉貴と付き合うことに対して、オレは少し心にモヤッとしたものを感じた。この感情がなんなのかは分からない。しかし、姉貴とオディロンが一緒になることに対して、オレの心は寛容になれなかった。

 まさか、オレは……。オレこそがオディロンに惚れているとでもいうのか?

 そんなまさか。

 そんなものは心にも無い思考だと切り捨てるが、切り捨てても切り捨ててもオレにへばり付いているかのように頭の片隅に現れる。

 マジかよ。オレは女が好きだと思ったんだが……。男色の気があるのか?

 オレはじっくりとオディロンの大きな体を上から下まで舐めるように見渡す。

 まるで針金のような硬そうな短く赤い髪の毛。眉毛も濃く、刺々しい。その下にあるのは、今は情けなく細められた赤の瞳だ。オディロンのトレードマークである豊かな赤ヒゲは、今日は三つ編みに編まれてた。見上げるほどに大きく逞しい体は、男ならば誰もが憧れるところだろう。

 うん。オディロンを見てもまったく性欲が湧かないな。

 やはり、オレは女が好きなのだろう。

 待てよ……?

 もしかしたら、オレは姉貴のことを……。たしかに姉貴はオレにとっての女神ではあるが、いや、だが、まさか……。

『アー君のことは、ぜったいにあたしが守るから……!』

 不意に脳裏にフラッシュバックしたのは、雨の中、姉貴に後ろから抱きしめられた記憶だ。たしか、行商人をしていた両親が死んだ直後のことだ。雷を伴う嵐の中、ただただ無力に泣きじゃくるオレを、姉貴は優しく包んでくれた。

 その後だったか、姉貴が夜の仕事を始めたのは……。

 幼いオレには理解が及ばなかったが、姉貴はその身をひさいでオレを食わしてくれていたのだろう。だからオレは、姉貴がもう辛い思いしなくてもいいように、ひたすら金を求めた。臆病なオレが、危険な職業だと言われる冒険者になったのもそのためだ。

 オレには、姉貴に返せないほどの恩がある。オレが必ず姉貴を幸せにしてみせるという強固な誓いがある。クロエが生まれてからは、クロエもその対象だ。

 オレの願いは、ただ一つである。オレが姉貴とクロエを幸せにするんだ。

 そのためなら、オレは灰になっても構わない。

 このオレの誓いは、愛情と呼んでもいいのかもしれない。そういう意味では、オレは姉貴を、クロエを愛している。

 だが、それが一般的な恋人たちにおける愛かと問われれば、オレは違うと答えざるをえない。オレと姉貴は、血のつながった姉弟だ。姉貴に向ける愛は、家族愛のようなものなのだろう。

 オレの愛は見返りを求めない。不遜な物言いかもしれないが、神の人類に対する無償の愛、アガペーに近いものだと思っている。

 だが、もし本当にそうならば、オレはオディロンを心から応援することができるはずだ。しかし、それとは逆に、オレの心はジクジクと曇っている。おそらく、オレの姉貴に対する矮小な独占欲が原因だ。

 オレは、オレの力だけで姉貴を幸せにしたかったのだろう。

 姉貴とクロエを幸せにすると誓いながら、これは無償の愛だと謳いながら、オレは二人に独占欲を持っていたのだ。我ながら自分勝手過ぎて泣けてくる。

 オレは、自分の独占欲を消滅させるためにも、オディロンの恋を応援しようと決めた。

「分かったぜ、兄弟。オレが手助けしよう」

「よいのか……? 相手はお前さんの姉君じゃぞ……?」

「いいってことよ。オレは前々からオレの亡き後、姉貴やクロエを託すならオディロンだと考えていたんだ。オディロンになら、姉貴を託すことができる」

 オレは胸が引き裂かれそうな激痛の中、笑顔を浮かべてオディロンの肩を叩いた。まったく、独占欲はこんなにも強固にオレの心に巣くっていたらしい。おかげで涙が出そうだ。

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