テーブルを挟んで座るのは、予想外にくたびれた老人だった。背は折れ曲がり、頬はこけ、目は落ち窪み、ぎょろりとした目が印象的だ。事前の調査では、五十代の半ばだったはずだが……。
目の前に座る男、ブルギニョン子爵は、それ以上に老けて見える。まるで動く骸骨を想起させる見た目だ。
しかし、その纏っている衣服は豪華の一言である。栄えある王国貴族、子爵の位を預かる者として相応しいとも言える。
だが、衣服などいくらでも交換できる物だ。オレという敵対者と会う以上、影武者を立てたとしても不思議はないか……。
ブルギニョン子爵の後ろには、三人の男女が見える。年老いた品のいい執事に、中年のメイドが二人。どちらも戦闘を生業とする者特有の暗い影は感じない気がする。なにかあったとしても、制圧は容易だろう。
まぁ、この料亭はブルギニョン子爵が指定した場所だ。料亭の者全員が刺客の可能性すらある。無事に生きて帰れるか、不安になる事実だな。チクショウめ。オレの後ろで護衛している『蒼天』のメンバーも顔が固い。
「初めてお目にかかります、ブルギニョン卿。私がアベルです」
握手のために手は伸ばさない。毒針が仕掛けられていたら最悪だからな。一応、収納空間の中に様々な解毒剤は用意したが、ここで手札を切る必要もない。
ブルギニョン子爵は、ぎょろりとした目でオレの顔をジロジロ見ながら、口を開いた。
「そうは見えぬが、お前は、エルフの遠縁だったりするのか? 『連枝の縁』の庇護を受けているらしいな。お前との会談が決まってから、エルフたちからの書簡が山のように届いている。私がお前を害することを断じて認めないそうだ……」
「…………」
シヤ……。
あんなにひどい言葉を投げつけたというのに、シヤはまだオレとの約束を守ってくれているらしい。シヤと俺との絆は、まだ切れていない。そのこと自体はとても嬉しい。今すぐにでも転げ回りたいくらいだ。だが、素直に喜ぶことはできない理由もまたあった。
シヤの願いは歪なものだ。本人に自覚は無いかもしれないが、相当な無理をしている。そんな願いを叶えるわけにはいかない。絶対に後々大きな禍根になることは目に見えている。
シヤのバックに誰かの思惑があるのか否かは分からない。だが、どちらにしても、オレは断じてシヤの願いを叶えるわけにはいかなかったのは確かだ。
黒幕が居るのなら、オレはシヤを受け入れるわけにはいかない。オレにはシヤが無理をしているように見えた。黒幕にどんな利益があるのか知らないが、シヤが黒幕に操られてオレへの愛を囁いているとすれば、シヤの心を無視したそんな話を受けるわけにはいかない。
そしてもし仮に、そんなことは絶対にありえない確率ではあるが、シヤが本気でオレに惚れているとしよう。
オレがシヤの歪な願いを叶えてしまえば、絶対にシヤは後悔する。
オレは、シヤには幸せになってもらいたい。その心に偽りはない。オレの妾のような立場が、それがシヤの幸せにつながるとは、オレにはどうしても思えなかったのだ。
だから、『連枝の縁』の庇護を受けられなくなることを許容してでも、オレはシヤの願いを蹴った。
だというのに、シヤはオレを庇護するという約束を守っている。律儀と言うべきか、なんというか……。シヤが目を覚ましてくれたのならいいのだが……。
ともあれ、今は目の前のことに集中するべきだろう。オレは頭からシヤを追い出し、ブルギニョン子爵を見つめる。一挙手一投足を見逃すことがないように。最早、睨み付けると言ってもいいかもしれない。
オレの視線を受けて、ブルギニョン子爵は、しかし、苦笑を浮かべてみせた。
「そう警戒せずとも、私が君を害するなど、ありえない話なのだがな……。私は、君には感謝しているというのに」
「感謝……?」
ありえない言葉が飛び出て、オレは一瞬思考が止まる。ブルギニョン子爵がオレに感謝している? そんなバカな。彼は、マクシミリアンの武力を背景にブルギニョン子爵家の影響力を高めたやり手の貴族だ。マクシミリアンという武力の頂点を失い、貴族の誇りを傷つけられ、それでも尚、オレに感謝する理由なんてないはず……。
訝しく思っていると、ブルギニョン子爵は苦笑を浮かべたまま口を開く。
「私はね、つくづく凡人なのだよ。家の影響力が増すことなど、敵を作ることなど望んでいなかった。ただ家を守り、次代につなげればそれでよしと思っていたのだ。それをあ奴は……!」
ブルギニョン子爵の顔が歪む。そこには、これ以上顔面に怒りという感情を表現するのは不可能とまで言える深い憎しみがあった。
あ奴。ブルギニョン子爵が名前も呼ばなかった存在。きっと名前を呼ぶことさえ子爵の中では忌避すべきことなのだろう。これだけでマクシミリアンのことを子爵がどう思っていたのか察することができた。
まぁ、貴族は腹芸が得意だと聞く。本当のことを言っているのか、それとも嘘なのか。オレには判断することができない。しかし、オレにはブルギニョン子爵の言葉は真実だと、そう思えた。