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第119話

「それでな、話というのは……」

 オレの自室にシヤが居た。リビングでの現状確認が終わった後、シヤに話があると言われたのだ。もしかしたら、皆には話せないような悪い情報があるのかもしれない。オレは固唾を呑んでシヤを見つめる。

 シヤは、イスではなくベッドに腰かけて、しげしげと部屋の中を見ながら口を開く。

 どうでもいいが、ベッドとシヤの組み合わせは、嫌でもあの一夜のことを思い起こさせる。オレはシヤの白い柔肌の幻影を振り払って、真面目な話に備えた。

「お主、娼館に行ったじゃろ?」

「ん?」

 半分閉じたようなジトッとした目でオレを見るシヤ。なんというか、心底呆れられているようだ。

 なんか、オレの思ったような話とは違うな。ブルギニョン子爵がなにか企んでいるという話じゃないのか? 娼館? たしかに打ち上げの〆に行ったが……。なんでシヤが知ってるんだ? めちゃくちゃ気まずいんだが?

「その……? え? なんで知って……?」

「エルフの情報網をナメるでないわ。そのくらい調べるのなぞ朝飯前じゃ」

「えー……」

 こえー。エルフの情報網こえー。

「まったく、ワシというものがありながら娼館に行くとは……。少しはワシの気持ちも考えよ」

「え?」

 シヤが、ジト目のままオレを上目遣いで見るという器用なマネをやってのける。というか、なんだその言いようは? まるで恋人のような言いようじゃないか。たしかに、オレはシヤと関係を持ったことはあるが、あくまであれは一夜限りの関係ではなかったのか?

 いろいろと疑問が頭を過るが、この場合、男が取れる手段というのは一つしかない。

「その、すまなかった」

「怒っておらぬ。冗談じゃ」

 オレが潔く頭を下げたら、クスクスという笑いが降ってきた。顔を上げれば、シヤがオレを見て笑っている。しかし、その笑みには喜びの感情は見えない。オレには、シヤが無理して笑っているように見えた。

「ワシはの、アベル。お主を束縛する気は無いのじゃ。お主は自由に生きると良い。そして、思い出した時にでもワシを抱いてくれれば十分じゃ」

「そいつぁ……」

 どういうことだ?

 オレの知る限り、エルフというのは貞淑な種族だったはずだが……。シヤがこんなことを言うなんて信じられない。シヤの普段の言動から考えても、シヤらしくないと感じた。現に、シヤの笑みには力が無い。まるで、全てを諦めてしまったような諦観があった。

「強要はせぬが、お主には他の女と番となって、子どもを残してほしいがの。さすれば、ワシの長すぎる生の慰みになろう」

 オレにはシヤの意図が分からなかった。オレが娼館に行ったことを怒ったかと思えば、冗談だと笑い。今度は他の女と結婚しろと言い出す。それでいて、自分のことは思い出した時にでも抱いてくれたらいい……。なぜ、シヤは自ら妾のような立場になりたがる? そんな立場、普通は嫌なんじゃないか?

「何を企んでいるんだ?」

「なにも裏などありゃせんよ。ワシはお主の都合の好い女になりたいのじゃ。お主の愛を一欠けらでも貰えればそれでよい」

 コロコロと笑うシヤ。しかし、その笑みは見ているだけで痛ましい。

 オレにはシヤの考えは読めなかった。だが、シヤが心底望んでオレの妾のような立場になりたがっているわけではないことは分かった。今のシヤは無理をしていることが明らかだ。まるで誰かに強制されているかのような……。

「ぁ……ッ」

 まさか、誰かに強制されているのか!?

 しかし、巨大クラン『連枝の縁』のリーダーに強制できる者など、果たして居るのだろうか……? 頭を過るのはブルギニョン子爵だが、子爵ごときがエルフの公的機関の長を意のままに操るなんてことなどできるのだろうか?

 いや、できるわけがない。たとえ王だろうとできないだろう。そんなことをしたら、エルフの国と戦争になる。

 そもそも、誰かがシヤに強制しているのなら、シヤを操る者の狙いが分からない。シヤをオレに抱かせて、ソイツにどんな利益があるんだってんだ?

 だが、誰かに強制されていないとしたら、シヤの意図は何だ? まさか、本気でオレのことを好きだとか?

 いや、それはありえねぇ。オレはこの年まで結婚できなかった通り、ろくな男じゃなぇことは分かっている。シヤに惚れられる要素なんて無い。

 全く分からねぇ。だが、そんなオレにも分かることがある。シヤが無理をしているということだ。シヤが心から望んでオレの妾になるなんてことはありえない。それに、そんな卑屈なシヤをオレは見たくなかった。

「シヤ、お前は……。本当にそんなことを望んでいるのか? お前はそれでいいのか?」

「無論じゃ。もう決めたことよ。これこそがワシの望みじゃ」

「じゃあ、何でお前はそんなに無理して寂しそうな笑みを浮かべるんだ? 今のお前の笑みは……歪んでいる。心からのものじゃない。何がお前の心を歪ませた?」

 シヤの心は、願いは歪んでいる。

「ッ!? ゆ、歪んでなどおらぬ! この願いはワシの本心じゃ!」

「違うな」

 あくまでシラを切るシヤの姿に、なぜだか無性にイライラしてくる。シヤは、シヤはもっと誇り高い存在のはずだ。オレの妾になるような女じゃ断じてない。

 オレは『連枝の縁』の庇護を願う立場だ。本当は、シヤの言うことに頷いて、シヤの望みを叶えてやる方が得策なのだろう。

 だが、シヤは明らかに無理をしている。こんなおかしな願いを本心だと信じてしまうなんて異常だ。

 正さねばならない。たとえ、その結果『連枝の縁』の庇護を失おうと、シヤから見放されようと、シヤの心を正さねばならない。

 ここでオレが頷くのは、間違っている。

 そして、オレは決定的な言葉をシヤに投げ付けてしまった。

「シヤ、お前の助力には感謝する。情報面でもかなり助けられた。これ以上ないくらいだ。だが、今のお前を信用することはできない。出ていってくれ」

「……ワシは信用に値せぬか?」

「今のお前はな」

「ワシは……」

 シヤが口を開きかけては止める。そして、しばらく時間を経て再び口を開く。

「そうか……。じゃが、ワシの心はお主にあること。それだけは分かってくれ……」

 まるで縋るようにオレを見ていたシヤが、諦めたように顔を伏せると、ゆっくりとベッドから立ち上がると、そのままトボトボとドアに向かって歩き出した。その細い手をドアノブにかけると、ポツリとシヤが呟く。

「邪魔をしたの……」

 そのあまりにも憐れな姿に、オレは自分のした仕打ちを後悔しそうになる。だが、今回の件は姉貴やクロエの命が懸かっているのだ。妥協はできない。

 閉じるドアの向こう、シヤの顔は泣きそうなほどに歪んでいた。

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