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第106話

 ゴンゴンゴンッ!

 目の前の薄汚れた安物の扉をノックすると、今にも壊れてしまいそうなほど軋んだ音を立てた。もし、オレが本気で殴ったら穴が開いちまいそうだ。

「ねぇ、アベル。本当にこんな所にイザベルちゃんたちが住んでいるの……?」

「あぁ、間違いねぇよ」

 姉貴はひどく複雑そうな顔をして、ボロアパートを見渡していた。ペンキはとっくに剥げて木が剝き出しだし、その木も雨水かなにかによって腐食が進んでいる。ゴミや剥がれ落ちた木片が散乱しているし、歩くたびに心臓に悪い軋んだ音を立てる。木の腐った臭いが、立ち込めているほどだ。

 どう言い繕ったところで、まともな住居じゃねぇ。その分、家賃は安いのだろうが、オレはタダでもこんな所に寝泊まりするなんて御免だね。

「こんな所に女の子だけで暮らしているなんて、なにかあったら取り返しがつかないわよ?」

 なぜかオレを睨む姉貴。きっと、オレが十分な報酬を与えていないから苦労させていると勘違いしているのだろう。

「アイツらには、もっとマシなアパートに泊まれるくらいの報酬を与えてるんだが……。ここが気に入っているのか、引越ししねぇんだ」

「こんな所を気に入る人が居るわけないでしょ! 女の子なら尚更だわ。きっとなにか事情があるのよ。あんたも、もうちょっと気を遣ってあげてもいいんじゃない?」

「あぁ……」

 確かに、姉貴の仰る通りだが……。なんの拘りがあるのか知らないが、イザベルたちも頑固なんだよなぁ。金があるんだから、もっといい所に引っ越しすりゃいいのによ。そしたら、オレも姉貴に怒られることもなかった。

「しかし、遅いな? 留守にしてんのか?」

「まだ寝てるのかも?」

 ノックをしたというのに、イザベルたちからの反応はない。朝も早い時間だからな。クロエの言う通り、まだ寝ている可能性もあるだろう。こんな廃墟で寝られる精神は大したものだな。冒険者向きだ。

 そんなことを思っていると、ドアの向こうから木の軋む音が聞こえた。どうやら誰か居るらしい。

「名を名乗りなさい! 貴方は今、私の魔法の標的となっているわよ? おかしなマネをすれば、ひき肉になると心得なさいな!」

「はぁ?」

 朝からなんとも物騒な文言だな。ドアに隔たれているせいで少しくぐもって聞こえるが、これはイザベルの声だろう。イザベルはこういった冗談事が好きではない。たぶん、彼女は本気だ。

「返事をしなさい!」

「アベルだ。姉貴とクロエも居る。少し話があってきたんだが……これは何のマネだ?」

「ベルベル、たぶん本当にアベるんの声だよ?」

 ドア越しに、今度はジゼルの声も聞こえた。ドアの近くに居るようだ。

「まだ分からないわよ。声の似ている人なんて大勢いるもの。貴方が本当にアベルだと言うのなら、なにか本人と確認できる証言をしてほしいものね」

「はぁー……」

 どうやら、イザベルはまだ疑っているらしい。なんとも面倒な事態になったものだ。オレは深い溜息を吐いて、イザベルの言う証言に足る情報を探った。

「アベル、あたしが代わりに話そうか? あたしもイザベルちゃんとは会ったことあるし……」

「あたしでもいいよ」

「いや、今のイザベルには誰が話しても一緒だろうよ。ここはオレに任せてくれ」

 さて、イザベルが信用するに足る情報とは何か……。

「イザベル、お前は野菜よりも肉が好きだな? 一見、おしとやかに食べているように見えるが、フォークが口と皿を行き来する速度が異様に速い。食べてる量で言えば、ジゼルよりもよっぽど食ってるな。そのおかげで、お前の体は皆より早く出来上がりつつある。太ももとか、初めて会った頃に比べれば、1.2倍は太くなっただろうよ。頬もこけてないしな。魔法使いに筋力は必要ないと思うかもしれないが……」

「え!? な、ななな!? 何を言っているのよ、このおバカ!」

「他にもあるぞ? お前の契約している精霊が、最近、新しく魔法を覚えたとかな」

「そっちを最初に話しなさいな! くっ! この無自覚セクハラ野郎は、間違いなくアベル……!」

「え……?」

 オレ、イザベルにセクハラ野郎だと思われてるのか? これはかなり由々しき事態では……?

「アベル……」

 後ろから名前を呼ばれて振り返ると、姉貴がデーモンのような顔をしていた。

「あんた、そんなにジロジロ女の子の太ももを見ているの?」

「いや、それは……」

 なんだか姉貴にもオレがセクハラ野郎だと思われているみたいだ。弁解しなくては!

「ちょっと見てただけだって! 筋肉が付いているかどうか、それを確認しただけで、疚しい気持ちは……」

「女の子の太ももを見てるだけでもアウトよ!」

「ぐっ!?」

 そうなのか? いや確かに、客観的に見れば、ひどい絵面だと思うが……。ダメだったのか……?

「ちゃんとイザベル本人にはバレないようにしたぜ? オレだって、年の離れたおじさんが、女の子の太ももを見ていたら気持ち悪いなと思うからな。イザベルに不快な思いはさせていないはずだ!」

「隠れて見ていたの!? あんたはいつからそんな卑怯者になったのよ!?」

「卑怯者って……」

 えぇー……? オレ、そんな悪いことしたか?

「叔父さん……」

 クロエが、まるで身内から変質者が出てしまったかのような、悲しそうな顔をしていた。

 オレは致命傷を負った。

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