エレオノールや、ボロアパート組のイザベル、リディ、ジゼルを送り届けた後、オレはクロエと手を繋いで暗い路地を歩いていた。
何を話していいのか分からず、オレとクロエの間には沈黙が降り積もっていた。
ただ、繋いだ手のぬくもりが温かかった。
「じゃまするぜー」
オレたちは、沈黙を重ねたまま姉貴の家に辿り着いた。無防備にも鍵のかかっていないドアを開くと、竈の前で腕を組む姉貴の後姿が見えた。
そういえば、今日は市場で買い出しをしていなかったな。ひょっとしたら、久しぶりに姉貴の手料理が食べたかったのかもしれない。ふと、そんなことが頭を過る。
「来たわね……」
いつもは笑顔を浮かべてオレを迎え入れてくれる姉貴の表情が、今日ばかりは暗かった。
まさか、知っているのか? オレとマクシミリアンの決闘を。
「たいへんなことになっているみたいね? まぁ、入りなさいよ」
「あぁ……。知っているのか?」
「まあね。あなたが冒険者になった頃から、あたしも冒険者の動向には敏感になったのよ」
どうやら、姉貴は決闘のことをもう知っているらしい。
「巷では“レベル8激突”なんて持て囃されているみたいだけど、そんな単純な話じゃないんでしょう?」
「もう噂になってんのか?」
きっと、冒険者ギルドに居た冒険者たちから広まったのだろう。
「ええ。なんとか決闘を止めさせようと動いてくれている人も居るみたい」
「そうなのか?」
冒険者となれば、今回の決闘騒ぎを楽しみにしていそうなもんだが、意外にも反対してくれる奴も居るらしい。だが……。
「冒険者ギルドも今回の騒動を快く思ってはいないはずよ。だから……」
「いや、無理だろうな」
たしかに、冒険者ギルドにとって、今回の決闘騒ぎは、不利益しかない。どちらが勝つにしても、レベル8という稼ぎ頭が一人失われるからだ。冒険者ギルドも、決闘を止められるなら止めたいところだろう。しかし……。
「いくら冒険者ギルドでも、貴族の権利ってやつを侵すことはできねぇよ。そんなことをすれば、貴族たちが黙っちゃいねぇ」
貴族にとって、自らの権利に傷がつくような前例など作りたくないだろう。滅多にやらないが、決闘を吹っかけて、気に入らない平民を殺すなんて、貴族の常套手段だからな。
「そんな……」
姉貴の顔から血の気が引いていく。唇なんてもう紫を通り越して青くなっているくらいだ。
「で、でも、相手は子爵なんでしょう? もっと偉い貴族に止めてもらえば……」
「そいつも難しいだろうな……」
もう、オレとマクシミリアンの決闘は決まったことだ。オレは既に決闘を了承してしまった。クロエたちを人質に取られ、オレには頷くしか道は無かった。この期に及んで既に決定してしまったことを覆すのは難しい。
それに、時間が足らない。決闘の日時は、明日の昼だ。そういった根回しが間に合うとは思えない。きっとマクシミリアンは、余計な邪魔が入らないように日時を早めに設定したのだろう。
小賢しいマネだが、有効な手段だ。マクシミリアンの殺意の高さがうかがえる。
思えば、マクシミリアンはオレを心底嫌悪しつつ、しかし、度々オレに突っかかってきていた。話すのも嫌なくらい嫌悪している相手なら無視すればいいのに、オレをこき下ろし続けた。
マクシミリアンにとって、オレは生きていることすら許せない相手だったのだろう。折を見て殺したいと思うほどに。
「じゃあどうすればいいのよ!」
姉貴の希望を次々に潰していくオレに、姉貴がキレるように叫ぶ。その叫びに同心するように、繋いだままのクロエの小さな手が、オレの手を強く握る。オレはそれに応えるようにクロエの手を握り返すと、姉貴に向かって静かに口を開く。
「オレを信じてくれないか?」
初めはオレ自身も自分のことを信じられなかった。でも、オレはクロエたちと約束したんだ。生きて帰ると。絶対に生還すると。
無理難題なのはオレも分かっている。相手はあのマクシミリアン。勝機なんてどこにも転がっているようには見えない。
だが、オレはクロエたちと約束したのだ。この約束は、絶対に果たさなくてはいけない。オレはクロエとの約束は破ったことがないからな。今回も絶対に破らせない。
「オレは必ず生きて帰ってくる。だから、オレのことを信じてくれねぇか?」
「だって、だって……皆があなたが負けるって……甚振られて殺されちゃうって……」
オレでも敵わないと思っていた強い姉貴が、ついに泣き崩れてしまう。
「ママ……」
いつの間にか、クロエの声も涙ぐんでいた。
「約束したろ?」
「うん……うん……絶対だから……」
オレはクロエの頭を優しく撫でると、クロエは何度も頷いて応える。
オレはそんなクロエの手を引くと、泣き崩れる姉貴の前で跪いて姉貴の肩に手を置いた。
姉貴は大袈裟なぐらい肩を震わせると、ゆっくりと顔を上げる。
「絶対に大丈夫だ。オレが負けるって噂してる奴らとオレ、どっちの方が信じられる?」
「でも……」
「“でも”はもう聞き飽きたぜ。頼むよ姉貴。オレを信じてくれ」