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第89話

「叔父さんっ! 叔父さんっ!」

「ア、アベ、アベル! アベル! 貴方、あんな約束を! どうしてあんな約束をしてしまったのよ!」

「………」

「そ、そーだよ! あんな奴と決闘なんて……。アベるん殺されちゃうよ!」

「すみません。すみません……。わた、わたくしが我慢していれば、こんなことには……」

 マクシミリアンが勝手に決闘の日時を決め、高笑いを上げて去った冒険者ギルドは、ざわざわと混迷を極めていた。冒険者たちはざわめき、クロエは泣きながら抱き付いてくるし、イザベルはひどく慌てたようにオレを問い詰めてくる。いつもはイザベルのスカートにくっ付いているリディが、今日はオレのズボンにくっ付き、ジゼルは目尻に涙を浮かべて叫んでいた。

 中でも一番ひどいのは、直接マクシミリアンに手を伸ばされたエレオノールだろう。その顔を俯かせているため金髪しか見えないが、今まで聞いたことがないくらい弱弱しく声を震わせている。

 エレオノールの見えない顔から、ポタポタと雫が落ちる。泣いているのだ。そして、自分さえマクシミリアンの暴虐に我慢すればよかったのだと、一身に自分を責めている。

 オレは、エレオノールになんて悲しい目に遭わせてしまったのだろう。これも自分の弱さが招いた事態なのだと思うと、反吐が出る思いだ。

「エル、もう自分を責めないでくれ。クロエも、いつものかわいい笑顔を見せてくれよ」

「でも、でも! 叔父さんがぁー……」

 クロエも感じたのだろう。マクシミリアンを見た時に生物としての格の違いを。

 そして、オレの敗死を予測して泣いているのだ。

 イザベルたちもそれは同じ。

 クロエたちは、オレの敗死を所与のものとして考えている。オレの勝利など、まるで考えていない。

 まぁ、それはそうだろう。相手はあのマクシミリアンだ。貴族からの決闘といえども、そこに正当性が無ければ平民にも退けることはできる。しかし、今回はそれはできない。オレはマクシミリアンの奴と生死を賭けた勝負をしないといけない。クロエたちに危害を加えると脅され、退路など無かった。

 たしかに、オレはここ数日で“ショット”や“カット”など、【収納】の新たな能力を発見し、戦闘能力がぐーんと上がった。そのことをマクシミリアンは知らないだろう。奴の中では、オレは無力な存在のままのはずだ。

 マクシミリアンの不意を突くことは可能なはず。

 しかし、それだけで倒せるほどマクシミリアンは甘くない。奴の前では、“ショット”も“カット”も決定打にはならないだろう。

 マクシミリアン。奴のギフトの能力は、規格外に強力過ぎるほどに強力なのだ。

 現状、詰んでいるとしか言えない。

 それはオレにも痛いほど分かっている。

 だが、オレは努めて笑顔を浮かべてみせた。

 オレは、クロエのツヤツヤな黒髪を撫でながら口を開く。

「なぁに、そんなに心配すんなって。ようは、勝ちゃいいんだろ?」

「それはそうだけど……」

「……勝機はあるんでしょうね?」

 イザベルが、オレを睨み付けて、まるで詰問するように口を開いた。腕を固く組んで、嘘は許さないといった感じだ。

 まったく、イザベルは相変わらず痛いところを突いてくるな。

 痛過ぎて思わず苦笑いを浮かべてしまったほどだ。

「あるに決まってるだろ?」

 対マクシミリアン戦に勝機などまるで見えないが、オレは強がって、まるで自信があるかのように振舞う。

「あるのっ!? すげー!」

「貴方、それは……」

 オレの虚勢にジゼルが目を輝かせるが、イザベルはまるで痛ましいものを見たかのように目を伏せる。単純なところがあるジゼルは騙されてくれたようだが、どうやらイザベルは騙されてはくれなかったようだ。

 しかし賢いイザベルは、その美しく整えられた眉を歪めて沈黙を選んだ。もう状況は覆らないところまできてしまったことを知っているのだ。

「だからな、皆。そんなに心配すんなよ。色違いのボスも楽勝に倒したオレだぜ? なにも心配はねぇって」

 『白狼の森林』の色違いのボスなど、せいぜいレベル5ダンジョンのボス程度の強さしかなかった。相手は、レベル8のダンジョンを単独で踏破できるマクシミリアンだ。比べるのも烏滸がましいだろう。

 だがオレは、例えイザベルに見抜かれてしまっていようとも虚勢を貫く。今のオレには、このくらいのことしかできない。そのことが、ひどくもどかしい。

 イザベルは、そんなオレを悲しそうに歪んだ目で見つめていたが、一つ深呼吸すると、いつもの不機嫌そうな顔を浮かべて口を開いた。

「皆、アベルを、私たちのリーダーを信じましょう。アベルなら必ず生還してくれるわ」

 その声は微かに震えていた。イザベルは、オレの虚勢を知りつつも、オレの意思を尊重して味方してくれるらしい。イザベルは将来いい女になるだろうな。

「あーしはアベるんを信じてる! アベるんなら、あんな奴けちょんけちょんにしちゃうんだから!」

 イザベルの言葉に、イの一番に反応したのはジゼルだった。元気いっぱいに言い切ったジゼルだが、その笑顔には陰りがあった。本当は、ジゼルもオレの虚勢に気が付いているのかもしれない。それでも、ジゼルはいつも通り明るく振舞っている。

「そうとも! あんな奴けちょんけちょんだ!」

 オレはジゼルの言葉に乗っかり、ジゼルの頭を軽く撫でる。

「えへへ……」

 ジゼルが目を細めて綺麗な笑顔を見せた。その目尻に涙が浮いているのをオレは見ないことにした。

「でも、イザベル……。このままだと叔父さんが……」

「クロエ、貴女の叔父さんはとてもすごい人よ。そして、レベル8に相応しい強さも持っているわ。少しは信じてあげてもいいのではなくて?」

 イザベルは、その心を押し殺し、笑顔すら浮かべてクロエを説得する。手ではリディの頭を優しく撫でていた。

「信じてるけど……でも……」

「“でも”はいらねぇよ。クロエ、オレを信じろ」

 オレ自身が自分を信じられないのに、クロエに信じろと言うのは、ひどく無責任な気がした。でも、オレはクロエに笑ってほしい。

「じゃあ、叔父さん。あたしと約束して。絶対に生きて帰ってくるって」

「それは……」

 クロエが、小指だけ立てた右手をオレに見せる。エルフの古い約束の儀式だ。クロエの幼い頃に、オレが面白半分で教えたおままごと。自慢じゃないが、オレは今までクロエとの約束を破ったことがない。だが今回は……。

「約束、してよ……」

 涙の零れるままオレを見上げているクロエ。オレは決意を固めてクロエの小指を右手の小指で包むように掴む。

「約束だ。オレは必ず生きて帰る」

 オレはクロエの黒い瞳を見つめながら、深く頷いた。

「そういうことなら、私とも約束してくれないかしら?」

「うん?」

 イザベルに目を向ければ、彼女はクロエと同じように小指を立てた右手をオレに伸ばしていた。

「ズルい! あーしとも! あーしともして!」

「ん。わたし、も……」

「アベル様、わたくしとも……」

 ジゼル、リディ、エレオノールも、イザベルを真似てオレに向かって小指を立てた右手を伸ばす。

「分かった。分かったから、一人ずつな」

 少女たちの細く柔らかい小指をオレの武骨な小指が包んでいく。

 これは負けられねぇな……。

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