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文壇のプリンセスは戯れに恋をする
綾崎暁都
文芸・その他ノンジャンル
2024年07月30日
公開日
14,554文字
連載中
時は大正、小説を書くため、そして、自身の地位を築き自由を謳歌するため、多くの男女と戯れに関係を持つ女流作家、夜羽真紅(よはねしんく)を主人公とした物語。

※他サイトにも投稿しています。

序章

「さて、どうしようかしら?」

 私の目の前には白紙のノートが開かれている。夜が更けて微かにふくろうの鳴き声が聞こえるなか、私は鉛筆を手に取り、頭の中に漠然と浮かぶ物語をなんとか形にしようとしていた。

「ああ、眠い……」

 眠気が書くのを邪魔する。そして、薄ら頭の中に浮かぶ物語とは全く関係ない情景が、突然目の前に広がってくる。それは、とても退屈なものだ。

 毎日がとても退屈だ。女学校でのお勉強の日々。結局お勉強したところで、自分が思い描く理想の道に進めるとは、とてもだが思えない。

 女にも教育をと言うが、結局のところ、女はこうだ、こうあるべきだと、身をもってお勉強させられる。まさに詭弁だ。

 女であることが疎ましい。男と女で一体何が違うというのだ。結局のところ、そんなに大差はないというのに。むしろ、子を産むことが出来る女のほうが、敬われて然るべきはずなのだが、この世の中は男のほうが偉く、女はそれに従うべきものという決まりなのである。

 男なんて馬鹿ばかりだ。関心はいくさごとばかり。気に入らないものは、何事も力でねじ伏せようとする。後は女、少しでも良い女がいれば、その尻を後ろから追いかける、まさに盛りが付いた雄猫だ。女を取り合う姿なんて、本当にみっともない。明治から大正に変わって早一年。少しは時代が変わるかと思えば、名前だけが変わるだけなのか。

「はあ〜……」

 私はため息をつく。そんなことを、あれこれ物思いにふけたところで、どうしようもない。

 ……女学校も後、半年もすれば卒業だ。一番の成績ではいるものの、私はこの先の進路を全く決めていなかった。他の女子が自分の進むべき道を次々と決めていくなか、私は自分がどうしたいのか、その進むべき道が全く見えてこないのだ。

 貧乏な身の上、女手ひとつで母は私を育てた。私は他の子たちよりも、どうやら物覚えと要領が良かったため、こうやって学校にも行かせてもらっている。男にいいように弄ばれ捨てられた母にとって、苦労のないようにと、娘に対する想いなのだろう。しかし、私はその母の想いとは裏腹に、私は自分の今後というものに、真剣に向き合っていなかった。

 私が今後すべきことは、この半年の間に男を見つけそこに嫁ぐか、大学校に進学するかどちらかだ。女学校で誰よりも学のある私にとって、大学校への進学は容易だと思うし、こんな無愛想な女子ではあるが、私に言い寄る若い男はそれなりにいる。

 しかし、私にはそれがどうやらぴんと来ないようだ。と言うか、なんとなく気乗りがしない。私は女とか、男であればこうあるべきという、そんなものに縛られたくないのだ。私は自由でいたい。出来ればこうやって小説など書くなどして、ずっと空想にふけっていたいのだが。

 そうこうしているうちに、眠気がさらに強まり、自然に顔を机に伏せてしま……。


 目が覚めると蝋燭ろうそくの明かりが消えていて、窓から月明かりが薄ら入っている。どうやらまだ夜中のようだ。

 私は椅子から立ち上がり、蝋燭に火をつけようとしたところ、何やら人影があることに気がついた。

 私は振り返る。後ろにあるもう一つの椅子に、何者かが座っている。

「……誰⁉︎」

 私は思わず声を出したものの、恐怖で身体が震えてしまう。

「うふふふっ……」

 若い女の声だ。母の声ではないし、同じ女学校の女子のうちの誰かなのか。全く心当たりがない。

 次第に目が慣れてきて、徐々に謎の人物の姿が浮かび上がってくる。

 私の目の前には、黒の着物を着た若い女が椅子に座っていた。しっかりと化粧された顔で、目鼻立ちがしっかりしている。だが、この顔どこかで……。

「初めまして、藤澤いすゞふじさわいすずさん」

 女が私の名前を呼ぶ。妖しい微笑みをこちらに向けてくる。

「なんでわたしの名前を知ってるの? わたしはあんたのことなんか知らない。誰よ?」

 こんな得体の知れない人物が、断りもなしに自分の部屋に勝手に入ってきたとなれば、叫び声を出してもいいものだが、なぜかその気が全く起こらない。ただ、私はこの謎の女に何かされないだろうか、身体を小刻みに震えることしか出来ない。

「あなたは知ってるはずよ」

 女はまたも妖しく微笑む。このなんだか上から目線な感じと、どこか人を馬鹿にしたような雰囲気に、私は腹が立ってくる。でも、どこかでこの女を見た気が、この光景を見たような気がしていた。

「そんなの知らない……今、大声を出せば、人が来ますよ……」

 私の言葉に、女は何やら可笑しかったのか、声を出して笑った。

「だったら、もうすでにやってるのではないの? そう、あなたは出来ないはずよ。したくても出来ないの」

 女の瞳は何もかも見透かしてるかのようだ。女の言うとおり、私は大声で助けを呼べないどころか、女に殴りかかることさえ出来そうにない。金縛りではないのだけれど、何やら大きな力に支配されているかのようだ。

「もう一度言うわ。あなたは私のことを知ってるはずよ。そう、ずっと前から……」

 女はまたも妖しく微笑む。だがそれは、先ほどまでの微笑みと違い、もっとどこか邪悪な、まるで本当のあやかしかのような危なく不可思議な感じがした。

「これで最後。もう一度言うわ。あなたは私のことを知ってる……」

 女の妖しく光る眼光に、私は視線を逸らす。女の後ろには鏡があった。私はその鏡に視線がいく。そこには当然のことながら、私の顔が映っていた。

 似ている。この女ほど洗練されていないものの、よく見れば顔形、よく似ている。

「あんたは誰なの⁉︎」

「まだそう言い張るの。本当はもう知ってるくせに」

 女はどこか呆れたような、諦めたような、それでいてどこか意地悪な感じの笑みを浮かべた。妖しげな雰囲気のまま。

「……わたしをどうする気なの?」

「どうする気って、別に取って食おうなんて思わないわ。いや、ある意味、そうなのかもしれないけど」

 私は女の言葉を聞いて、いきなり襲い掛かろうと思った。だが、私の意思とは正反対に、私はおとなしくこの女の話を聞いていた。

「そうね。もう少し、私に対して素直になってもらいたいかなって、そう思っているのよ」

「意味がわからないわ。何を素直って、こんな素性もわからず、いきなり人の部屋に入ってきて、素直になれなんて……」

 女はため息とも嬌声きょうせいとも取れる声を出し、私に近づいてくる。

「もっと素直になりなさいって、これだけ言ってるでしょ……」

 女は私の耳許で囁く。私は女の声ともに出る吐息に、耳がむず痒く感じた。

「あら、敏感なのね。でもそれでは、男は手玉に取れなくってよ。ほら、こうやってちゃんと、目と目を合わせて……」

 女はそう言うと私に顔を近づけ、いきなり口付けをした。女の唾液が私の舌を通して流れ込む。舌と舌が絡み合い、女の温もりを感じる。

「これで少しは素直になったかしら……」

 ああ、思わずとろけてしまいそうだ。このときの私は、自分の意に反して、情けないほどふやけた顔をしていたに違いない。私は恥ずかしさのあまり、顔を背けた。

「素直になったと思ったら、これは思ったより強情なようね」

「好きでもない男だったらともかく、女にやられるなんて、ああ、もうお嫁にいけないわ」

 私は涙目になりながらそう言った。

「お嫁に行きたいなんて、本当は思ってもないくせに」

 私は涙を拭いて顔を上げると、女が見下すかのようにこちらを見下ろしていた。

「女として生まれてきたのが嫌で、男にいいようにされたくないあなたが、お嫁に行きたいなんて思ってるわけないでしょ。私はあなたのことならなんでも知ってる。あなたは女でも男でもない、そんな枠の中におさまりたくない、ただただ、自由に行きたいだけ」

 そのとおりだ。彼女の言うとおり、私はただ、自分らしく自由な生き方がしたいだけなのだ。

「あんたに言われなくたって、そんなことわかってる」

 女は私の許にしゃがみ込むと、私の頬を両手に当てる。

「じゃあ今度こそ、素直になって……」

 そして、再び口付けをした。舌が絡み合い、なんだか徐々に気持ち良くなっていく。もう、くだらない意地なんて、正直どうでもいい。どうでもよくなれといった感じだった。

 口付けが終わると、お互い見つめ合った。彼女の口から私の中に何かが入っていく気がした。

「今度こそ少しは素直になったかしら……」

 彼女の妖しげな顔がこちらに微笑んでくる。私はその顔を見て、たまらなくとろけてしまいそうになっていた。ああ、もっとこうしていたいと。

「じゃあ、そろそろ行くわ……」

 彼女は振り返ると扉を開けて部屋から出ようとする。

「ねえ、あなたの名前を教えてもらえる?」

 彼女は私の言葉に振り返り、囁くようにこう言った。

夜羽真紅よはねしんく。それが私の名前、そしてこれからは……」

 と彼女の言葉が途中から途切れ、私は気持ち良さのあまり、次第に意識が途切れて……。


 目が覚めると、そこは私の部屋。蝋燭の明かりは消えていて、窓からは月明かりが入ってくる。そして、部屋には誰もいない。

 私は蝋燭に火をつけると、白紙のノートにこれからえがく物語を書き込んでいった。


 翌朝、学校に行く時間、いつものように友人の朋枝ともえがやって来る。

「いすゞ、早く学校行こう。でないと、遅刻しちゃうよ。って、いすゞ?……」

 私は玄関に立っている朋枝に近づき、彼女の頬に両手を当て、そして口付けをした。舌を絡ませ、相手が気持ちよくなれるよう、上手く転がしていく。

 口付けを終えると、朋枝は驚きと恥ずかしさのあまり、後ろに思いっきり下がる。

「ちょ、ちょっと! 一体何⁉︎ どうしたの? いすゞ⁉︎」

 私は恥ずかしそうにしながらもとろけた顔をしている朋枝を見ながら、舌舐めずりをしてこう言った。

「さあ、これから朋枝のこと、どうしようかしらね。ふふふ、とても楽しみだわ」

 近づく私に恥ずかしそうにする学友の顔は、それそれはとても可愛かった。こうやって遊ぶのは、とても楽しい。こうやって遊ぶことが出来るのは、この世で私だけではないだろうか。

 さあ、これからどうやって、朋枝のことを手玉に取ろう。こうやって、今後もどんな男や女を手玉に取ろうって考えると、これから私の物語はどんどん面白くなっていく。

 さあ、これからどういう物語を書いていこうか、私は今、それを考えるのがたまらなく楽しくて仕方なかった。

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