その瞬間、私は《全て》を理解した。
太陽の残滓である光が空から消え、完全なる夜となったその瞬間。
上昇の月で力が溢れてきた、その瞬間。
溢れる力と共に、私の中に溶け込んだ始祖の力が一緒に湧き上がってきた。
不完全な始祖の再来。
それは不死の力を欠いたもの。
不死ではない肉体で、常に始祖の力を扱うには負担があった。
だから、上昇の月の夜。
心身ともに力がみなぎるその夜にのみ始祖の力を扱えるようになるんだと。
湧き上がる力の奔流の中、それを知った。
だから、今このとき。
この新月の夜だけは、確かに私は始祖の再来と言える存在になっていた。
「なっ……」
「これは……そんな……」
私の言葉に固まった目の前の二人は、現実を受け止めきれないのか動揺を見せるばかり。
そんな彼らに、私はもう一度言葉を放つ。
「下がりなさい、無礼者!」
「っ! ははっ!」
それだけで目の前の二人と伊織はひざまずきこうべを垂れた。
「……」
若干、口調が偉そうになっているのはなんでだろうと自問する。
始祖の力に口調も引きずられているのかも知れない。
そのうちその辺りも調和して元に戻ると思うけれど……。
「……聖良?」
大切な人の戸惑う声が聞こえる。
始祖の力を扱う私に、別人にでもなったかのように感じているのかも知れない。
私はそんな永人に微笑んだ。
大丈夫だよ、ちゃんとあなたのことが大好きな私だよ、と教えるように。
「っあ……」
その瞬間、永人の顔が真っ赤に染まった。
仕方ないこととはいえ、その素直すぎる反応に私の方が戸惑ってしまう。
けれど、まずは彼の中から薬の成分を全て取り出さないと。
私は腰を落として永人の首筋に指先を当てた。
そして彼の血流を探り操る。
薬の成分だけをかき集め、吐き出すように操作した。
「聖良?……これは、ぅぐっ」
カハッと少量の血と共に薬の成分を吐き出す永人。
そうすると目を瞬かせて軽く頭を振る。
意識の方はすぐに明瞭になったはずだ。
体も、すぐに自由に動けるようになる。
「聖良さん……いや、聖良様」
先ほど吹き飛ばされていた田神先生も、ボロボロの状態で近付いて来るとすぐにひざまずく。
その体勢ですら辛そうな彼に、私は「無理はしない様に」と伝えた。
いまだに少し戸惑っている永人と共に立ち上がると、私は髪飾りも全て取り外し、いつものように髪をおろす。
綺麗に結い上げてもらっていたのに、もうグチャグチャになってしまっていたから。
化粧もはげ落ちてしまって、普段だったらボロボロの状態だろう。
でも今は違う。
上昇の月で力が上がり、なおかつ始祖の力が私に最上の美しさを与えているのが分かる。
それは、何者をも魅了する美しさ。
……永人にまで戸惑われるのはちょっと困るけどね。
私は周囲をぐるりと見回し、ひざまずいている四人に告げた。
「さあ、戻りましょうか。愚か者たちに知らしめてやらなければ」
艶然と微笑み、永人に右手を差し出す。
小首を傾げて「連れて行って?」とエスコートをうながせば、彼はガラス細工でも扱うかのように優しく私の手を取った。
「ああ……仰せのままに、俺の“唯一”」
戸惑いはまだありそうだったけれど、優しく微笑んで今の私も受け入れてくれる。
始祖の力をこの身に宿していても、多少口調が変わっていても、私であることに変わりはない。
どんな私でも受け入れてくれる永人に、私はまた惚れ直してしまった。
そうして永人にエスコートされながら歩を進めると、他の四人は無言で付き従う。
私も、それが当然であるかのように前だけを見る。
ううん、実際当然なんだ。
始祖は、すべての吸血鬼を従える吸血鬼の王となりえる存在。
そして、その命令は絶対。
以前聞いた朔夜さんの言葉が蘇る。
あのとき告げられた言葉の通りであることは、今の私が一番よく理解していた。
だからこそ、今やっておかなきゃならないことがある。
もう、私を利用しようとする者を無くすために。
私と永人を引き離そうとする愚か者に、それがどんなに罪深いことなのかを知らしめるために。
今、多くの吸血鬼達がパーティー会場に集まっているのが気配で分かる。
会場の外を警備していた人達や、裏で色々動いていたらしい月原家の者や協力者達。
彼らも集まっている様だったから、もしかしたらあちらはまだ戦闘を続けているのかも知れない。
会場が闘いの場になっているかもしれない状態に、愛良は大丈夫なのかと心配になる。
まあ、零士が何が何でも守るだろうけれど。
むしろ守れなければぶん殴ってやるところだ。
そんなことを考えながら会場へとたどり着く。
中からは戦闘の音が聞こえてくるけれど、薬で倒れていた人達は避難できているんだろうか?
いや、会場にばらまかれた薬はそこまで強くはなかったから、もしかしたらこの戦闘に参加しているのかも知れない。
何にせよ、愛良が巻き込まれていなければ良い。
ドアの前で一度足を止めると、私が何か指示するまでもなく伊織のお付きの二人がドアに手を掛ける。
そして、両開きのドアが開かれた。
シン……と、瞬時に会場の音が止まる。
まるで時が止まったかのように音も人の動きもピタリと止まっていた。
その中を私はまっすぐ進む。
通り過ぎると同時にハッと気付いた周囲の吸血鬼達が、何を言うまでもなくひざまずく。
吸血鬼ゆえに、その血で理解したんだ。
私がまさに始祖の再来であるということを。
進みながらザッと見たところ、愛良の姿はない。
零士もいないようだったから、ちゃんと別の場所に避難しているのだと思う。
途中、嘉輪と目が合ったので微笑むと、少し物悲しい様子ではあったけれど微笑みが返される。
そして膝を折りこうべを垂れた。
親友にそんな真似をされるのはちょっと悲しかったけれど、今は仕方ないと気持ちを切り替える。
私が今やろうとしていることが終わるまでは、始祖として威厳を持って振る舞わなくてはならないから。
少し前に挨拶を受けていた壇上に上がると、永人以外の四人は下で膝を折り頭を下げる。
見渡すと、エスコートした永人以外の吸血鬼達全てが私に向かってひざまずいていた。
始祖の力に引きずられていてよかったかもしれない。
素のままだったら「ひっ!」と悲鳴を上げてビビッていただろうから。
永人も私から手を離し、控えるように少し後ろに下がる。
私は正面を向いて、始祖の言葉を待つ者達相手に口を開いた。
「……私を手中におさめようと、愚かなことを考える人達がいたようですね」
淡々と、でも静かな怒りを込めて言葉を紡ぐ。
私は普通に話しているつもりでも、きっと他の吸血鬼達には珠玉の旋律のように聞こえるんだろう。
始祖の魔力とでも言うべきなのか。
言葉一つ、仕草一つだけでも彼らには最上の美しさとなって届く。
それこそが、始祖の力の一つでもある。
その力、その美しさでもって全てを魅了し、従える。
血脈に縛られているからだけではないから、服従してしまうんだ。
「“唯一”と引き離してまでそんなことをしようなんて……それがどれほど罪深いことなのか分かっているのかしら?」
ビクリと、何人かの肩が恐ろしげに震える。
彼らが月原家の者や協力者達だろう。
「お、恐れながら!」
その中の一人が声を上げる。
始祖に口答えするなんて、余程勇気のある者かただの馬鹿なのか……。
「かつての強さを欲する吸血鬼は多いのです。だからこそ、始祖様の力を持つあなた様の血を望むものは多い」
六十代くらいだろうか。
髪に白いものがちらほら見えている。
挨拶のときには見なかった顔だ。
……まあ、全員の顔を覚えているわけじゃないけれど。
でも、伊織が顔を青ざめさせているからきっと月原家の者なんだろう。
会場には来ず、裏で色々やっていた側の人なんだと思う。
「あなた様には多くの者と交わり子を産んでいただかなくては――ぅぐっ!」
「ふざけたことを……!」
どうやら、ただの馬鹿だったらしい。
それを望むこと自体が愚かだと言ったばかりだというのに、まだそれを口にするなんて。
あまりの腹立たしさに、集中して威圧してしまう。
全ての吸血鬼を従える始祖の力は、目力だけで大の男一人を圧した。
圧を掛けられた男が床に突っ伏すくらいになると、私は一度深呼吸をして怒りを鎮める。
こういう輩にはいくら言葉で教え込もうとしても無駄だ。
彼らは、本来の吸血鬼の在り方を忘れてしまっている。
……いつだったか嘉輪が教えてくれた、とあるハンターの言葉。
『吸血鬼は、愛のために生きる化け物』
まさにその通りなのだと思う。
始祖が愛する者との別れを嫌い、不死と引き換えにその愛を手に入れた。
その結果吸血鬼という種族が誕生した。
始まりからそうだったんだ。
だから、吸血鬼が愛のために生きるのは血に刻まれた
それを忘れてしまった年寄りたちは、確かに老害と言えるだろう。
そんな老害達には、もっとハッキリとした形を見せつけなくてはならない。
“唯一”という存在よりも彼らが重要視するのが血の契約。
その血の契約である主従の契約ですら足りないというならば……。
「……永人、こちらへ」
後ろに控えていた永人を呼び、隣に来てもらう。
「聖良……?」
永人は私が何をするつもりなのか分からなくて戸惑っている。
考えてみれば、こんな永人の表情は今しか見られないかもしれない。
力が馴染んでいつもの私に戻ったら、きっと彼の態度もいつもの様子に戻ってしまうだろうから。
そう思うと、このいつもよりちょっと可愛く見える永人の顔を観賞していたい気分になった。
でも、その間ずっとみんなをひざまずかせておくわけにはいかない。
私は名残惜し気に永人の表情を目に焼き付けると、先ほどから準備していたものを取り出した。
「っ! それは……」
手のひらにコロンと転がった赤い結晶を見て、永人が驚きの声を出す。
そう、これは私の血の結晶。
普通の吸血鬼ならひと月はかかると言われる血の結晶だけれど、始祖の力があれば数分で作り出すことが出来た。
私は永人を見上げて、イタズラをする前のように微笑む。
「せい――」
「永人、お返し」
言い終えるとすぐに私は自分の血の結晶を口に含み、永人の胸倉を掴んで彼の口を塞いだ。
「っ⁉」
驚きで見開かれた目が、ゆっくりと細められる。
それを見届けて私は瞼を閉じた。
永人の手が私の髪を撫で、腰に添えられる。
抵抗するつもりなんてまるでないように、口が開かれた。
そこに血の結晶を押し込むと、永人の舌が結晶ごと私の舌を絡めとる。
「んっ……」
結晶を受け取って飲み込めばいいだけなのに、こんなときでも私を求めて奪おうとしてくる。
それを嬉しいと思うあたり、私は本当に永人しか見えなくなっているのかも知れない。
ちぅ、と舌を吸ってから私の血の結晶を
熱っぽい瞳に、トクンと心臓が跳ねた。
このまま二人きりになりたい。
そう思いかけるけれど、それはもう少しだけ待たなきゃならない。
この場を終わらせなくては……。
手だけはつないだ状態でゆっくり離れると、私はひざまずいている者達に語る。
「これで私達は互いの血の結晶を飲み交わした。彼は私のもので、私は彼のもの」
これはもう主従の契約ではない。
もっと、更に強いつながり。
「これは相愛の誓いである。何人たりとも引き離すことは許されない!」
始祖として、そう宣言した。
『は!』
大勢の了解の声が重なる。
始祖としての宣言は、絶対のものとしてそれぞれの血に刻まれたのだった。
ほぅ、と息をつく。
これで、今度こそ誰にも私達を引き裂くことは出来ない。
新月の夜が終わって始祖の力を使えなくなっても、だ。
そのための契約。
そのための誓いなのだから。
永人に向き直り、そのことを告げる。
「永人……これでもう私達を邪魔するものはないよ」
口調も戻って来た。
始祖の力が馴染んできたみたい。
その変化に目を瞬かせる永人に、私は幸せの笑みを向けた。
「私を奪っていいのはあなただけだよ、永人」
目を見開いた永人は、「ははっ!」と声を上げて笑うといつもの不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、お望み通り奪いつくしてやるよ。全霊を掛けて、お前のすべてを」
そして、その言葉の通りに私を引き寄せ唇を奪う。
周囲の目なんて、気にしなかった。