「うん……でも、どうやって行けばいいの?」
一階に下りて外に出ようにも、寮の出入り口はもう鍵が掛けられていたはず。
バレないように外に出るにはどうすれば……。
なんて考える私に、永人は当然のようにとんでもないことを口にする。
「このまま、こっちに跳んでこいよ」
「ええ⁉」
出来るわけない!
そう思う私に、彼は「大丈夫だ」と笑う。
「お前は吸血鬼になったんだぜ? それに今夜は上昇の月だ。身体能力もいつも以上に上がってるはずだ」
「それは、そうかも知れないけど……」
ここは八階。
そして窓から永人のいる高木まで大体3、4メートルはある。
「良いから、練習だと思って跳んでみろよ。……ちゃんと受け止めるからよぉ」
重ねられる誘いに引き寄せられる。
その強い引力に、私はためらいを捨てた。
「……分かった。ちょっと待って」
いくら何でもスリッパで外に行くわけにいかない。
外靴を持ってきて部屋の中があまり汚れない様に履くと、窓枠に足を掛け身を乗り出す。
下を見たら怖くなってしまうかもしれないから、真っ直ぐ永人だけを見た。
「行くよ」
「ああ、来い」
意を決して足に力を入れる。
そして、跳んだ。
永人だけを見て、永人のそばに行く。
それだけを考えて。
そのおかげか、ちゃんと永人の胸の中に飛び込むようにそばに行けた。
ただ。
「おっと! ちょっと勢い良すぎたな?」
受け止めた永人が少しバランスを崩す。
とは言ってもすぐに立て直せる程度だったから安心したんだけれど……。
ミシミシ……バキッ
「え?」
木の枝の方が、二人分の体重を支え切れなかったみたいで折れた。
「っっっ⁉」
落ちる恐怖に息を詰める。
なんで私、この可能性を考えなかったの⁉
てっぺんの木の枝が細いのは当然だし、こうなることくらいちょっと考えれば分かることだったのにー!
落下の感覚に体を強張らせて永人にしがみつく。
でも、その落下は思ったより長くはなかった。
「よっと」
永人が何度か掛け声を口にすると、今度はもっと太くしっかりした枝に足を乗せる。
「あ……」
「怖かったのかぁ? でもこれくらい予測してるっての。大丈夫だっつっただろ?」
「う、むうぅ……!」
落ちなくてよかったし、ちゃんと永人がしっかり抱きしめて太い木の枝に移動してくれたから安心した。
でも、予測していなかった私はちょっと悔しくて唇を尖らせてうなる。
そんな私のこめかみ辺りを永人の大きな手が撫でて掴み、そのまま噛むようなキスをされた。
「んっ」
柔らかい舌と、硬い歯の感触。
浅いキスなのに、もうそれだけで溶かされてしまう気がした。
最後にペロッと唇を舐めて離れた永人は、意地の悪い嬉しそうな顔をする。
「そんな顔したって可愛いだけだぜ?」
いつもより美しい彼が笑うだけで、ドキドキする心が加速してしまう。
魅了される。
理性も溶かされて、普段なら絶対に言わないようなことを口走ってしまいそうで、言葉が紡げない。
もっとキスして。
そんなおねだりを口に出しそうになって、かろうじて喉元で止めた。
言ってしまえれば良かったんだと思う。
おねだりも出来るような可愛い女の子なら、もっと永人を喜ばせられたかもしれない。
でも、可愛くない私は言わずに止めてしまう。
いつもそう。
なのに、永人はそんな私だからこそ欲しいと言うんだ。
チュッと触れるだけのキスをして、今度は呆れ顔をする永人。
「聖良、お前な……自分が思ってるより考えてること顔に出てるんだぞ?」
「……読み取ってくれるのは永人だけだもの」
そう、今まで家族以外でそういうことを読み取ってくれる人はいなかった。
だからいつも可愛くないで終わっちゃう。
「ふーん……こんなに分かりやすいのになぁ?」
「あ……」
私の表情を読み取れるという永人は、その男らしい笑みを近付ける。
もっと、と思ってしまったことも読み取られていたのかもしれない。
そうなると急激に恥ずかしくなった私は、アワアワと変な顔をしてしまう。
クッと喉で笑った永人は、嬉しそうに切れ長な目を細めた。
「そうやって余裕なくなったときの顔マジで可愛いわ……。それに加えて、今夜のお前は綺麗だよ」
「っ!」
また、綺麗だと言ってくれた。
ドキッと大きく心臓が跳ねて、恥ずかしさと喜びが同時に湧いてくる。
永人の親指の腹がこめかみを撫で、その行為自体が私を可愛いと……綺麗だと言っているようで……。
加速する心音。
抱き合うことで同じ温度になった体温。
私に触れる、永人の手。
そのすべてに、理性が崩壊する。
「なが、と……」
何か言いたいのに、いっぱいいっぱいでどう言葉にすればいいのか分からない。
でも、永人はそれだけで読み取ってくれた。
「何も言わなくていいぜ? そのまま、俺に溺れてろ」
「んっ」
塞がれた唇は深く、深く。
どこまでも私を翻弄するキスは、私のすべてを奪うかの様。
でもそれでもいい。
奪って欲しい。
自分が誰かにそんな風に思うときがくるなんて。
少し前だったら信じられなかっただろうな。
最後にそんな考えが頭を過ぎって、後はもう彼の唇や手にしか意識が向けられなくなる。
外の風は冷たいのに、私達は溶け合うようにキスを交わした。
***
キスのし過ぎで唇が痛くなってきたころ、その唇が離れてギュウッと抱き締められる。
その力強さにどこかいつもと違う雰囲気を感じ取って、私は呟くように聞いた。
「……ねぇ、今日はどうしてこっちまで来たの? 私の上昇の月を確認するためだけ?」
いつもはここまでしない。
SNSなどでメッセージのやり取りをすることはあっても、こんな遅い時間に会おうなんてしたことはなかった。
しかも寮内ではなくわざわざ外に出るなんて……。
でも、永人はすぐには答えてくれなかった。
「とりあえずいったん降りるか。少し散歩でもしようぜ? 大きいけど、下にお前が羽織れるもの持ってきておいたからよぉ……」
「……うん」
話しづらいことなんだろうか?
とりあえず私は永人の言うとおりに木から下りることにした。
彼の誘導のもと、枝を伝って降りていく。
地面に降りると、永人のものらしいジャケットが木の根元に置かれていた。
それを羽織らされると、永人の手が私の手を取る。
指が絡み合い、恋人つなぎで歩き出す。
静かな、月のない夜。
私が吸血鬼だからだろうか。
真っ暗なはずなのに、多少は周囲の様子が見える。
永人も同じなのか、足取りに迷いはない。
そうしてしばらくは無言で歩みを進める。
靴ちゃんと履いて来て良かった。
スリッパのままだと歩きづらかっただろうから。
でも、本当にどこへ行くんだろう?
向かっているのは学校がある方とは真逆だし。
このお城みたいな寮は敷地内の奥の方にあるから、ここより先は完全に山の中だったはず。
特に何かがあったとは記憶してないんだけれど……。
そう思いつつも手を引かれるままついて行った。
そして、暗闇の中たどり着いたのは――。
「……温泉?」
木々が開けた場所にあったのは、一応人の手が入った温泉施設だった。
掘っ立て小屋みたいな脱衣所らしき建物があって、後は少し大きめの岩風呂が一つ。
つい立ても照明もないけれど、確かにそれは温泉だ。
「……鬼塚が教えてくれたんだよ。あんまり知られてねぇけどここにも温泉があるって」
「へぇ……」
鬼塚先輩のこと嫌そうにしていたけれど、何だかんだやっぱり色々話したりしてるんだなぁ。
なんて思いながら相槌を打つ。
「見ての通り丸見えだし混浴だし? たまに猿も入りに来てるとか言ってたがよぉ……今みたいなときはこっちに入りに来ても良いんじゃねぇか?」
と、永人は自分の胸元辺りをトントンと指先で叩く。
そのジェスチャーが、私についているキスマークのことを指していると気付いてカァッと顔が熱くなった。
「で、でも、こんなつい立てもないところに入るなんて……」
恥ずかしさを誤魔化すように文句を言うと、永人は「大丈夫だって」と口端を上げる。
「見ての通り照明もないし、ほとんどは昼間しか来ねぇよ。夜は吸血鬼の生徒なら来れるだろうが……寮の温泉があるのに好き好んでここまで来るやつはいねぇな」
「そうなの?」
「ああ……」
聞き返した私に静かにうなずく永人はやっぱりちょっとおかしい。
「……永人、本当にどうしたの?」
いつもと様子が違う彼が心配になって、下から覗き込むように見上げる。
そして空いている方の手で永人の頬を包んだ。
すると彼はその手に自分の手を重ねる。
頬も手も冷たい。
私の手の方がまだ温かい。
だから、そのまま冷たい頬と手を温めた。
私のぬくもりを感じ取りながら一度目を閉じた永人は、まるで懺悔するように語りだす。
「ひと月前のあの日……お前が吸血鬼になってしまったあのとき……守ってやれなくてすまなかった……」
「え……?」
真面目な謝罪に私は密かに衝撃を受けるくらい驚いた。
永人の謝罪といえば、ニヤニヤ笑いながら「悪かったなぁ?」なんて挑発でもするようなものばかり。
こんな殊勝な態度での謝罪なんて初めて見たかもしれない。
「あの日は俺の上昇の月……新月だった。月の力を使えれば、最悪お前を連れて逃げられると思った」
ゆっくり開いた目には後悔の色。
悔しさと悲しみが入り混じり、私を見下ろす。
「甘かった、まさか陽が落ちる前にあんなことになるなんてな……」
「あれは! 私の判断が甘かったんだよ。永人が気にする必要はないよ?」
永人は私のわがままを聞いてくれただけ。
こんなふうに気にして欲しくない。
でも、私が何を言おうと永人の後悔は変わらなかった。
「だとしても、俺が甘く見てたってことは変わらねぇよ。わがままだろうが何だろうが、知るかっつって逃げれば良かったんだ」
「でも、あの状況であの人達が逃がしてくれるとも思えなかったし……」
「それでも、だよ」
痛みを耐えるように、眉間に深いしわが出来る。
永人は私の手を離し、ギュウッと抱き締めた。
「お前を失うなんて……耐えられねぇよ……」
「永人……」
「あんな思い、二度としてたまるかっ!」
痛いくらい抱き締められる。
痛くて苦しいけれど、それが永人の苦しみだと思うと止めてと言えなかった。
その苦しみも、受け入れたかった。
失うなんて耐えられない。
それは、私も同じだから。
私も永人の背に腕を回し、抱き締める。
思いは同じだと、伝える。
「……じゃあ、誓おうか」
そして提案した。
「え?」
「生きるのも死ぬのも、私達は一緒」
思いが同じなら、そんな誓いも成立する。
だから……。
「一緒に生きて……そして死ぬときは一緒に死んで、永人」
死すらも、私達を
「聖良……ああ、誓ってやるよ……。それは俺の望みでもあるからなぁ」
互いにピッタリくっつくように抱き締め合う。
そのまま深く一呼吸おいてから私は顔を上げた。
「でも、生きることを諦めることは絶対にないし、絶対に許さない。一緒に生き抜こう」
力強く言い切ると、永人は驚いたように目を見開く。
そしていつもの皮肉気なものとは違う、とても……とても嬉しそうな笑みを浮かべた。
ふわりと、優しさと甘さが舞い降りたような笑顔。
いつもより美しく妖艶な永人のその笑みは、瞬時に私を魅了する。
ドクン、と大きく心臓が跳ねて、そのままドキドキが止まらない。
「……ああ、そうだな……。それでこそ俺の聖良だ……」
愛しい、大切なもののように私の名前を口にする。
鼓動が、駆け足どころかジェットコースターにでも乗ったみたいだ。
早すぎる心音はもはやコントロール出来ない。
「永人……好きだよ。大好きっ」
気持ちが溢れてきて言葉にするけれど、その言葉ですら足りない。伝えきれない。
「愛してる……」
言葉では足りないけれど、それが一番近い想いな気がした。
そのまままた抱きしめると、強い抱擁が返ってくる。
「俺もだ、聖良……。愛してる……狂おしいほどに……」
そうだ。
狂おしい。
そんな言葉が一番ピッタリなのかもしれない。
私達はお互いの狂愛を確かめ合い、また唇を触れ合わせる。
真っ暗な、新しい月の夜。
私達は、新たな誓いのキスをした。