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第75話 田神先生の告白 後編

 ふぅ、と息を吐き田神先生に向き直る。


 これで、彼の要望通り二人きりになった。



 田神先生は以前のように、私を非難するような目で見てはいない。


 二人きりという状況になっても、落ち着いている様に見える。


「聖良……まず、もう一度言おう。……今まですまなかった。君は自分の気持ちに正直になって思いを貫いただけだというのに、俺はそれを責め立てるようなことしかしてこなかった……」


「でもそれは……私の方にも非はあったと思いますし……」


 思わせぶりなことをしておいて、他の男を選んだようなものだった。



 私が田神先生の立場だったら、やっぱりすぐには納得できないし、相手を責めたくもなると思う。


 ただ、だからといって互いに想い合っている人達を引き離すなんて出来ないから、自分で気持ちに決着をつけるしかない。



 だから、私は待つことしか出来なかった。


 田神先生が自分で落としどころを見つけてくれるのを。



「確かにそれはあったかも知れない。だがそのことを聖良が気にする必要はないんだ。“唯一”を求めるのは吸血鬼としての本能。それが分かっているから、本来ならどんなに認められなくても身を引くのが吸血鬼だ。……俊や将成のように」


 確かに、俊君や浪岡君は身を引いてくれた。


 すぐには納得出来なかったみたいだけれど、ちゃんと自分達で気持ちの整理をつけて認めてくれた。



「だが、俺はそれが出来なかった。本能であるはずなのに、認められなかった。……それは、俺が本気で聖良のことを好きだからだと思っていたんだが……」


 そこで一度言葉を切った田神先生は、自責の念に駆られる様な悔しげな表情をした。


「朔夜様に言われた、吸血鬼から“唯一”を引き離す行為がまともなわけがない。そんなことをくわだてるのは、いつも権力者のくだらない思惑だという言葉。あの言葉に、衝撃を受けた……」


 そういえば、あの言葉のあと田神先生は黙り込んでしまったっけ。


 何か思うところがあったのかな?



「その後にも考えさせられることがあってな……俺は、聖良が好きだから認められないんだと思い込もうとしていただけだと……気付いた」


「え?」


「思えば、初めがダメだったんだ。純粋に好きだからではなく、“花嫁”が欲しいという汚い大人の思惑から聖良を気にしていた」


 そういえば、初めて告白じみたことを言われたときにそんなことを言っていたっけ。



 確か、『はじめは好意とかは無くて、ただ“花嫁”を自分の手に出来るかもしれないという打算だった』とか言っていたような……。


 でも、いつの間にか本気で好きになっていたと言ってくれた。


 少なくともあれは嘘じゃないと思う。


「もちろん、途中から本気で好きになっていたのも本当だ。君を愛しいと思い、温かい気持ちになった。それに、聖良が初めて吸血されたときの岸に対する嫉妬や怒りの感情も……」


 その時のことを思い出したのか、田神先生の目に力強い怒りが宿る。


「だが、君は俺ではなくその岸を選んだ……。岸に対して感じていた嫉妬や怒りが渦巻いて……聖良が岸の“唯一”だと知っても、受け入れられないどころかそれがどうした、という気分だった」


 吐き捨てるようにそう口にした後、田神先生の目に宿った怒りの炎は消失していく。



「きっと、その頃から俺は好意と薄汚い思惑を混同し始めていたんだ」


「先生……」


「純粋に聖良が好きだという思い。それが、“花嫁”だから……特別な存在だから欲しいと思う欲求といつの間にか入れ変わっていた……。君を好きだと……愛しく思う気持ちも、忘れかけていたのかも知れない」


 そうして田神先生は寂しそうな目で私を見つめる。



「それを自覚して、俺は……」


 辛そうに眉を寄せ、ゆっくり近付いて来る田神先生。


 私はそれを動かずに待っていた。



「俺は、ちゃんと純粋に聖良を好きな男でありたいと思った……」


 その目に、慈しむような優しさが宿る。


 初めて私を好きだと言ってくれたときのような優しさに、胸が詰まった。



「田神、先生……」


「正直、今でも認めたくない気持ちはある。だが、どんなに認めたくなくても“唯一”同士となった君達を引き離すことはもう出来ない。それが、俺が見つけた落としどころだ」


 諦めに似た微笑みを浮かべ、彼の手が伸びてくる。


 それが私の肩に触れる直前で止まった。



「……最後に、抱き締めてもいいか?」


「え?」


「ちゃんと君を好きだった男として、終わりたい」


「そ、れは……」



 いまだに認めたくはなくても、諦め、終わらせたいと言ってくれた田神先生。


 自分でちゃんと決着をつけてくれた先生に、応えたいとは思う。



 でも、永人に悪い気がして「はい」とは言えなかった。


 ただでさえ今は命令をして無理やり席を外してもらっている状態だ。


 これ以上永人が嫌がることをしたくないと思う。



「……もしかして、岸に悪いとか思っているのか?」


「え? えっと……はい」


「では、強引に行くとしよう」


「え? な――」


 どういう意味なのかと聞き返そうとしたけれど、それよりも田神先生の行動の方が早かった。


 気付いたら、彼の腕の中にいたから……。


「なっ⁉ 田神先生⁉ 何もしないって言い――」


「好きだ、聖良」


「っ⁉」


 何もしないって言いましたよね⁉ という言葉は、田神先生の想いを詰め込んだような声に遮られる。



「本当に、好きだった・・・


 過去形……その少しの違いを感じ取った。


 田神先生は、本当に諦めようとしてくれているんだと……。



 それが分かったから、非難する言葉も出せず、抵抗も出来なくなる。


「すまない……でも、こうしてちゃんと確かめたかったんだ。俺の中に純粋な恋心が残っていることを……」


「先生……」


「ありがとう……これで汚い大人ではなく、一人の男として君への想いを終わらせることが出来る」


「っ……」



 田神先生の想いが伝わってきて、鼻の奥がツンとなる。


 涙が滲んで目が潤んだけれど、零れないように耐えた。



 ゆっくり離れていく田神先生を見ながら、思う。



 応えられなくてごめんなさい。

 好きになってくれて、ありがとうございます。



 言葉にしていいのかも分からなくて、声には出せなかった。


 でも、なんとなく感じ取ってしまったんだろう。


 田神先生は、困り笑顔を浮かべてゆっくりと目を閉じた。


 次に目を開けたときには“先生”としての顔に戻る。


「それでは私は戻るとしよう。聖良さんの怖い彼氏に殺されたくはないからね」


 冗談っぽく言うのは、泣きそうな私を気遣ってくれたからなのかもしれない。



 田神先生はドアに向かおうと踵を返し、途中で止まってもう一度私を見る。


 そして真剣な眼差しで告げた。



「そうだ、パーティーの参加は考えておいて欲しい。今度こそ、守るから」


 言い終えると、今度こそ振り返らずに先生はドアを開ける。


 そうして出て行った彼と入れ違いに永人が入ってきた。



「聖良!」


 焦っているような、怒っているような呼び声に返事をする間もなく抱きしめられる。


 永人の肩の向こうで、ドアがバタンと閉じるのが見えた。



 ギュウッと、苦しいほどに抱きしめられて永人の腕を叩く。


「永人、ちょっと苦しい」


「知るか、ちょっとだったら我慢しろっ」


「……うん」


 こうなっているのは私のせいだって分かっているから、彼の言う通り苦しさは我慢した。



 この力強さは、永人が私を想ってくれている証でもあるから。



 数分くらいそうして、流石に本気で苦しくなってきたかな? と思った頃やっと腕の力が少し緩んだ。


 そしてゆっくり言葉が落ちてくる。


「……大丈夫だったのか? 何も、されてないか?」


 抱きしめられたので何もされてないってことはない。

 でも、よこしまな思いでそうされたわけじゃなかったから……。


「…………うん、大丈夫」


「なんだその間は?」


 大丈夫と答えたのに、少し長めに間が開いたことをしっかり指摘されてしまった。



「いや、本当に変なことはされてないよ?」


「変なことじゃなければされたんだな?」


 顔を覗き込まれて、少し睨むように凄まれる。



「うっ」


「言えよ」


 顔が近付いてきたと思ったら、スッと横にそれて耳たぶを甘噛みされた。



「ひゃっ!」


「ホント耳弱いよな……なぁ、何されたんだよ?」


 そのまま耳の近くで囁かれ恥ずかしい。

 吐息が耳にかかってなんか変な感じになる。



「ちょっ、待って」


「待たねぇよ。このまま話せ」


 永人の行為で口を開けば変な声が出そうだっていうのに、そんな状態で話せなんて酷なことを言われた。


 でも言わなければこの状態がずっと続きそうな予感しかしない。



「……最後にって……抱きしめられただけっ、ちょっ」


「……へぇ」


 何とか言い終えると、また甘噛みされた。


 でも、声がワントーン低くなった気がする。



「聖良……お前さ、俺を嫉妬させてぇの?」


「え?」


 妖しさすらも感じる声に、永人の顔を見る。


 間近で見たその黒い目には、様々な欲が揺らめいている様に見えた。



「ダメだっつってんのに他の男と二人きりになるしよぉ……しかも抱きしめられておいて何もされてねぇなんてウソつくしよぉ……」


「そ、それはごめんなさい」


 私が悪いのは分かっているから素直に謝ったんだけれど、永人はそんな言葉だけでは許してくれなかった。



「言葉だけで済むと思うなよ?」


 妖しく揺らめく欲の炎を宿らせた瞳が、さらに近付いてくる。



 少しの怖さとキスを予感させる近さにドキドキと鼓動が速まった。


 触れるか触れないかの辺りで一度止まった唇が囁く。


「後で覚えてろっつったよな? 覚悟しろよ?」


「あっ、ぅんっ!」


 塞がれた唇にはすぐに舌が割り入ってくる。


 はじめから深い口づけに驚いて逃げてしまった私の舌は、絡め取られ吸い付かれてしまった。



「んっふぁっ」


 強引で、私の全てを奪うキス。


 私を翻弄してしまう、欲と執着に満ちた唇。



「や、も、むりぃ……」


 止めどなく与えられる狂愛にも似た想いに、受け止めきれないと訴える。


 でも、永人は止めるどころか休憩も与えてくれない。


 体に力も入らなくなってきて、備え付けてあるテーブルの上に上半身を寝かせられた。


 押し倒されるみたいになって、恥ずかしいのに拒むことも出来ないほど永人のキスに溶かされる。



「あっふぅ……」


 言葉も紡げず、吐息ばかりがしばらく絡み合ってから、永人はやっと唇を離してくれる。


 でも、まだまだ終わりじゃなかった。



「さっき俺を追い出したこと、少しでも悪いと思ってんなら抵抗すんなよ?」


「ふぇ?」


 何をされるのかと溶かされた状態で聞き返すと、「ったく、可愛いな……」と呟かれる。


 その言葉にキュンとしているうちに、ブラウスの胸元が開かれていく。



「ん? え? 永人?」


 何をするの? と聞き返す前に、はだけた胸元に永人が顔を近付けた。


 そして、舌が這う。



「ふやぁ⁉」


 首を舐められた感触に情けない悲鳴が上がった。


 それを恥ずかしいと思う間もなくその場所を強く吸われる。


 チリッとした痛みには、覚えがあった。



 キスマーク、つけられてる?



「なが、と?」


「……俺達は“唯一”同士。同じくらい互いを求めてる……」


 まだ永人の頭は首元に埋められていて、どんな表情で言っているのか分からない。


「そして俺は、お前の従者――お前のものだ」


「……」


 何が言いたいのか分からなくて黙って言葉を待つ。


 すると頭が上がって、その表情が見えた。



「でもお前が俺のものっていう印は消えてしまったからなぁ……」


 妖しく細められた漆黒の目。

 私に吸い付いたことで赤く熟れた果実のような唇はうっすら笑みの形になっている。


「またつけてやるよ。俺の所有印、執着の証を……たっぷりとなぁ?」


 その微笑みは鬼か悪魔のようにすら見える。



 でも、どうしてだろう。


 怖いと思うのに、私は喜びで震えている。


 ゾクリとした震えはその印を求めているかのようだった。



 ただ、欠片程度に残っている理性で一つだけ要望を伝える。


「……見えるところには、つけないで……」


「俺は見せつけてぇんだけど?」


「だめ……恥ずかしいから……」


 瞼を伏せて、少し視線をそらす。



 前までだったらキスマーク自体拒んでいたのに、どうしてつけて欲しいなんて思うんだろう。


 分からないけど、永人になら良いって思ったから……。



「……気が強いお前がそうやって俺にだけ見せる顔、マジでそそられる。……なぁ、抱かれる気にならねぇか?」


「ならないよっ!……それは、ちゃんとベッドが、ぃぃ……」


 調子に乗った永人を叱りつつ、嫌だとは言わない……言えない。


「残念。まあいいさ、今は印つけるだけで。たっぷりつけて、ドロドロに溶かして……あのクソセンコーの存在をお前の中からすべて消してやる」


「永人……」


「聖良、お前がその目に映す男は俺だけでいい。その心を占めるのは俺だけでいい」


 いつになく真剣な目が見下ろしてくる。


 その独占欲や執着を嬉しいと感じる私はおかしいだろうか?



 でも、そんな永人を受け入れると彼は喜んでくれるから……だから、私はこれでいいんだって思う。




 ついさっき、田神先生の思いをちゃんと受け止めておきたいって思った。

 私のためにその恋心を終わらせてくれたから。


 なのに、もう気持ちは永人にしか向けられなくなってる。



 私、残酷だな……。



 そう思うけれど、もうどうしようもない。


 ただ一人を選んでしまったら、他の相手には残酷になってしまうもの……。


 それを私は知ってしまった。



 だから、あとは貫き通すだけ。


 私の“唯一”は永人。

 彼は私のもので、私は彼のもの。


 誰一人として、私達を引き離そうとするものは許さない。



 永人のキスで溶かされてなお、心に宿る一本の芯にその決意を誓った。

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